ドラマ「トンイ」で張禧嬪が必死に隠そうとした世子の病気
それは痿疾(いしつ)と呼ばれるものでした。
この病は史実に基づくものだったのか? 史実から詳しく解説します。
世子の病気・痿疾(いしつ)は本当だったのか?
結論から言えば、「痿疾だった」と明言された記録はありません。
しかし、当時の記録や世子の実像をたどると、それを示唆する証言や状況証拠がいくつか見つかります。
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世子は生涯で二人の王妃を迎えましたが、子供をもうけることはありませんでした。このことは、痿疾(いしつ)であった可能性を示す有力な状況証拠とされています。
さらに、子ができなかったにもかかわらず側室を持たなかったことも、その説を補強する要因です。実際、いつまでも子ができない景宗に対して、臣下が「痿疾である」と問題視した記録も残されています。
また、世子は幼少期から将来を期待される重圧にさらされ、13歳で母が死罪となる姿を目の当たりにしました。
こうした精神的ストレスは計り知れず、身体症状として痿疾が現れた可能性も高いと考えられます。
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朝鮮王朝では、景宗を含め子供ができなかった王が4人いました。
王名 | 代数 | 正室 | 側室 | 備考 |
端宗 | 第6代 | 1人 | 2人 | 若くして廃位・死罪 |
仁宗 | 第12代 | 1人 | 4人 | 在位8ヶ月、病弱 |
景宗 | 第20代 | 2人 | 0人 | 精神的ストレス |
純宗 | 第27代 | 2人 | 0人 | 病弱・障害 |
これらの王たちもまた、短命や精神的な圧力、政争の中で苦しんだ人物たちですが、いずれの王も「痿疾だった」と明言された記録はありません。
身体的な障害の記録が残るのは、アヘン入りの珈琲で知的障害になったと言われる純宗です。イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが謁見したときに、身体障害者に見えたと記録しています。
史実で見る世子・景宗
史実における世子が、どのような人物で、どんな生涯を送ったのでしょうか?
名前(諱):李昀(イ・ユン)
廟号:景宗
生年:1688年11月20日
没年:1724年10月11日
享年:36歳
父:粛宗
母:禧嬪張氏
后妃:端懿王后、宣懿王后
子供:なし
景宗は幼少の頃から病弱で繊細な性格でしたが、母・張禧嬪の処刑に大きな精神的ストレスを受けました。
彼は粛宗が亡くなると、王位に就きますが、国政を主導することができず、短命に終わっています。毒殺説もありますが、決定的な証拠はなく、急な体調不良が原因とされています。
ドラマで「痿疾」は何話に登場したのか?
ドラマで「痿疾」に相当する描写が出てくるのは、第50話〜第53話あたりです。
第50話で世子は飲んでいる薬から、自分が子供を埋めない体であることを知ります。そして、世子はヨニングンの汚名を晴らすために粛宗に自分は世継ぎを望めない体であることを告白してしまいます。
これを聞いて焦った張禧嬪は無謀な行動に出ていきます。すべて、フィクションですが、痿疾(いしつ)をうまくドラマに取り込んだストーリーでした。
トンイで世子を演じた子役
トンイで世子を演じたのはユン・チャンです。
ユン・チャンのプロフィール
(2025年06月18日現在、28歳)
結婚:未婚
最終学歴:仁荷大学演劇映画科
身 長:185cm
血液型:B型
特 技:スキー,スノーボード
兵 役:済み
出演したドラマ
ユン・チャンはトンイに出演した後に、3つのドラマに出演しています。
(イ・ジェボクの子役)
2006年:ドラマシティ-初恋
(カン・ヨンウ役)
2009年:幻の王女チャミョンゴ
(イルプムの子役)
ユン・チャンの現在
トンイに出演した後に、3つのドラマに出演していますが、残念ながらその後の目立った芸能活動はないようです。
まとめ
ドラマ「トンイ」に登場する世子の「痿疾(いしつ)」は、史実として確定された事実ではありません。
しかし、二人の王妃との間に子ができなかったことや当時の記録、精神的ストレスから考えると、可能性として否定はできない説です。
景宗の「痿疾説」は、彼の悲劇的な生涯をより一層、印象付ける言葉として広まったものかもしれません。
補足:朝鮮王朝用語ミニ知識
元子:朝廷で選ばれたが、まだ清の承認を得ていない後継候補
世弟:王の弟で後継に指名された人
世孫:王の孫で後継に指名された人
世子とは、王の息子で中国の皇帝からも認められた王位継承者のことです。朝廷に認められても、中国の皇帝に認められるまでは、世子ではなく元子(ウォンジャ)でした。
また、王に息子がいない場合は孫や弟が世子なる場合があります。例えば、英祖の孫の正祖は世孫(セソン)、英祖自身が景宗の世弟(セジェ)でした。