善徳女王は実在した女王なのか?
悪女ミシルとの対決は実際にあった実話なのか?
疑問に思った私は善徳女王について、詳しく調べてみました。
善徳女王は実在した女王か?
善徳女王は三国時代に実在した朝鮮半島初の女性の王(女王)です。
新羅の第26代王・真平王には男の跡継ぎがいなく、長女の善徳女王が第27代の王位に就きました。
善徳女王について書かれている歴史書としては
・三国遺事
・花郎世紀
があります。
三国史記では善徳女王の即位後の出来事、三国遺事では預言者的な能力を持っていたエピソードなどが記載されています。
しかし、プライベートな情報や即位前の記録はありません。
また、花郎世紀は善徳女王のドラマの元ネタになっていますが、歴史書としては信憑性が低いと言われています。
つまり、善徳女王は歴史上、実在したことは間違いありませんが、実はその詳細は未だに不明な謎多き女王です。
詳しくは>>善徳女王の家系図から分かった驚きの事実【双子は嘘、一妻多夫】をご覧ください。
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善徳女王の物語は実話か?
歴史上、実在した人物を登場させていますが、物語はほぼ全て創作です。
そもそも、善徳女王は双子ではありませんでした。
双子のエピソードはドラマの創作です。
三国史記ではトンマンは長女と記載されていますが、花郎世紀ではトンマンは次女と記載されています。
真実はどちらか分かりませんが、双子でないことは間違いないようです。
善徳女王のドラマの元ネタになるような情報は、歴史書として認められている三国史記と三国遺事にはほとんどありません。
善徳女王の物語のネタは、今だに内容の真偽をめぐって論争が続く花郎世紀から得られています。
また、記載されている内容をもとに創作された部分が多く、善徳女王はほぼフィクションと言えます。
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善徳女王のミシルは実在?
ミシルの名前は三国史記にも三国遺事にも出てきません。
ミシルは花郎世紀にのみ登場します。
花郎世紀によると、ミシルは王妃の一族に生まれその美貌と教養から、花郎の最高指導者の地位に付きました。
そして、夫以外に6人の男性を情夫として囲い、権力を掌握したと書かれています。
6人の男性とは。。。今では、とても想像もできない女性ですね。
詳しいくは>>善徳女王の実在したミシルは想像を絶する男性関係だった!を御覧ください。
また、ミシルは546年頃に生まれ、612年頃に亡くなったことになっています。
つまり、善徳女王が女王に即位した632年には、ミシルは既に亡くなっていることになります。
従って、史実ではドラマのようなトンマンとミシルの対決はありませんでした。
善徳女王のピダムは実在?
ピダムは三国史記に登場する実在した人物です。
しかし、もちろんミシルの息子ではありませんし、善徳女王と恋愛関係であった事実もありません。
ドラマではピダムは善徳女王の目の前で刺されて亡くなりますが、これはドラマの創作です。
史実では、女王を廃位しようとして647年に反乱を起こしましたが、敗れて処刑されてしまいます。
しかも、ピダムが乱を起こしている最中に善徳女王は亡くなっています。
物語のようなことは、現実にはありませんでした。
まとめ
善徳女王は歴史上、実在したことは間違いありません。
しかし、その物語「善徳女王」はほぼ100%が創作と考えられます。
また,善徳女王はドラマとして取り上げられるまでは、つなぎの王様程度の認識しかされていませんでした。
むしろ、三国統一に貢献した金庾信(キム・ユシン)やその後に武烈王になった金春秋(キム・チュンチュ)の方が歴史上、重要な人物として扱われていました。
しかし、ドラマの完成度や面白さから、善徳女王が一躍脚光を浴びることになったのです。
ドラマ「善徳女王」が今後も視聴され続けることは間違いと思います。