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徳恵翁主の家系図【ラストプリンセスは実在した皇女】

徳恵翁主(トッケオンジュ)は実在した皇女です。高宗の娘として生まれ、大韓帝国最後の皇女として知られています。

この記事では、徳恵翁主の家系図から人物像、家族関係、波乱の生涯について史実に基づいて詳しく解説します。

徳恵翁主の家系図

徳恵翁主は、大韓帝国初代皇帝・高宗と側室・梁春基(ヤン・チュンギ)との間に生まれました。梁春基は厨房で働く下級女官だったといいます。

高宗が60歳を過ぎてから誕生した徳恵翁主は初めての皇女であり、兄たちはすでに成人していました。義兄にあたる純宗(第2代皇帝)は39歳年上で、異母兄の李垠・李堈は当時、日本で暮らしていました。

徳恵翁主の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<徳恵翁主の家系図>

夫・宗武志との結婚

宗武志は対馬藩宗家の一族に生まれ、第37代宗家当主となりました。1931年に東京帝国大学文学部英文科を卒業すると、同年5月に徳恵翁主と結婚しています。

当時、宗家は深刻な財政難にあり、格式を重んじる徳恵翁主側と、後ろ盾を求める宗武志側の利害が一致した縁組でした。

徳恵翁主の子孫

徳恵翁主と宗武志の間には、1932年に一人娘・正恵が生まれました。正恵は成人後に結婚しましたが子を残すことはなく、徳恵翁主の血筋は娘・正恵の代で断絶しています。

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徳恵翁主はどんな皇女だったのか

徳恵翁主は無口で大人しく、運動は苦手のようでした。14歳で一人で日本に留学させられ、18歳で母親を亡くすと、性格は益々内向的になったといいます。

しかし、幼い頃から文学的な才能は高く、徳恵翁主が書いた詞に高名な作曲家が曲をつけて発売されるほどでした。

徳恵翁主のプロフィール

生年:1912年5月25日
没年:1989年4月21日(享年78歳)
父親:高宗
母親:福寧堂・貴人梁氏

翁主(オンジュ)とは、側室が生んだ娘の称号です。正室が生んだ娘は公主(コンジュ)の称号が与えられました。

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徳恵翁主の家族

1932年、徳恵翁主と宗武志の間には一人娘・正恵が生まれています。

関係 名前 読み 生年-没年 備考
宗武志 そうたけゆき 1908-1985 英語学者、議員
本人 徳恵翁主 トッケオンジュ 1912-1989 高宗の長女
長女 正恵 まさえ 1932-1956 自殺

娘・正恵の生涯

徳恵翁主の娘・正恵は、学習院を卒業後、早稲田大学で出会った鈴木昇と結婚しました。昇は宗家の婿養子となり宗昇を名乗ります。

新婚生活は東京大田区雪谷で始まりましたが、正恵はうつ病を患い、1956年に遺書を残して失踪。捜索しましたが見つからず、約50年後に遺品が山中で発見されています。

徳恵翁主の生涯

日韓併合により、徳恵翁主の人生は時代に翻弄された人生へと変わっていきました。

高宗に寵愛された幼少期

1912年5月25日、高宗と側室・梁春基の間に徳恵翁主が誕生しました。高宗にとって60歳で得た初の娘であり、徳恵と名付けられ深く寵愛されます。

その愛情は徳寿宮内に専用の幼稚園を設けるほどでした。1916年に入園後、1921年には京城の日之出小学校に編入。日本語教育を受けながら作詞の才能を示したと伝えられています。

日本での留学生活

1926年、高宗の希望もあり、徳恵翁主は王族としての待遇を受けられるようになりました。

1925年3月、13歳で一人日本に渡り、4月には東京の女子学習院に編入しています。東京では異母兄の李垠と方子の夫妻が心細い徳恵翁主の面倒をみました。

発病後の結婚と家庭生活

母の死後、徳恵翁主にはうつ症状や奇行が見られるようになり、検査の結果、統合失調症と診断されました。

1931年5月、旧対馬藩主・宗家の当主・宗武志は病状を承知の上で徳恵翁主と結婚します。夫婦関係は比較的円満で、翌1932年に長女・正恵が誕生しましたが、1946年には病状が悪化し松沢病院に入院しました。

帰国運動と祖国への帰還

1950年1月、新聞記者の金乙漢が松沢病院を訪れ、徳恵翁主の厳しい境遇を知ったことをきっかけに、韓国国内で帰国運動が始まりました。

1955年に宗武志と離婚し梁徳恵と改姓。1960年に政権が交代すると李王家の帰還が進み、1962年1月26日、遂に徳恵翁主は韓国国籍を取得して祖国への帰還。ソウル大学病院に入院しています。

晩年と死去

徳恵翁主は晩年、義姉の方子とともに昌徳宮・楽善斎で療養生活を送りました。そして、1989年4月21日、静かにその生涯を閉じています。享年は78歳でした。

現在は父・高宗が眠る「洪陵」の近くに埋葬され、周辺には純宗の「裕陵」や李垠・方子夫妻の「英園」、甥・李玖の「懐仁園」が並んでいます。

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映画「ラストプリンセス」と史実の違い

映画「ラストプリンセス」は徳恵翁主をモデルにした作品です。徳恵翁主の人生における主要な出来事は、概ね史実に沿って描かれていますが、ドラマ性を高めるため、細部には多くの脚色が加えられています。

映画の中で、徳恵翁主は日本で愛国心の強い自立した女性として描かれていますが、実際の彼女は内向的な女性で愛国運動に関わったことを示す史料は存在しません。

また、実際の徳恵翁主は、完全に帰国を禁じられていたわけではなく、兄(純宗)の見舞いで朝鮮に戻ったとが実録に記されています。

王世子以昌德宮患候轉劇, 停止歐洲遊覽, 與王世子妃及德惠翁主, 歸覲問候。<純宗実録:純宗19年4月8日条 1926年>

<訳>王世子は、昌徳宮における(純宗の)病状が悪化したため、欧州遊覧を中止し、王世子妃および徳恵翁主とともに帰国して見舞った。

まとめ

徳恵翁主は高宗の実在の娘で、500年以上続いた朝鮮王朝最後の皇女でした。

家系図をたどると、夫・宗武志との娘・正恵へと血縁は続きましたが、子孫は残らず、家系は断絶しました。

映画は史実と異なる脚色を多く含むものの、徳恵翁主が結婚後、異国で苦難の時を過ごし、最終的に祖国へ戻るまでの過程は、史実から大きく外れるものではありません。

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