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朝鮮王朝の科拳制度【官僚の登竜門であった科拳】

よくドラマに登場する科拳とは?

科拳とはどんな試験なのか?

朝鮮の科拳制度について詳しくご紹介します。

科挙とは官僚の登竜門

朝鮮王朝時代に官僚になるためには、超難関の科拳に合格する必要がありました。

科拳は3年に1度、定期的に実施される科拳(式年試)、王の即位などの慶事に実施される科拳(増広試)、王命により臨時に実施される科拳(別試)などがありました。

科拳 読み方 実施のタイミング
式年試 シンニョンシ 3年に1度、定期的に実施
増広試 チュングァンシ 王の即位、王妃や世子の冊立などの慶事に実施
別試 ピョルシ 王命により臨時に実施
外方別試 ウェバンピョルシ 王の幸行の際に、その地方で実施
庭試 チョンシ 国家慶事のときに王宮内で実施
謁聖試 アルソンシ 王が文廟に参拝した時に成均館で実施
春塘台試 チェンダンデシ 国家慶事のときに春塘台で実施

科拳制度が始まったのは、958年の高麗初期の時代でした。

当初は文科のみで一時期を除いて武科はありませんでした。

 

武科が重要視されだしたのは、武将出身の李成桂が建国した朝鮮時代からです。

李成桂は即位の教書で「文武両科は一方に偏って他方を廃すべきではない」と語っています。

 

本来、両班(ヤンバン)とは、文科と武科の両方に合格した一代限りの文武官僚でした。

しかし、次第に出身層は固定化し、両班階級と呼ばれる特権階級を形成していきました。

 

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科挙の種類

科拳には文官を選抜するための文科、武官を選抜するための武科、通訳官や医官などの専門技術官を選抜するための雑科と呼ばれる試験がありました。

科拳の種類 区分 備考
文科 小科 成均館の入学者を選抜
大科 文官(官僚)を選抜
武科 武官を選抜
雑科 訳科 通訳官を選抜
医科 医官を選抜
陰陽科 天文官を選抜
律科 律官を選抜

 

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官僚までの道のり

文科に合格するために、まず、小科に合格して成均館に入学する必要があります。

成均館に入学後は、寄宿舎生活をしながら勉強し、官僚に就くための大科の試験に臨みました。

 

小科は初試、覆試の2回、大科は初試、覆試、殿試の3回の試験に合格する必要があります。

殿試は王の面前で行われる最終試験です。

科拳の種類 分類 試験の種類 備考
文科 小科 初試(チョシ) 一次試験
覆試(ボクシ) 二次試験
大科 初試 一次試験
覆試 二次試験
殿試(チョンシ) 最終試験

 

武科に合格するためには、初試、覆試、殿試の3回の試験に合格する必要がありました。

初試は地方で実施される一次試験で、覆試は漢陽で実施される二次試験です。

最終試験は王または高官の面前で行われました。

科拳の種類 試験の種類 分類 備考
武科 初試 一次試験
覆試 講書 四書五経や武芸書の試験
武芸 武芸技術の試験
殿試 最終試験

 

科挙の合格者

文科では大科の初試に合格した240名のうち、覆試で選抜された33名が最終試験の殿試を受験することができました。

最終試験では「甲、乙、丙」の成績順位が付けられます。

成績順位により、官僚生活のスタート時点から品階の差が付けられるだけでなく、出世の速度にも影響が及びました。

 

武科に合格するためには、初試、覆試、殿試の3回の試験に合格する必要がありました。

武科の初試合格者の190名は、漢陽での覆試で28名に絞られます。

覆試の合格者28名は、文科同様、殿試の最終試験を受けて、甲、乙、丙の成績順位が付けられました。

 

科挙の恐ろしいほどの難易度

科拳は基本的に3年に1回実施され、文官33名、武官28名が選抜されるという、驚くべき超難関試験であり、合格者は一握りの超エリートと言えました。

その競争率はとても高く、何と3000倍の超難関だったとも言われています。

従って、甲の合格者は自身だけでなく、家門の誇りでした。

 

科挙の不正行為(カンニング)

科挙の合格が一族の将来を決定するため、家門を上げて超難関の科拳に臨むことになります。

そこで、当然、数多くのカンニングなどの不正行為が横行しました。

どれも時代劇ドラマでよく見られる不正行為ですね。

不正行為の種類 内容
不正品の持ち込み 試験場にカンニングペーパーなどを持ち込む
替え玉受験 別の人間が試験を受けること
出題問題を聞き出す 賄賂などで試験官から事前に問題を教えてもらうこと
盗み見 他人の回答を盗み見ること
答案用紙のすり替え 事前に用意していた答案用紙とすり替えること
場所の確保 試験に有利な場所を代理人が確保すること

 

まとめ

徐々に増広試、別試といった臨時の試験が頻繁に実施されるようになり、3年に1回実施される式年試の権威は落ちていきました。

また、不正行為が横行し、科拳は形骸化していきます。

更に、朝鮮時代の後期になると官職が売買されるようになり、科拳制度は益々腐敗化していきました。

1894年、科拳制度は甲午改革により廃止されています。

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