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朝鮮王朝時代で国王になれなかった世子

世子とは、王位継承者であることを約束された王子のことです。

朝鮮王朝時代に次期国王を約束されながら、国王になれなかった世子たちがいます。

廃位、殺害、病死。なぜ、国王になれなかったのか、その真実に迫ります。

廃位された世子

譲寧大君は女性関係と素行不良により、朝鮮王朝で始めて廃位された世子でした。代わって世子となった実弟の忠寧大君は後に名君の世宗として名を残しています。

燕山君の息子のイ・ファンと光海君の息子・イ・ジは共にクーデターにより国王が廃位され、世子の座を略奪されています。

世子 生年-没年 国王 廃位の原因
譲寧大君 1394-1462 太宗 素行不良による
イ・ファン 1498-1506 燕山君 中宗反正で廃位
イ・ジ(李祬) 1598-1623 光海君 仁祖反正で廃位
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殺害された世子

李芳碩は朝鮮王朝最初の世子ですが、17歳のときに王位を狙った李芳遠(太宗)により殺害されました。後に宜安大君(ウィアンテグン)と追号されています。

荘献世子は父親の英祖により殺害されました。荘献世子の精神からくる異常な行動により、英祖が米びつに閉じ込めて殺害した話は有名です。

世子 生年-没年 国王 廃位の原因
李芳碩 1382-1398 太祖 第一次王子の乱で殺害される
荘献世子 1735-1762 英祖 米びつに閉じ込められて殺害される
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病死した世子

昭顕世子は8年間、清に人質になっていましたが、帰国後2ヶ月で病死しています。清に心酔する昭顕世子を心良く思わなかった仁祖による毒殺との噂もあります。

孝明世子は純祖に代わり代理聴政を行うなど、その功績から聡明な世子として知られていますが、22歳の若さで病死しています。

世子 生年-没年 国王 廃位の原因
懿敬世子 1438-1457 世祖 病死
昭顕世子 1612-1645 仁祖 毒殺の疑いもある
孝章世子 1719-1728 英祖 病死
文孝世子 1782-1786 正祖 病死(麻疹)
孝明世子 1809-1830 純祖 病死

追贈された世子/世孫

実質的な王位継承者ではありませんでしたが、特別な理由で追贈された子供もいました。

懿昭世孫は荘献世子の息子で正祖の兄にあたりますが、2歳で病死しています。死後、父親が荘献世子に追尊されると、懿昭世孫の諡号を追贈されました。

世子 生年-没年 国王 備考
懿昭世孫 1750-1752 英祖 病死

王の息子の称号

王の息子(王子)の称号について解説します。

王子の称号|大君と君

王子を名前で呼べるのは親近者(王様や王妃)だけです。そこで、王子は成長すると称号が与えられます。

正室から生まれた王子は〇〇大君(テグン)、側室から生まれた王子は○○君(グン)という称号で呼ばれます。

英祖も本名はクムですが、5歳のときにヨニングン(延礽君)という称号が与えられました。

王位継承者|世子と元子

王位継承者(次に王になることを認められた人)は世子(セジャ)と呼ばれます。王世子(ワンセジャ)とも言います。

朝鮮は中国の従属国だったので、正式に世子になるためには中国皇帝の承認が必要でした。そこで、まだ世子として中国に認められていない跡継ぎを元子(ウォンジャ)と言います。

王に息子がいない場合は孫や弟が世子なる場合があります。例えば、英祖の孫の正祖は世孫(セソン)、英祖自身が景宗の世弟(セジェ)でした。

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