ドラマ「馬医」のスッキ王女は実際に痘瘡で死んだのか?
実在したスッキ王女の生涯は?
スッキ王女のモデルとなった淑徽公主(スクフィコンジュ)の史実を詳しくご紹介します。
スッキ王女のフィクションと史実
スッキ王女(淑徽公主)が痘瘡にかかったのはドラマのフィクションです。
痘瘡は天然痘として知られている世界的に大流行した恐ろしい感染病でした。
痘瘡(天然痘)で何人かの王女が死んだことが朝鮮王朝実録に記録されていますが、スッキ王女(淑徽公主)が痘瘡にかかった記録はありません。
また、ペク・クァンヒョンのモデルになった実在の白光炫が内医院に推薦されたころ、スッキ王女は夫を亡くしています。
ドラマのようなペク・クァンヒョンとスッキ王女の出会は無かったでしょう。
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スッキ王女(淑徽公主)の家系図
スッキ王女の父親は第17代国王の孝宗、実の兄は第18代国王の顕宗です。
<スッキ王女の家系図>
第19代国王の粛宗は顕宗の息子なのでスッキ王女の甥にあたります。
つまり、スッキ王女は粛宗のおばさんですね。
このように、スッキ王女は王室の中心で何も問題なく育ちました。
実在したスッキ王女
スッキ王女は孝宗が人質として清で暮らしていたときに生まれています。
生年:1642年2月17日
没年:1696年10月27日
享年:55歳
父:孝宗(鳳林大君)
母:仁宣王后
1649年に父親が孝宗として即位したので、「淑徽公主(スッキコンジュ)」と公主になりました。
唯一の男兄弟である兄の李棩は、後の第18代国王・顕宗になります。
スッキ王女(淑徽王女)の家族
スッキ王女は兄以外は女性の姉妹8人の中で育ちました。
<スッキ王女の家族>
第17代国王・孝宗 | 生母 | 子供 | |
正室 | 仁宣王后 | 淑慎公主 | 貢女として清に行く途中で亡くなる |
淑安公主 | |||
淑明公主 | |||
顕宗 | 第18代国王 | ||
淑徽公主 | スッキ王女 | ||
淑静公主 | |||
淑敬公主 | |||
義順公主 | 養女 | ||
側室 | 安嬪李氏 | 淑寧翁主 |
スッキ王女(淑徽公主)の結婚
実在のスッキ王女は、1653年10月2日に20歳で鄭維城(右参賛)の孫・鄭齊賢(チョン・チェヒョン)と結婚します。
そして、24歳で息子の鄭台一(チョン・テイル)を生んでいます。
夫:鄭齊賢(チョン・チェヒョン)
子:鄭台一(チョン・テイル)
しかし、可哀想なことに息子を生んだ翌年に、夫を亡くして21歳で未亡人となってしまいます。
さらに、44歳のときには25歳になった息子の鄭台一も亡くなってしまいます。
跡継ぎがいなくなったスッキ王女は養子をもらいますが、なんとも薄幸な人生だったといえます。
スッキ王女は1696年10月27日に享年55歳で亡くなっています。
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スッキ王女役のキム・ソウン
馬医で型破りのスッキ王女を演じたのはキム・ソウンです。
キム・ソウンは子どもの頃からドラマに出演、大学も中央大学演劇映画科を卒業するなど、女優への憧れが感じられます。
馬医の監督は尊敬するイ・ビョンフン監督ということで大変緊張したそうですが、出演が決まってからは、監督の作品を何回も見直し勉強したと語っています。
しかし、監督からは従来にない規格外の王女を望まれ、出来上がったスッキ王女のやんちゃで愛らしいイメージは視聴者から大反響を得ることになりました。
キム・ソウンは「馬医」で2012年MBC演技大賞の女優新人賞を受賞しています。
まとめ
スッキ王女のモデルとなった淑徽公主には痘瘡にかかった記録がなく、ドラマの設定はフィクションですです。
史実の彼女の人生は若くして夫と息子を亡くした薄幸の人生でした。
しかし、粛宗が亡くなる前のスッキ王女を直々に見舞いに来るなど、愛され大切にされていた王女であったことは間違いありません。
そのため、ドラマ「馬医」のスッキ王女は薄幸を全く感じさせない「愛されキャラ」として描かれています。