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章順王后の家系図【父は世祖の王位奪取に貢献した策士の韓明澮】

策士の韓明澮を父親にもつ章順王后

章順王后とはどんな王妃だったのか?

家系図から詳しく調べてみました。

 

章順王后の家系図

章順王后は韓国でも大きな氏族である清州韓氏一族の出身でした。

清州韓氏の始祖は箕子朝鮮の王族の血を引く、高麗の大功臣である韓蘭(ハン・ラン)です。

<章順王后の家系図>

同じ氏族には、李成桂の第一夫人の神懿王后を始め、仁粋大妃、安順王后(睿宗の継室)、恭恵王后(成宗の妃)などの妃を輩出しています。

<清州韓氏の王妃>

 

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章順王后はどんな王妃だったのか?

章順王后は16歳で、まだ世子だった睿宗に嫁ぎ、世子嬪となりました。

しかし、翌年、男の子を生みますが、産後に健康が悪化して亡くなっています。

たった17年という短い命でした。

そのため、章順王后に関する記録は、ほとんどありません。

 

章順王后のプロフィール

章順王后(チャンスンワンフ)
諡号:徽仁昭徳章順王后
生年:1445年2月22日
没年:1461年1月5日
享年:17歳
夫:睿宗
子女:仁城大君
氏族:清州韓氏
父親:韓明澮
母親:驪興閔氏

 

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章順王后の家族

章順王后の父親は韓明澮で、世祖の大功臣、当時の権力者でした。

妹の恭恵王后も後に第9代王となる仁粋大妃の息子(成宗)に嫁いでいます。

関係 名前 生年-没年 備考
韓明澮 1415-1487
黄驪府夫人 不詳 驪興閔氏
韓堡 不詳
恭恵王后 1456-1474 成宗の正室
不詳 不詳 申澍の妻
睿宗 1450-1469 第8代王
長男 仁城大君 1461-1463 早世

 

章順王后の生涯

1445年、章順王后は韓明澮の娘として生まれました。

1460年に16歳で王世子(睿宗)と婚姻し、世子嬪になっています。

 

翌年の1461年に長男の仁城大君を出産しましたが、産後に健康が悪化して亡くなっています。

章順王后は17歳、睿宗はまだ12歳でした。

 

1468年に睿宗が第8代王として即位すると、章順王后に追尊されています。

亡くなったときは、世子嬪墓として簡素な作りでしたが、追尊されると文臣、馬、羊、虎などの石像が追加されました。

陸名は恭陵です。

 

まとめ

章順王后は、当時まだ世子だった睿宗に嫁ぎ、男の子を生みますが、産後に亡くなっています。

世祖の大功臣で権力者であった韓明澮の娘でした。

 

政略結婚であることは間違いありませんが、あまりにも短い命でした。

その8年後、夫の睿宗も即位後1年2ヶ月、20歳の若さで亡くなっています。

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