この記事でわかること
イバンウォンが最も寵愛した側室とは?
イバンウォンの側室は何人いたのか?など
では、詳しくご紹介しいきます。
側室プニは実在したのか?
プニは、ドラマ「六龍が飛ぶ」でシン・セギョンが演じて一躍注目された女性ですが、彼女は架空の人物です。
ドラマの中の彼女は、幼い頃に母が失踪、兄は行方不明で貧しい身分でしたが、チョン・ドジョンの新国家を夢見る行動力のある女性でした。
また、劇中、元敬王后からイバンウォンの側室になることを勧められます。しかし、史実にこのような境遇や出身、性格に一致する側室は確認されていません。
【PR】スポンサーリンク側室キムは実在したのか?
一方で、ドラマ「太宗イ・バンウォン」に登場する側室キムは実在した孝嬪金氏がモデルです。
生年-没年:不詳-1454年
本貫:不詳(奴婢出身)
父:不詳
子ども:敬寧君
特徴:奴婢から側室への異例の出世
孝嬪金氏は正室・元敬王后の実家の奴婢でしたが、イバンウォンが即位する前から寵愛を受けていたともいわれています。そのため、息子の敬寧君の誕生時期には、1396年(即位前)と1402年(即位後)の二説があります。
太宗実録(1415年12月15日)では壬午の年と記録されており、1402年の即位後が有力です。
詳しくは>>孝嬪金氏の家系図【母子ともに殺されかけた奴婢出身の側室】をご覧ください。
【PR】スポンサーリンク最も寵愛した側室:信嬪辛氏とは?
数多くの側室の中でも、イバンウォンが最も寵愛したのは信嬪辛氏でした。
生年-没年:1377年-1435年
本貫: 龍山辛氏(名門)
父:辛永貴
子ども:孝寧大君(長男)など多数
特徴:王妃並みに信頼された側室
信嬪辛氏はもともと正室・元敬王后に仕える奴婢でしたが、1402年に諴寧君(カンニョングン)を出産したことで寵愛を受け、その後2男7女をもうけました。
イバンウォンが娘・貞静翁主を側近中の側近・趙末生の長男と結婚させたことから、信頼の厚さがうかがえます。
元敬王后の死後には宮中の事務を任され、他の高位の側室を差し置いて内政を担うなど、単なる側室を超えた存在でした。イバンウォンの死後は出家して仏門に入り、冥福を祈り続けたと伝わっています。
イバンウォンが多くの側室を抱えた理由
イバンウォンが多くの側室を抱えた背景には、複数の政治的および個人的要因がありました。
・王権の安定
・外戚(王妃の実家)への警戒
・正室との不仲
・心の安定を側室に求めた
こうした事情が複雑に絡み合い、結果的に20人以上の側室を持つことになったと考えます。
外戚への警戒と元敬王后との不和|側室重用の背景
イバンウォンと正室・元敬王后は、結婚当初は良好な関係にあったとされていますが、即位後にイバンウォンが外戚を政敵と見なしてからは次第に二人の中に不和が生じていきました。
元敬王后は名門・驪興閔氏の出身で、イバンウォンが王位に就けたのは閔氏一族の力によるところが大きかったとされます。従って、イバンウォンは王妃の実家である「外戚」が王権に干渉することを非常に警戒していました。
そのため、政治的に影響力の少ない身分の低い側室たちを重用し、王妃と側室の間に明確な「政治的距離」を置いていたと考えられます。
元敬王后と不和に陥っていく状況はドラマ「太宗イバンウォン」や近年の「元敬」に詳細に描かれています。
イバンウォンの側室は何人?
イバンウォンは妓生さえも側室として入宮させ、最終的には20人以上の側室を持っていたとされています。
以下に、史料に残る代表的な側室とその子どもを示します。
<イバンウォンの代表的な側室と子供>
側室 | 子女数 | 子供 | 備考 |
孝嬪金氏 | 1男 | 敬寧君 | 李裶、孝嬪は奴婢出身 |
信嬪辛氏 | 2男7女 | 諴寧君 | 李裀 |
温寧君 | 李裎、癸酉靖難に参加 | ||
貞静翁主 | 趙末生の長男趙璿の妻 | ||
淑貞翁主 | |||
貞信翁主 | |||
淑寧翁主 | |||
昭信翁主 | |||
昭淑翁主 | |||
淑慶翁主 | |||
善嬪安氏 | 2男2女 | 恵寧君 | 李祉 |
益寧君 | 李袳 | ||
敬慎翁主 | |||
淑安翁主 | |||
懿嬪権氏 | 1女 | 貞恵翁主 | |
昭嬪盧氏 | 1女 | 淑恵翁主 | |
淑儀崔氏 | 1男 | 熙寧君 | 李袉 |
徳淑翁主 | 1男 | 厚寧君 | 李衦 |
貞嬪高氏 | 1男 | 謹寧君 | 李襛 |
明嬪金氏 | 1女 | 不詳 |
よくある疑問(FAQ)
- Q:プニは史実に登場しますか?
A.いいえ、プニはドラマ「六龍が飛ぶ」に登場するオリジナルキャラクターで、史実には存在しません。 - Q:「太祖・イ・バンウォン」の側室キムは存在した人物ですか?
A.はい、側室キムのモデルは実在した孝嬪金氏です。奴婢出身ながら側室となり、子どもももうけました。 - Q:イバンウォンが最も寵愛した側室は誰ですか?
A.信嬪辛氏が最も寵愛されたとされています。彼女は高い地位を与えられ、政治的にも信頼されました。 - Q:イバンウォンには側室が何人いましたか?
A.記録によると、イバンウォンには20人以上の側室がいたとされています。ただし、全員の名前や出自が明らかになっているわけではありません。
まとめ
史実のイバンウォン(太宗)の側室は20人以上にのぼり、妓生も含まれていました。
イバンウォンが多くの側室を抱えた背景には、正室との不仲説、後継者の確保、王室の基盤強化、そして外戚の勢力排除など、複合的な要因があったといいます。
しかし、根底には外戚(王妃の親族)を嫌ったイバンウォンが、政治的な脅威を感じる必要がない側室たちに心の安定を求めた側面が大きかったと考えます。