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師任堂(サイムダン)の実話【本当に良妻賢母だったのか】

この記事では、サイムダンの史実、ドラマとの違い及び現代の評価を年表や人物紹介を交えながら解説します。

師任堂(サイムダン)は実話?

ドラマ「師任堂(サイムダン)、色の日記」に登場するサイムダンは実在の人物です。朝鮮時代を代表する芸術家であり、「良妻賢母」としてその名を現代に残しました。

しかし、「良妻賢母」という理想像は後世で誇張された部分が大きいとされています。史実に残る実像のサイムダンを誕生から解説していきます。

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サイムダンの誕生

1504年、サイムダンは父・申命和と母(李思溫の娘)の間に5人姉妹の次女として生まれました。

サイムダンが生まれたのは、江原道江陵市にある母方の実家「烏竹軒(オジュッコン)」です。母親の実家は多くの官僚を輩出した名門・平山申氏の一族でした。

サイムダンの実家・烏竹軒の画像<サイムダンの実家・烏竹軒>

烏竹軒はサイムダンの母が相続した家で、息子で大儒学者・栗谷の生家としても知られている文化財です。黒竹が名の由来で、1963年に韓国の宝物に指定され、ドラマ「師任堂」のロケ地にもなりました。

広大な土地に建つ烏竹軒を見ると、サイムダンが大変裕福な家庭に生まれ育ったことが分かります。

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サイムダンの幼少時代

サイムダンは幼少期から大人しく聡明で、本を好み記憶力に優れていました。7歳のときに、母方の祖父・李思溫(イ・サオン)が彼女の画才を見抜き、安堅の絵を模写させて才能を開花させました。

16歳のときには、帰郷した父・申命和が多方面の学問を学ばせたことで、絵画だけでなく、書や文学に秀でた才女へと成長しました。

李元秀との結婚と生活

1522年、19歳のサイムダンは李元秀(イ・ウォンス)と結婚しました。父・申命和は家柄よりも娘の才能を理解し支えてくれる人物を重視し、婿を選びました。李元秀は名家出身ながら無職で野心もありませんでした。

結婚後は夫の赴任先を転々としました。1536年には江陵の実家に戻り、李珥を出産しています。最初の20年間は婚家に入りませんでしたが、38歳で姑を看取るため寿進坊に移り10年間暮らしました。1550年に夫が官職を得ると翌年から三清洞で生活を始めています。

このように「理想の妻」という評価は、後世に強調されたイメージであり、実際には波乱のある結婚生活を送っていたのです。

なお、ドラマで描かれるイ・ギョムとの恋愛や寿進坊での困窮生活は創作です。

良妻賢母は真実?

実在のサイムダンは自由闊達に生き、必ずしも良妻賢母ではありませんでした。しかし大儒学者・李珥の母であることから理想の母像として神話化され、さらに朴正煕政権下で偉人に選ばれたことで、そのイメージは強まります。

特に暗殺で亡くなった朴正煕の妻・陸英修が「慈悲深い国母」と称されたことから、国民の中で二人の姿が重なり、サイムダンは良妻賢母の象徴として受け止められるようになりました。

サイムダンの逸話は本当?

サイムダンには多くの逸話が残されています。ドラマでも描かれた代表的なものに、夫・李元秀を科挙合格のため山へ送り出したものの途中で戻ってきたため、怒ったサイムダンが尼になると脅した話があります。

さらに、李元秀の浮気にまつわる逸話も伝わっています。夫の裏切りを知ったサイムダンは、死後に相手と再婚しないよう懇願しましたが、結局再婚は実現し、子どもたちは大きな苦労を背負うことになったとされています。

芸術家としての師任堂

サイムダンは山水画家・安堅の影響を受け、精緻で繊細な画風を確立しました。彼女は安堅の山水画を夢中で模写したと言われています。

安堅の夢遊桃源図

<安堅の夢遊桃源図>

人物よりも山水や草花、葡萄、虫など自然を好んで描き、「草虫図」や「葡萄図」は鮮やかな彩色と安定した構図で高く評価され、彼女の名を後世に残しました。

サイムダンの絵画はソウルの国立中央博物館をはじめ多くの美術館や博物館に展示され、特に生家・烏竹軒の博物館には山水画、葦雁、蓮鷺、梅の花、ブドウ、草虫、刺繍屏風など100余点のサイムダンの遺作が保存されています。

サイムダンの最後と後世の評価

1551年、サイムダンは48歳で病死しました。夫が外泊中の出来事で、1年前から胸の痛みに悩まされていた彼女の容体が急変しました。母の死に三男の李珥は深い衝撃を受けたとされています。

死後、彼女は「模範的な母」と称えられ、良妻賢母像の象徴とされましたが、それは実像よりも儒教的価値観を反映した理想像だったともいわれます。

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カードの写真の男性は実在した韓国人

ドラマでソ・ジユンが受け取った「韓服を着た男」は、画家ルーベンスが描いた実在の韓国人です。

韓服を着た男の画像

<韓服を着た男>

彼はイタリアに連れられアントニオ・コレアと名付けられ、ルーベンスが興味を持って絵に残しました。ドラマではイ・ギョムに見立てられています。現在この絵はアメリカのポルゲティ博物館に所蔵されています。

紙幣の秘話

2009年、韓国の5万ウォン紙幣にサイムダンの肖像が採用されました。これは「母としての教育者」「芸術家」としての両面を評価した結果です。しかし「女性の代表が良妻賢母でよいのか」という議論もあり、現代でも賛否を呼んでいます。

実は、5万ウォン札の裏側の絵はサイムダンの絵ではありません。朝鮮中期画家である李霆(イ・ジョン)の「風竹図」に魚夢龍(オ・モンリョン)の「月梅図」を重ね合成させたものです。

5万ウォン札の裏側の絵

<5万ウォン札の裏側>

なお、5千ウォン札の裏の草虫図はサイムダンが描いたものでケイトウとスイカの絵の一部が合成されています。

5千ウォン札の裏に採用された絵

<5千ウォン札の裏に採用された絵>

サイムダンの時代|男女平等の時代

サイムダンの時代は、男性が妻の家で暮らす「男帰女家婚」が一般的で、祖父や父も烏竹軒で生活し、彼女自身も子どもが成長するまでそこで暮らしました。

当時は女性も男性とほぼ同等の権利と発言権を持ち、財産も均等に相続できました。そのため、サイムダンが夫に意見するのも自然なことで、ドラマにも母が5人の娘に遺産を分け与える場面が描かれています。

サイムダンの生涯年表

名家に生まれたサイムダンは周囲の寵愛を受け自由に育ち、絵画など多才を開花させました。しかし、だらしない夫との結婚生活は順調ではありませんでした。

サイムダンに関する主要な出来事を年代順にご紹介します。

年月 出来事
1504年 申命和の次女として生まれる
1510年 祖父により画才が開花(7歳)
1522年 李元秀(イ・ウォンス)と結婚(19歳)
1536年 実家(烏竹軒)で三男・李珥を出産
1541年 夫の実家(寿進坊)で姑と暮らす(38歳)
1551年 春から三清洞で暮らし始める
1551年 病死(享年48歳)

実在した登場人物

ドラマ「師任堂」に登場する実在した人物をご紹介します。サイムダンの子供は実際には4男3女の7人でした。ドラマに登場しない1男2女については、ほとんど記録がありません。

役名 実在のモデル 備考
シン・サイムダン 申師任堂 女流書画家
イ・ギョム 李巌(イ・アム) 王族、絵師
シン・ミョンファ 申命和 師任堂の父
龍仁イ氏 龍仁李氏 師任堂の母
イ・ウォンス 李元秀 師任堂の夫
イ・ソン 李璿(イ・ソン) 師任堂の長男
イ・メチャン 李梅窓 師任堂の長女
イ・ヒョルリョン 李珥(イ・イ) 師任堂の三男
イ・ウ 李瑀(イ・ウ) 師任堂の四男

サイムダンの初恋の人として登場するイ・ギョム(宜城君)ですが、実は実在したモデルがいました。

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まとめ

サイムダン(師任堂)は実在した女性であり、母として子供を育てながら芸術活動を続けた人物です。

ただし「良妻賢母」という理想像は後世に誇張された部分が大きく、実際には夫婦関係や生活に苦労しながらも芸術家・教育者として独自の人生を切り拓いた女性でした。

つまり、サイムダンの真実の姿は「ただの理想的な母」ではなく、「才能と努力で苦難を乗り越えて才能を開花させた実在の女性芸術家」でした。

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