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慎嬪金氏の家系図【世宗から最も寵愛された奴婢出身の側室】

偉大な王・世宗が最も寵愛した側室の慎嬪金氏(シンビンキムシ)は奴婢出身でした。

慎嬪金氏とはどんな女性だったのか?

本記事では、彼女の家系図、人物像、子供たちとの関係、ドラマ「大王世宗」での描写まで詳しく解説します。

慎嬪金氏の家系図

慎嬪金氏の家系に関する詳しい記録は残っていませんが、父は金元、母は朔寧高氏、本貫は清州金氏と言われています。

彼女は内資寺で働く下女(奴婢)でしたが、世宗の母親である元敬王后が気に入り、中宮殿の女官にしたと言われています。

慎嬪金氏の家系図

本図は当サイトが独自に作成した家系図です

<慎嬪金氏の家系図>

<豆知識>内資寺とは
王室で使用する米・麺・酒・醤油・油・蜂蜜・野菜・果物などの食材を管轄する部署でした。
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慎嬪金氏はどんな女性だったのか?

名君・世宗から深い寵愛を受けたことを踏まえると、慎嬪金氏は容姿端麗で知性と才能を兼ね備えた才女だったと推測されます。

<プロフィール>
生年:1406年
没年:1464年
享年:59歳
氏族:清州金氏
父:金元
母:朔寧高氏
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王妃との関係、そして側室への道

慎嬪金氏は世宗の正室・昭顕王后の侍女となり、やがて、世宗の寵愛を受けています。

1427年、第一子の桂陽君を生むと、翌年には側室の昭容(正三品)に冊封されています。

世宗の寵愛を独占したような慎嬪金氏でしたが、昭憲王后との仲は極めて良好でした。

慎嬪金氏の堅実で慎重な性格から、昭憲王后が七男・永膺大君の世話を彼女に頼むほどだったといいます。

慎嬪金氏と世宗の子どもたち

慎嬪金氏は世宗との間に、6人の息子と2人の娘を生んでいますが、2人の娘は幼くして亡くなりました。

次男の義昌君は、即位前の世祖(首陽大君)に積極的に仕えたため、世祖が即位すると大変寵愛を受けました。

金修の娘との婚礼の様子が実録に具体的に記録されており、母親が奴婢出身であったにも関わらず、義昌君が王子として認められていたことが分かります。

名前 称号 生年-没年 備考
李璔 桂陽君 1427-1464 享年38歳
李玒 義昌君 1428-1460 享年33歳
李琛 密城君 1430-1479 享年50歳
李璭 翼峴君 1431-1463 享年33歳
李瑭 寧海君 1435-1477 享年43歳
李璖 潭陽君 1439-1450 享年12歳
不詳 翁主 不詳 早世
不詳 翁主 不詳 早世

側室としての昇進と晩年

慎嬪金氏は以下のように順調に昇進していきました。

1428年:昭容(正三品)
1432年:淑儀(従二品)
1433年:昭儀(正二品)
1439年:貴人(従一品)
1447年:嬪(正一品)

世宗の死後、彼女は仏門に入ることを決意し、出家しています。文宗はこれを止めようとしましたが、彼女の意思は固く、止めることができませんでした。

世祖の時代になっても、敬意を持って大事にされたといいます。1464年、59歳でその生涯を静かに閉じました。

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ドラマ「大王世宗」の慎嬪金氏|途中消えた訳とは

韓国ドラマ「大王世宗」に登場するイソンのモデルは慎嬪金氏でした。

しかし、演じていた女優のイ・ジョンヒョンが病気(声帯結節)となり、途中降板することになりました。

側室になる前だったので、脚本を急遽変更して、慎嬪金氏をドラマから消して対応したそうです。

演じた女優イ・ジョンヒョンの演技の評価も高く、慎嬪金氏を世に知らせる良い機会だっただけに残念でした。

まとめ

慎嬪金氏は、奴婢という最下層から、側室の最高位「嬪」にまで上り詰めた女性です。

世宗の寵愛を受けただけでなく、昭憲王后との仲もよく、大変信頼されていたことから、人徳と賢さを兼ね備えた女性であったことが分かります。

昭憲王后の影に隠れて目立ちませんが、慎嬪金氏も素晴らしい女性であったことは間違いないようです。

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