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奇皇后のワンユは実在した忠恵王【架空化の理由とは?】

奇皇后のワンユのモデルは、当初、実在した忠恵王(チュンヘワン)でした。しかし、放送前に脚本家が「架空の人物」に変更しています。

この記事では、忠恵王とはどんな人物だったのか?どうして、ワンユが史実から切り離されたのか?詳しく解説します。

忠恵王とはどんな人物か?

忠恵王は1315年に第27代忠粛王と明徳太后の長男として生まれました。当時、高麗王の正妃は元の皇族から迎えるのが慣例であったことから、彼もクビライのひ孫・徳寧公主(イリンチンバル)を正妃に迎えました。

忠恵王の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<忠恵王の家系図>

忠恵王のプロフィール

忠恵王は凶暴で女好き、放蕩の限りを尽くしたと言われています。ドラマ「奇皇后」の14話で尚宮が忠恵王のことを「凶暴で女好き」と皇后に説明するセリフがありますが、これは史実に基づくものです。

<プロフィール>
生年:1315年1月18日
没年:1344年1月15日(享年30歳)
在位:1330年2月18日-1332年3月21日
1339年12月2日-1344年1月30日
姓・諱:王禎(ワン・ジョン)
モンゴル名:普塔失里(ブタジリ)
陵墓:永陵
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忠恵王の史実

ドラマ「奇皇后」で描かれるワンユは、元からの独立を志す高潔な王ですが、史実の忠恵王は正反対でした。若くして元に人質として送られ、政治には無関心で狩猟や遊興にふけり、王位に就いても国政を乱しました。

「高麗史」第三十六巻・忠恵王列伝には以下のように記されています。

忠惠王,以英銳之才,用之於不善,昵比惡小,荒滛縱恣。內則見責於父王,上則得罪於天子,身爲覊囚,死於道路,宜矣。雖有一老臣李兆年,言之剴切,其如不我聽。

<訳>忠恵王は優れた才能を持ちながらも、それを善いことに使わず、悪い仲間とつるみ、女遊びや放蕩にふけった。父王や元の皇帝の叱責も聞かず、忠臣の李兆年が真剣に諫めても耳を貸さなかった。結果として道中で死ぬのも当然であった。

最も非難されたのは女性関係で、美貌の女性を見れば身分や婚姻の有無を問わず手を出したようで、こうした人物像は恋愛ドラマの主人公としては不向きでした。

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ドラマと史実の比較

項目 ドラマのワンユ 史実の忠恵王
性格 正義感が強く民思い 凶暴で女好き、政治に無関心
元との関係 独立を目指す王 元の属国の臣下
恋愛 奇皇后と愛し合う設定 恋愛の記録なし
評判 高潔な人物として描写 史書で乱行・暴政を批判される

この大きなギャップこそが、ワンユを史実の忠恵王から切り離し、架空の人物とした理由でした。

ワンユが架空の人物とされた経緯

ドラマ「奇皇后」は放送前から歴史歪曲と批判され、冒頭で「史実とは異なる」と字幕を表示しました。

これは、制作発表会(2013年10月)でのインタビューで歴史歪曲批判に対し、脚本家のチョン・ギョンスンが製作にあたり史料が不足していたことを明かにしています。さらに、チャン・ヨンチョル脚本家も「最近、歴史問題に対し非常に敏感で、多くの方が心配されたため、高麗王も架空の人物に変えた」と説明しました。

釜山大学のイム・ヨンホ教授は中央日報の記事の中で「ドラマは奇皇后の名前だけを借りてきた純然なファンタジー。いっそ完全仮想ドラマで行くほうが良かっただろう」と手厳しく評しています。

元に従属する高麗王の立場

ワンユがドラマで元の皇帝や高官に臣下のように扱われるのは、史実に基づきます。1231年、モンゴルの使者殺害をきっかけに侵攻が始まり、1259年に高麗は全面降伏して従属国となりました。

以後、世子は元で人質生活を送り、皇女と結婚して帰国後に即位する慣例が定着します。元は内政に干渉し、多くの貢物や「貢女」を要求しました。

また、王名に「祖」「宗」を禁じ、「忠」を用いるよう命じています。高麗王は名目上は王でありながら、実質は元の臣下も同然でした。

史実の忠恵王の家族構成

ドラマ「奇皇后」では、忠恵王はヨンチョル(エル・テムル)の姪と結婚しましたが、史実では初代皇帝クビライのひ孫である徳寧公主と結婚しています。

徳寧公主との間には、後の第29代高麗王の忠穆王が生まれています。また、側室・禧妃尹氏との間に生まれた子供は第30代王・忠定王となりました。

関係 名前 子の名前 備考
忠恵王 第28代王
正妃 徳寧公主 1男1女 忠穆王 第29代王
長寧公主
側室 禧妃尹氏 1男 忠定王 第30代王
銀川翁主林氏 1男 王釈器 謀反の疑いで処刑される
和妃洪氏 子女なし

まとめ

ドラマ「奇皇后」に登場するワンユのモデルは当初、第28代高麗王の忠恵王(チュンヘワン)でした。しかし、史実の忠恵王は暴政と乱行で悪名高く、放送前の激しい批判から急遽、架空の人物に変更されています。

韓国の歴史ドラマでは史実と異なる脚色がよく行われますが、今回は忠恵王の人物像があまりにもかけ離れていたことが変更せざるを得ない原因となりました。とはいえ、ドラマ「奇皇后」は高視聴率を記録し、今なお人気作品として愛されています。

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