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武烈王の家系図【善徳女王のキムチュンチュは実在した王】

武烈王(テジョンムヨルワン)は名を金春秋(キム・チュンチュ)といい、新羅王権を強化した新羅第29代国王でした。

この記事では、武烈王の家系図から善徳女王・金庾信との関係、人物像、家族構成について史実に基づき詳しく解説します。

武烈王の家系図

金春秋(後の武烈王)は、父・金龍樹(真智王の子)と母・天明公主(真平王の娘)の間に生まれました。

真智王は新羅第25代国王、真平王は第26代国王であり、金春秋は両王に連なる王族の直系として、正統な王位継承資格を備えていました。

このように王統の直系として生まれた金春秋は、父・金龍樹(キム・ヨンス)の死後、叔父にあたる金龍春(キム・ヨンチュン)の養子となりました。なお、「三国史記」では金龍樹と金龍春を同一人物とする記述もありますが、真偽は不明です。

武烈王の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<武烈王の家系図>

善徳女王との関係

史実では、天明公主と善徳女王は姉妹とされています。そのため、善徳女王は武烈王の伯母(または叔母)にあたります。

女王の甥という近親関係により、武烈王は王権の中枢で国政や外交といった重要事項に関与し、後に王位に就くための実質的な基盤を築きました。

金庾信との関係

武烈王の正室・文明王后は、名将・金庾信の妹(文姫)です。さらに、三女の智炤公主は金庾信の妻となりました。

こうした二重の姻戚関係は、単なる婚姻にとどまらず、王権と軍事権力を結びつける強固な関係を形成し、新羅の国家運営を支える政治的同盟であったといえます。

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武烈王はどんな王だったのか?

武烈王は即位前から外交手腕を発揮した王でした。新羅の存亡をかけ、自ら唐に出向いて交渉を行い、百済・高句麗に対抗するための同盟関係を築きました。

在位中に三国統一を成し遂げることはできませんでしたが、新羅を窮地から立て直し、次代・文武王による統一事業へとつながる道筋を示した王であったと評価されています。

武烈王プロフィール

新羅29代国王
生年:603年
没年:661年(享年59歳)
在位期間:654年-661年
姓・諱:金春秋(キムチュンチュ)
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武烈王の家族

武烈王には複数の夫人がおり、史料上では11男3女が確認されています

宝羅宮主との間に生まれた最初の息子は幼くして亡くなり、二人目の妻・文明王后との間に生まれた息子の金法敏(ポプミン)が第30代国王(文武王)として王位を継承しました。

また、弟の金仁問(インムン)は、文武に秀でており、王族将軍として兄の文武王を支えました。

関係 名前 備考
養父 金龍春
実父 金龍樹 金龍春の兄
天明公主 善徳女王の姉妹
夫人 宝羅宮主 最初の妻、長男を出産後亡くなる。ミシルの息子宝宗の娘
 長女 古陀炤公主 百済に殺害される
 長男 金文主 早世
王妃 文明王后 金庾信の次妹・文姫
 次男 金法敏 第30代国王・文武王
 三男 金仁問 将軍
 四男 金文王
 六男 金老且
 七男 金智鏡
 八男 金愷元
 三女 智炤公主 金庾信の妻、5男4女
後宮 金宝姫 文明王后の姉、金庾信の長妹
 五男 金皆知文
 九男 金車得
 次女 瑶石公主 僧侶の元暁の妻、子供は大儒学者、薛聡(ソルチョン)
 十男 金馬得
後宮 不詳
 十一男 金仁泰

最初の妻・宝羅宮主

「花郎世紀」によると、最初の妻は美室の孫娘にあたる宝羅(ポラ)でした。宝羅は武烈王が即位する前に結婚して、1男1女をもうけていますが、二人目の男の子の出産後に亡くなっています。

宝羅の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<宝羅の家系図>

長女・古陀炤(コタソ)公主は大耶城主の品釈(プムソク)に嫁ぎましたが、百済侵攻の際に殺害されてしまいます。武烈王にとって、この出来事は後の対百済政策に大きな影響を与えました。

武烈王の生涯(要点)

武烈王の生涯は、新羅が国家存亡の危機を乗り越え、三国統一への基盤を築いた国王でした。

出来事
603 金龍樹と天明公主に間に生まれる
641 百済の侵攻が始まる。娘・古陁炤が殺害される
642 高句麗に支援要請するが失敗
643 唐に支援要請するが失敗
647 毗曇の乱が勃発
648 唐との軍事同盟が成立
654 第29代国王に即位
660 百済滅亡
661 陣中で崩御
676 息子の文武王が三国統一を果たす

詳しい生涯と戦争の経過については、以下の記事で詳しく解説しています。>>武烈王(金春秋)の生涯【三国統一への道を史実で解説】

まとめ

武烈王(金春秋)は王族の直系血統に生まれ、善徳女王との血縁関係や金庾信一族との姻戚関係を背景に、新羅王権を安定させた国王でした。

家系図からは、武烈王が王族の直系として正統な資格をもって即位し、その王位が文武王へと継承されたことが確認できます。また、武烈王が即位前後に示した外交・政治路線は、後の三国統一事業に大きな役割を果たしました。

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