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トンイは実話か創作か?【実は粛宗の最愛の人ではなかった】

ドラマ「トンイ」では、彼女は粛宗に最後まで愛され、梨峴宮(イヒョングン)で静かに暮らす姿が描かれました。

しかし、粛宗が最後まで寵愛した人は、実はトンイではなかったのです。

彼が晩年まで愛した女性、それは――

榠嬪朴氏(ミョンビンパクシ)

ドラマには登場しなかったこの女性こそ、粛宗の心を最後につかんだ女性でした。

榠嬪朴氏とはどんな人?

実は、榠嬪朴氏はトンイよりも先に、粛宗の寵愛を受けた女性でした。

彼女は、1688年に承恩尚宮(王の寵愛を受ける女性)となりましたが、子どもが生まれなかったため、昇格が遅れていました。

一方、トンイは子どもに恵まれ(延礽君、後の英祖)、その後、とんとん拍子で昇格していきます。

しかし――事態はある時期を境に一変します。

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粛宗の心変わりは1699年から始まった

トンイを深く愛していた粛宗ですが、1699年に榠嬪朴氏が王子・李昀(フォン)を生むと、流れが大きく変わり始めます。

トンイが頼りにしていた仁顕王后が1701年に死去すると、粛宗の愛を取り戻したい彼女は張禧嬪を呪詛で告発します。

粛宗実録には、その記録が残っています。

至是, 巫蠱事果發, 外間或傳, 淑嬪 崔氏, 追慕平日逮下之恩, 不勝痛泣, 密告於上云。<引用元:粛宗実録1701年9月23日抜粋>

<訳>このときになって、巫蠱の事件(呪術やまじないを使った事件)がついに発覚し、宮廷でも噂になっている。淑嬪崔氏は、かつて王妃から受けた受けた寵愛を思い出し、悲しみに耐えきれず、(巫蠱の事件について)王に密告した。

トンイの策略的行動に、粛宗は嫌悪を感じたのでしょう。以後、粛宗はトンイを遠ざけ、榠嬪朴氏への寵愛を深めていきます。

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昇格年表で見る粛宗の“心の移り変わり”

次の表からも分かるように、1699年以降、榠嬪朴氏が急速に昇格しています。

<トンイと榠嬪朴氏の昇格の比較年表>

トンイ 榠嬪朴氏
1688 承恩尚宮になる
1692 承恩尚宮になる
1693 淑媛に昇格
1694 淑儀に昇格
1695 貴人昇格
1698 淑媛に昇格
1699 嬪に昇格
<粛宗の淑嬪崔氏に対する態度が変わり始める>
1699 淑儀に昇格
1701 貴人に昇格
1702 嬪に昇格
1703 榠嬪朴氏 死去
1718 トンイ 死去

心変わりの背景|息子と“策略”が分岐点

粛宗が榠嬪朴氏に心を寄せたのは、主に以下の2点が理由と考えられます。

・榠嬪朴氏が王子を出産したこと
・トンイの策略への嫌悪感

39歳で生まれた王子に粛宗は大変喜び、母である榠嬪朴氏への愛情も増したと考えられます。

一方、トンイの策略的な行為(呪詛の密告)は、策略家の粛宗に嫌悪感を与え、これを機にトンイを遠ざけるようになりました。

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史実が語るトンイの生い立ち

トンイが西人派を助け仁顕王后の復位に尽力した背景には、幼少期の特別な生い立ちがありました。

仁顕王后の父・閔維重に育てられる

幼少期の最も有力な説では、トンイは幼い頃に両親を亡くし、仁顕王后の父・閔維重に引き取られ育てられたとされています。

当時、彼女は5歳、仁顕王后は8歳で、姉妹のように育ったといいます。このつながりがあったからこそ、仁顕王后の復位の際に、トンイは尽力できたのです。

トンイと仁顕王后一家の関係図

<トンイと仁顕王后一家の関係図>

トンイが水汲みのムスリは嘘

トンイは7歳で針房の見習い女官として入宮しています。

実は、トンイが水汲みのムスリだったことは嘘でした。1728年、英祖に対して反乱を起こした李麟佐が、卑しい母として英祖を陥れるために撒き散らした噂でした。

承恩尚宮以降の史実(ドラマとの対比)

ンイが粛宗の寵愛を受け、承恩尚宮となった頃からは、史実の記録が比較的詳しく残されています。

次の「史実とドラマの話数の対比」をご覧になれば、ドラマが大筋、史実に基づいて構成されていることが分かります。

<史実とドラマの話数の対比>

史実 ドラマ
1689 5月2日、仁顕王后が廃位、宮殿を出る 21話
1690 10月22日、張禧嬪が王妃になる 23話
1692 承恩尚宮になる 31話
1693 4月26日、懐妊、淑媛に昇格(但し、子どもは早世) 38話
1694 4月12日、張禧嬪が王妃から嬪に降格 38話
4月12日、仁顕王后が王妃に復位 38話
9月13日、クム誕生 44話
1698 7月7日、第三子を生むが、すぐに死亡
1699 6月13日、クムに延礽君の称号が与えられる 47話
1701 8月14日、仁顕王后が死去 49話
9月23日、粛宗に張禧嬪の呪詛を伝える
10月10日、張禧嬪が42歳で賜死 55話
1702 10月3日、仁元王后が王妃になる 55話
1704 延礽君が貞聖王后 と婚礼をあげる 56話
1701 10月、梨峴宮で暮らし始める(1704年4月まで) 60話
1711 6月22日、延礽君の居所で暮らし始める
1718 3月9日、トンイ48歳で死去

ドラマ「トンイ」と史実の違い

最後にドラマと史実の違いをまとめておきます。

項目 ドラマ 史実
出自 掌楽院の奴婢 針房の見習い
粛宗の最愛の人 最後までトンイが寵愛された 晩年は榠嬪朴氏に心変わり
張禧嬪との関係 正面から対抗 裏で呪詛を密告
晩年の暮らし 粛宗と仲睦まじく 寵愛を失い梨峴宮で過ごす

まとめ

残念ながら、粛宗が最も寵愛したのはトンイではありませんでした。

また、ドラマ「トンイ」は史実をベースにしていますが、かなり脚色されています。

実際とは異なる点としては、
・トンイが第三子を産んですぐ亡くなったこと
・呪詛の件を直接粛宗に伝えたこと
・延礽君と暮らし始めたこと
などが挙げられます。

それでも、彼女が粛宗の側室として重要な役割を果たしたことは間違いありません。史実を知り、ドラマをより深く楽しんで下さい。

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