ドラマ「師任堂(サイムダン)、色の日記」に登場する王女・貞順翁主は実在した人物です。朝鮮王朝第11代王・中宗と淑媛李氏の間に生まれた娘でした。
この記事では、貞順翁主の実像と母・淑媛李氏との関係、そして生涯について史料に基づきわかりやすく解説します。
貞順翁主とは?|母は側室・淑媛李氏
貞順翁主は、中宗と側室・淑媛李氏の間に生まれた王女です。中宗実録には次のように記されています。
淑媛 李氏生二女。 曰貞順翁主, 下嫁礪城尉 宋寅; 曰孝靜翁主, 下嫁淳原尉 趙義貞
<仁宗実録:仁宗1年1月24日の条>
貞順翁主のプロフィール
性格や言動などに関しては史料に記録が残っておらず、ドラマにおける貞順翁主のイメージは脚本家の脚色によるものと考えられます。
本名:李貞環(イ・チョンファン)
生年:1517年12月6日
没年:1581年8月25日(享年:65歳)
母・淑媛李氏
貞順翁主の母は淑媛李氏ですが、その詳細な経歴はほとんど史料に残っていません。中宗の寵愛を受けた側室であったことは確かですが、入宮の経緯や人物像については不明な点が多い人物です。淑媛李氏は次女を出産した後に亡くなったとされます。
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貞順翁主は中宗と淑媛李氏の間の長女として生まれ、2年後には妹の孝静翁主(李順環)が誕生しています。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<貞順翁主の家系図>
淑媛李氏には妹・銀代がいたとされ、尚宮として宮廷に仕えていたと伝えられています。夫の宋寅は礪山宋氏の一族で、祖父の宋軼は領議政を務めた人物でした。
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貞順翁主の性格については、史料に明確な記録がありません。ドラマで描かれた貞順翁主の我儘な性格は脚本家による脚色と考えられます。
史実として確認できることは、王女としての身分と婚姻、そして生涯の出来事に限られます。
貞順翁主の家族
貞順翁主は12歳のときに、宋寅と結婚し、息子を一人もうけました。
子供:宋惟毅(ソン・ユイ)
宋寅には妾とその子供の宋惟浪と宋惟純がいたとされています。
叔母・銀代に関する記録
中宗実録に記された二つの文から、銀代が母・淑媛李氏の姉妹であることが推測されます。
銀代者, 非如他人, 本主之同生也。
本主卽孝靜翁主母(李淑媛)也。
<中宗実録:中宗39年6月4日>
本主とは孝静翁主(貞順翁主の妹)の母・淑媛李氏である。
※同生とは同じ母から生まれたこと。つまり、姉妹であることを示しています。
銀代が関与してとされる事件
貞順翁主の叔母・銀代については、実録に次の事件に関与したと記されています。
・豊加伊という人物が亡くなった事件
・宋寅と内通した婢女の子が殺害された事件
しかし、銀代が関与した直接的な証拠がなく、流刑で終わり、強い不満が残ったとされます。なお、史料からは、貞順翁主がこれらの事件に関与した記録は確認されていません。
貞順翁主の生涯
貞順翁主は王女として生まれ、若くして婚姻し、その後も長く生きた人物でした。
<生涯>
| 年月日 | 年齢 | 出来事 |
| 1517年 | 1 | 12月6日に中宗の娘として生まれる |
| 1520年 | 4 | 母の淑媛李氏が妹を出産後、亡くなる |
| 1526年 | 10 | 翁主に封じられ、宋寅が駙馬に選ばれる |
| 1528年 | 12 | 宋寅と結婚する |
| 1536年 | 20 | 宋惟毅が生まれる |
| 1581年 | 65 | 8月25日に病気で亡くなる |
駙馬(ふば)とは翁主の夫のことを意味しています。
まとめ
ドラマ「師任堂(サイムダン)、色の日記」に登場する王女のモデルは中宗の娘・貞順翁主でした。
史料において、彼女の性格や人物像に関してはほとんど記録がなく、ドラマで描かれる性格や行動の多くは創作と考えられます。
母方の叔母にあたる銀代が宮中で影響力を持ち、大きな事件に関係した記録がみられますが、貞順翁主がこうした事件に関与した記録は存在しません。