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ドラマ「奇皇后」の実話【ドラマでは描かれなかった真実】

ドラマ「奇皇后」は史実に基づく部分が少なく、歴史学者からも「30話まで実話がない」と批判されました。物語には架空の出来事や人物も登場します。

ここでは、史実に基づく奇皇后の生涯を整理し、ドラマとの違いを明らかにします。

ドラマ名と史実の人物名の対応一覧

「奇皇后」に登場する実在の人物は史実名ではなく、ドラマ名を使っています。ドラマ名と史実名の対応を整理しておきます。

ドラマ名 史実名 備考
スンニャン/奇皇后 奇皇后
タファン トゴン・テムル 第11代皇帝
ダナシリ タナシルリ トゴン・テムルの皇后
タンキシ タンギセ タナシルリの兄
エル・テムル ヨンチョル タナシルリの父
ペガン バヤン 武将
タルタル トクト バヤンの甥
バヤンフト バヤンクトゥク ボロト・テムルの娘

以下の実話は分かりやすさを優先してドラマ名で記述しています。適時、史実名を併記。

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貢女として元に送られた少女

奇皇后は1315年頃、下級官僚の父・奇子敖の末娘として生まれ、名門の血筋ながら家は貧しく、14歳頃に貢女として元に送られました。

一方、タファン(トゴン・テムル)は、1330年頃、高麗の大青島に流刑となり、さらに遠方の広西・静江府へと送られました。皇位を狙う脅威とみなされたためです。

ドラマで描かれるような二人の出会いや暗殺未遂は史実には存在せず、完全な創作です。

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皇帝トク・テムルの死と弟リンチンバル即位

1332年、皇帝トク・テムルは28歳で急死すると、遺言で兄コシラの長男・タファン(トゴン・テムル)を後継にと望みました。

しかし、摂政エル・テムル(ヨンチョル)は自らの権力維持のため、遺言に反してトク・テムルの息子ではなく、幼いリンチンバルを即位させます。

当時タファン(トゴン・テムル)は流刑中でした。この史実がドラマ導入部の背景です。

トク・テムル逝去時の皇族の系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<トク・テムル逝去時の皇族の系図>

タファンの第11代皇帝即位

弟・リンチンバルの急死後、流罪先から呼び戻されたタファン(トゴン・テムル)は13歳で第11代皇帝に即位しました。

当初、即位は将軍エル・テムルに妨害されますが、半年後にエル・テムルが逝去。武将ペガン(バヤン)の後押しで即位しています。

皇帝の寵愛を受ける奇皇后

高麗から貢女として元に送られた奇皇后は、美貌と才覚で高麗出身の宦官・高龍普(コ・ヨンボ)の目に留まり、宮女として推薦されました。彼女はトゴン・テムルの茶の世話を任され、聡明で機転の利く性格から次第に寵愛を受けるようになります。

この出来事は「元史」に記録されており、ドラマでスンニャン(奇皇后)がタファンにお茶を差し出す場面の史実的背景と考えられます。

史実の詳しくはこちら>>奇皇后の史実【元史が語る知られざる真の姿とは?】

皇后ダナシリの嫉妬と一族の滅亡

奇皇后が寵愛を受けると、嫉妬深いダナシリ皇后は彼女を激しくいじめ、鞭で打つこともあったと「元史」に記録されています。しかし、奇皇后は耐え抜きました。

やがて権勢を誇ったエル・テムル一族は衰退。ダナシリの兄タンキシが謀反を起こしますが、丞相ペガンに鎮圧され一族は処刑。ダナシリ皇后も廃位され流刑の上、殺害されています。

タナシリについて詳しくはこちら>>奇皇后のタナシルリは実在した皇后【15歳の少女の実像とは】

第二皇后への昇格と息子の誕生

ダナシリ死後、1337年にバヤン・クトゥクが皇后となります。1340年、奇皇后は息子のアユルシリダラを出産。トクト(タルタル)と協力してペガン(バヤン)を追放し、奇皇后は第二皇后に冊立され、政権掌握の基盤を得ます。

政権掌握と息子の皇太子冊立

第二皇后となった奇皇后は、政治を顧みず酒色に溺れるトゴン・テムルに代わり権力を握り始めます。

1353年頃から高麗出身の宦官や腹心を重用し、資政院を改編して高龍普を長官に据え財政を掌握。さらに、高麗出身の側近・朴不花を軍の要職に就けて軍権も支配しました。

こうして基盤を固めた奇皇后は息子アユルシリダラを皇太子に立てることに成功します。

反元政策と奇氏一族の滅亡

高麗の奇氏一族も妹の威光を背に専横を極め、特に兄・奇轍は王を軽んじるほどの横暴を振るったと伝えられています。

しかし、1351年、高麗王に即位した恭愍王は、元の衰退と明の台頭を見て反元政策を推進しました。1356年には謀反を理由に奇轍ら奇氏一族を処刑し、親元勢力を一掃します。

これにより奇氏は完全に滅亡しました。

クーデター未遂と正皇后への昇格

1364年、政治に無関心なトゴン・テムルに業を煮やした奇皇后は、皇太子即位を狙うクーデターを計画しますが、発覚して一時軟禁されています。

奇皇后にとって危機的な状況でしたが、1365年に皇后バヤン・クトゥクが逝去すると、遂に念願の正皇后に昇格。高麗の貢女から元の皇后へと上り詰めました。

北への逃亡と夫と息子の死

1368年、元の防衛軍が明軍に敗北し、朱元璋の軍は大都(北京)を占領して北平府と改称、元の中国支配は終焉を迎えました。1370年、夫トゴン・テムルが応昌府で死亡すると、息子アユルシリダラが北元皇帝に即位し、奇皇后は皇太后となります。

その後も明軍の攻勢が続き、アユルシリダラは1371年にカラコルムに逃亡、その後劣勢となり1378年、38歳で亡くなりました。

元の滅亡と奇皇后の最後

北元最後の砦である大尉ナガチュ率いる20万の大軍が明軍に敗北します。さらに1388年、皇帝トグス・テムルが逃亡途中で殺害され、ついに元は滅亡しました。

悲惨な末路をたどった奇皇后ですが、彼女がいつ、どこで亡くなったかは不明です。最後に高麗へ戻ったとする説もありますが、定かではありません。

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実在した登場人物

ドラマ「奇皇后」には実在した人物やモデルになった人物が多く登場しています。

登場人物  実在 or モデル  備考
スンニャン  奇皇后 順帝の3番目の皇后
ワン・ユ  忠恵王 第28代高麗王
タファン トゴン・テムル 元の第11代皇帝
タファンの父 コシラ 元の第9代皇帝
タナシルリ ダナシリ 順帝の最初の皇后
皇太后 ブダシリ 順帝の叔母
ヨンチョル エル・テムル タナシルリの父
タンギセ タンキシ タナシルリの兄
ペガン バヤン トクトの伯父
タルタル トクト バヤンの甥
ワン・ゴ 王暠 ワン・ユの叔父
キ・ジャオ 奇子敖 奇皇后の父
オクプン 李氏 奇皇后の母
トクマン 高龍普 高麗出身の宦官
パク・ブルファ 朴不花 高麗出身の宦官、奇皇后の右腕
ワン・ユの父 忠粛王 第27代高麗王
カンヌンテグン 江陸大君(恭愍王) 第31代高麗王、忠恵王の弟
バヤンフト バヤンクトゥク 順帝の2番目の皇后
アユルシリダラ アユルシリダラ 奇皇后と順帝の息子

漢字表記がドラマの人物名

実は、トゴン・テムルの漢字表記「妥懽帖睦爾」を韓国読みすると「タファンチョプモギ」、最初の2文字「妥懽」から「タファン」と名前を付けたのです。

同様に、ドラマで人気が出たタルタルですが、モデルのトクトの漢字表記は「脱脱」、これを韓国語読みすると「タルタル」になります。

バヤンの漢字表記「伯顔」の韓国語読みは「ペガン」です。

まとめ

奇皇后は高麗の貢女という身分から元の皇后まで上り詰め人物です。

波乱に満ちながらも華やかだった人生である一方、夫トゴン・テムルや息子の死、明軍の侵攻、北元の滅亡と悲劇的な最期を迎えています。現在、没年、没地さえも分かっていません。

また、史実は断片的で、ドラマ「奇皇后」に描かれた物語の多くは創作であり、史実とは異なる点が多いことが分かります。史実とドラマの違いを理解することは、より正確に奇皇后の生涯を知る手助けとなるでしょう。

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