トンイに登場するイニョン王妃(仁顕王后)は実在した王妃でした。
イニョン王妃は廃位されますが、朝鮮王朝で生存時に復位した唯一の中殿です。
しかし、史実でのイニョン王妃の人生はドラマ以上に悲劇だったようです。
ドラマでのイニョン王妃の言葉「心が痛む」は、史実でのイニョン王妃の心の内を表した言葉ではないでしょうか。
史実のイニョン王妃は悲劇の中殿
<トンイに登場するイニョン王妃>
トンイに登場するイニョン王妃は、トンイを命がけで助ける健気な王妃でしたが、史実はドラマのイメージと少し違うようです。
実際には最後まで、粛宗の寵愛を受けることなく、政治に振り回され続けた王妃でした。
最初の王妃・仁敬王后が天然痘で19歳の若さで亡くなったあとに、イニョン王妃は14歳で王妃として迎えられます。
礼儀正しく、徳があり、民からも慕われていたようです。
廃位による庶民への降格
イニョン王妃には子供ができませんでした。
張禧嬪は針房女官として宮中に入り、粛宗からの寵愛を受けますが、明聖王后(粛宗の母)により、一度、宮廷から追われていました。
しかし、イニョン王妃に子供ができなかったことで、南人派が再び、張禧嬪を宮廷に送り込みます。
<トンイに登場する張禧嬪>
張禧嬪は粛宗からの寵愛を受けて、昀(ユン)を生み、側室の最上位の「嬪」にまで昇進します。
子供を生んだことで、粛宗の寵愛は益々張禧嬪に集中しました。
そして、とうとう粛宗が子供の昀(ユン)を元子(ウォンジャ)にすると主張し始めます。
イニョン王妃を推す西人派は粛宗に強く反対しますが、なんと粛宗はこれを無視して反対する西人派を一掃してしまいます。
そして、西人派による反対の黒幕はイニョン王妃であると思った粛宗は、イニョン王妃を残酷にも廃妃として庶民に降格してしまいました。
明らかに、張禧嬪を王妃に、昀(ユン)を世子にするためです。
イニョン王妃と西人派については>>仁顕王后の家系図【4人の妃を輩出した驪興閔氏の系図を徹底調査】をご覧ください。
これにより、政権の主力は西人派から張禧嬪を推す南人派に移ります。
張禧嬪をバックアップする勢力が政権を握った出来事を歴史では己巳換局(キサファングク)と呼んでいます。
イニョン王妃の復位と無念の死
張禧嬪の謀略でイニョン王妃は廃妃されてしまい、張禧嬪が念願の王妃となります。
そして、王妃になった禧嬪張の力は益々強くなり、後ろ盾の南人派が勢力を拡大していきます。
すると、粛宗は南人派の勢力が増大することを恐れ、今度は、イニョン王妃を妃に復位することで張禧嬪の後ろ盾の南人派を抑えようと企てます。
粛宗の巧みな政治運営です。
この政権交代劇は庚戌換局(カプスルファングク)と呼ばれ、これにより張禧嬪は王妃から元の「嬪」に降格されてしまいます。
イニョン王妃は1694年の庚戌換局で王妃に復位しますが、長い間の心労のためか、張禧嬪と対立しているなかで亡くなります。
享年34歳でした。
廃位されたときに、イニョン王妃に対して宮廷は一切恩恵を与えませんでした。
そのため、イニョン王妃の暮らしは可愛そうなほど酷く質素だったといいます。
イニョン王妃にとって粛宗を愛していたのに、振り向いてくれない苦しさの毎日。
「心が痛む」。。。ドラマの中でイニョン王妃が宮中の女性に何度か口にした言葉です。
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史実と違うドラマでのイニョン王妃の廃位の理由
ドラマでのイニョン王妃は、張禧嬪とその兄の張希載(チャン・ヒジェ)の陰謀により廃位させられます。
粛宗の母である明聖王后(ミョンソンワンフ)の煎じ薬に細工をして殺害したという嫌疑でした。
しかし、これは史実とは違います。
その理由は、史実では張禧嬪が宮廷に戻ってきたのは、明聖王后が亡くなった後だからです。
だから、このような事件が起きることはありえません。
また、明聖王后が亡くなった原因は、天然痘にかかった粛宗の回復を願って、断食して冷たい水を被ったことが原因でした。
イニョン王妃の廃位の理由は、張禧嬪の子供の元子擁立に反対した西人を粛宗が一掃したかったからです。
これによって、張禧嬪の後ろ盾である南人の勢力が拡大して、西人を後ろ盾にしていたイニョン王妃は廃位に追い込まれてしまいます。
粛宗は張禧嬪の子供が元子になることを反対している黒幕はイニョン王妃であると考えていたとも言われています。
ドラマでは、廃位されたイニョン王妃は小さな家で尚宮と暮らしていますが、史実では実家に戻されたようです。
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イニョン王妃の死因
イニョン王妃の死因は、廃位のときの困窮生活による体調の悪化といわれています。
もともと、イニョン王妃は体が丈夫ではありませんでした。
心臓が悪かったとも言われています。
廃位になったイニョン王妃は実家に戻りますが、宮廷からの恩恵がなく酷く貧しい暮らしでした。
そんな暮らしが1689年に廃位されてから1694年に復位するまで5年間も続きました。
<イニョン王妃が廃位中に暮らした感古堂 >
宮殿に戻ったイニョン王妃ですが、体調は回復せずに1701年に亡くなります。
享年35歳の若さでした。
亡くなるまでの2年間は闘病生活だったといいます。
イニョン王妃のお墓
イニョン王妃は京畿道高陽市にある西五陵の明陵に肅宗と一緒に眠っています。
生前は肅宗に愛されることなく、党派の争いの犠牲になり、波乱万丈の生涯を送ったったイニョン王妃でした。
しかし、死後は肅宗の隣で静かに眠っていることを考えると少しは心がホットしますね。
イニョン王妃の前の中殿・インギョン王妃
ドラマ「トンイ」には出てきませんが、粛宗には王妃が4人いました。
その王妃とは、粛宗の最初の王妃であるインギョン王妃(仁敬王后)です。
インギョン王妃は粛宗がまだ世子のときにわずか10歳で世子檳となります。
その後、1674年に粛宗が第19代国王になったことで王妃となりました。
インギョン王妃は二人の王女を出産しますが、二人の子供は共に小さいときに亡くなってしまいます。
また、1680年にインギョン王妃も19歳で天然痘を発病して若くして亡くなっています。
発病後、たったの8日の出来事でした。
インギョン王妃が亡くなった翌年にイニョン王妃が王妃として迎い入れられます。
インギョン王妃は参考文献も少なく、目立ったトピックスもないので、ドラマで描かれることもほとんどありません。
最近のドラマではキム・テヒとユ・アインが共演した「チャン・オクチョン」に登場しています。
イニョン王妃役の美人な女優さんは誰?
トンイで王妃を演じた女優さんはいずれも美人でしたね。
イニョン王妃を演じたパク・ハソン
<イニョン王妃役のパク・ハソン>
生年月日:1987年10月22日
(2025年02月05日現在、37歳)
出生地:韓国ソウル特別市
身長:165cm
血液型:B型
学 歴:東国大学演劇映画学科
配偶者:リュ・スヨン
パク・ハソンさんは高校生の時に街なかでスカウトされて芸能界に入ります。
2005年に「愛は奇跡が必要」でドラマデビューしています。
その後、多くのドラマや映画に出演しますが、2017年1月にドラマ「TWO WEEKS」で共演したリュ・スヨンさんと結婚しました。
そして、その年の8月には第一子の女の子を出産しています。
トンイに出演したときは時代劇の経験も少なく、ほとんど新人のような存在でしたが、イニョン王妃を見事に演じていました。
パク・ハソンさんはイニョン王妃を演じるにあたって、自分なりに独自のイニョン王妃を演じたいと思ったそうです。
その結果、品格のある王妃でありながらも、時には怒ったり、嫉妬する人間味のあるイニョン王妃を演じ切りました。
そんなパク・ハソンさんにもちょっとした逸話があります。
トンイでの最後のシーンを取り終えた後に、パーティーが開かれたそうです。
パーティーのときに、チ・ジニさんが「今までお疲れ様」と声をかけてくれたので、パク・ハソンさんは嬉しくなり、お礼を言おうと思ったそうです。
しかし、振り返ると何と。。。
チ・ジニさんはハン・ヒョジュさんと「これからも頑張ろうね」とハグしていたそうです。
イニョン王妃はこの世でも悲劇なんですね(笑)
近状はインスタで>>パク・ハソンさんのインスタはこちら
パク・ハソン出演のドラマ
パク・ハソンさんが出演したドラマは次のとおりです。
ほとんどが現代劇で時代劇はトンイだけです。
2005年:愛は奇跡が必要
2007年:京城スキャンダル
2007年:王と私
2008年:強敵たち
2008年:伝説の故郷-四辰剣の呪い編
2009年: アクシデント・カップル
2009年:ロマンス・ゼロ
2009年:もう止まらない〜涙の復讐
2010年:トンイ
2011年:ハイキック3 -短足の逆襲
2013年:花を咲かせろ! イ・テベク
2013年:TWO WEEKS
2013年:じゃがいも星
2014年:スリーデイズ〜愛と正義〜
2014年:誘惑
2016年:おひとりさま~一人酒男女~
2019年:平日午後3時の恋人
2020年:産後ケアセンター
2021年:産婦人科に行く道
まとめ
ドラマでのイニョン王妃はトンイを命がけで助ける健気な王妃で、亡くなるイニョン王妃に対して粛宗は心から後悔していました。
しかし、史実のイニョン王妃( 仁顕王后)は、最後まで、粛宗の寵愛を受けることができなかったようです。
実在したイニョン王妃は心が優しく、民からも慕われる人徳のある人物だったといいます。
「心が痛む」はまさに、イニョン王妃の人生を表している言葉のようです。