韓国でも人気の高い王様・世宗の王妃である昭憲王后はどんな王妃だったのか。
昭憲王后の家系図から詳しくご紹介します。
昭憲王后の家系図
昭憲王后は沈洪孚を始祖とする名門氏族・青松沈氏の出身です。
青松沈氏は朝鮮時代に多くの政府高官を輩出している一族で、領議政を9人、左議政、右議政を4人輩出しています。
父親の沈温も領議政(当時は領議政府事)を務めています。
<昭憲王后の家系図>
また、青松沈氏からは昭憲王后を含めて3人の王妃を輩出しています。
・仁順王后(第13代明宗の妃)
・端懿王后(第20代景宗の妃)
純祖の王妃・純元王后の母親である漢城府夫人も青松沈氏の出身です。
<3人の王妃を出した青松沈氏の系図>
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昭憲王后はどんな王妃だったのか?
昭憲王后は三大徳妃と称され、歴史上最も尊敬される王妃といわれています。
これは、夫の世宗が昭憲王后を「国が安定したのは王妃の内助の功のおかげ」と褒め称えたことが大きいと思われます。
実際、昭憲王后は父親が粛清されたにも関わらず、ジッと耐え忍び、王妃としての務めをはたしました。
毎日が想像を絶する地獄の日々だったことは違いありません。
また、世宗は7人の側室を持っていましたが、昭憲王后は8男2女の子供を生み、世宗に最後まで愛され続けました。
ちなみに、三大徳妃の残りの二人は、同じく苦難を味わった粛宗の仁顕王后と正祖の孝懿王后です。
・昭憲王后(第4代世宗の妃)
・仁顕王后(第19代粛宗の妃)
・孝懿王后(第22代正祖の妃)
昭憲王后のプロフィール
昭憲王后は一族が没落させられても耐え忍び、多くの側室がいる内命婦をシッカリと管理したと言われています。
こうしたことから、昭憲王后は忍耐力があり、賢く、統率力に優れた女性であったと思われます。
昭憲王后(ソホンワンフ)
在位:1418年8月10日-1446年3月24日
生年:1395年9月28日
没年:1446年3月24日
享年:52歳
氏族:青松沈氏
父親:沈温
母親:三韓国大夫人(順興安氏)
夫:世宗
子女:文宗、世祖など8男2女
陸:英陵
昭憲王后の両親と兄弟姉妹
昭憲王后の父親の沈温は世宗が即位すると朝廷の最高位の領議政(当時は領議政府事)になりました。
しかし、外戚が強くなることを恐れた先代の太宗により、1418年、沈温は濡れ衣を着せられて処刑されてしまいます。
兄の沈濬も謀反の罪を着せられ処刑されています。
母親は身分を降格され、子どもたち(昭憲王后の兄弟姉妹)とともに奴婢にされてしまいました。
太宗の正妃の野心に満ちた閔氏一族とは違い、昭憲王后の父・沈温は実直で政権を掌握する野望はありませんでした。
昭憲王后は夫の世宗に撤回をお願いしますが、太宗の命令に逆らうことはできませんでした。
<昭憲王后の親兄弟>
関係 | 名前 | 生年ー没年 | 備考 |
父 | 沈温 | 1375-1418 | 靑川府院君、領議政府事 |
母 | 三韓国大夫人 | 不詳-1444 | 順興安氏 |
長男 | 沈濬 | 不詳-1448 | |
次男 | 沈澮 | 1418-1493 | 仁順王后は5代目の子孫 |
三男 | 沈决 | 1419-1470 | |
長女 | 昭憲王后 | 1395-1446 | |
次女 | 不詳 | 不詳 | 盧物載の妻 |
三女 | 不詳 | 不詳 | 姜碩德の妻 |
四女 | 不詳 | 不詳 | 柳子偕の妻 |
五女 | 不詳 | 不詳 | 朴崇之の妻 |
六女 | 不詳 | 不詳 | 朴去踈の妻 |
実は、父親の沈温が処刑されたときに、昭憲王后を廃妃する論議がありましたが、世宗の懇願と彼女が多くの子供を生んだ功績で廃妃は免れています。
そして、明らかに冤罪であった父母の名誉は息子の第5代国王・文宗のときにようやく回復されました。
世宗と昭憲王后の家族
昭憲王后は世宗とは仲睦まじく、8男2女の子供を授かりました。
長男の李珦が王位を継承し、第5代国王・文宗になっていますが、後に王位への強い野心のあった次男の李瑈がクーデターを起こし、第7代国王・世祖となっています。
<昭憲王后の家族>
関係 | 名前 | 生年ー没年 | 備考 |
夫 | 世宗 | 1397-1450 | 第4代国王 |
長女 | 貞昭公主 | 1412-1424 | 13歳で亡くなる |
長男 | 李珦 | 1414-1452 | 第5代国王・文宗 |
次女 | 貞懿公主 | 1415-1477 | 夫は安孟聃 |
次男 | 李瑈 | 1417-1468 | 第7代国王・世祖 |
三男 | 李瑢 | 1418-1453 | 安平大君 |
四男 | 李璆 | 1420-1469 | 臨瀛大君 |
五男 | 李璵 | 1425-1444 | 廣平大君 |
六男 | 李瑜 | 1426-1457 | 錦城大君 |
七男 | 李琳 | 1427-1445 | 平原大君 |
八男 | 李琰 | 1434-1467 | 永膺大君 |
四男の李璆(臨瀛大君)の娘・中牟県主は燕山君の正妃(廃妃慎氏)の母親です。
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昭憲王后の苦難の生涯
外戚の力が強くなることを恐れた先代・太宗により、昭憲王后の両親や親類が粛清の対象となり一族が没落させられてしまいました。
太宗は自分の妃である元敬王后の4人の弟たちをすべて粛清するなど、極端に外戚が力を持つことを嫌っていたのです。
父親の処刑と母親の降格(奴婢)
息子の妃に対しても例外ではなく、昭憲王后の父・沈温、弟の沈泟に濡れ衣を着せて謀反の罪で処刑してしまいました。
そして、連座として母をはじめ昭憲王后の兄弟姉妹は奴婢にされてしまったのです。
昭憲王后の悲しみは計り知れないほど深いものでした。
それにも関わらず、昭憲王后は多くの子供を生み、内命婦を管理するなど王妃の役割をシッカリと果たしました。
昭憲王后の家族の復権
1422年、太宗が亡くなると、ようやく、昭憲王后に明るい兆しが見え始めました。
世宗は沈温一家を元の状態に戻そうと務めました。
1426年5月17日、左議政の李稷、右議政の黃喜、參贊の崔閏德ら10人以上の重臣たちが沈温の妻子たちの連座は正しくないと上訴しました。
太宗が亡くなって4年後の1426年、やっと世宗は昭憲王妃の母・安氏を奴婢から解放して復権させることができたのです。
ただし、沈温の復権は実施されませんでした。
沈温の復権が許されたのは、それから更に5年後の文宗の時代でした。
1451年、息子の文宗が即位すると、沈温の復権が行われ、子弟は官職に就くことが許可されています。
世宗の意を汲んだ文宗の王命には、世宗の昭憲王妃に対する心からの詫びの気持ちが込められていたことと思われます。
昭憲王后の最後
1446年3月24日、昭憲王后は首陽大君の邸宅で静かに亡くなりました。
享年52歳でした。
実録によると、3月10日に昭憲王后が病気になったことが記録されています。
医官が誠心誠意、診療にあたったことはもちろんですが、世宗は昼夜を問わず見舞いに訪れました。
また、廟社・山川・神社・佛宇に昭憲王后の回復を願って祈禱させています。
苦難の生涯を耐え抜いて生きた昭憲王后が危篤になったことで、世宗や息子たちの悲しみと心配は想像を絶するものがあったと思われます。
特に、母親思いの世子は母の病が重くなるに連れて、食べ物も食べず、夜通し眠ることもなかったといいます。
しかし、多くの人の祈願も虚しく、昭憲王后は亡くなりました。
昭憲王后の訃報を聞き、涙を流さないものはいなかったといいます。
現在、昭憲王后は世宗とともに朝鮮王陵初の合葬陵である英陵に仲良く、そして安らかに眠っています。
昭憲王后の生涯一覧
昭憲王后の生涯はまさに苦難の生涯だったと言えます。
年 | 出来事 |
1395 | 沈温の娘として名家に生まれる |
1408 | 太宗の三男・忠寧大君(世宗)と結婚する(14歳) |
敬淑翁主(キョンスク オンジュ)に封ぜられる | |
1412 | 長女の貞昭公主が生まれる(18歳) |
1414 | 李珦(文宗)が生まれる |
1415 | 次女の貞懿公主が生まれる |
1417 | 次男の李瑈(世祖)が生まれる |
三韓国大夫人に封じられる | |
1418 | 三男の安平大君が生まれる |
1418 | 6月、譲寧大君が品行不良の理由で王世子を廃位される |
夫の忠寧大君が世子に昇格する | |
昭憲王后は世子嬪(敬嬪)となる | |
1418 | 9月、太宗が譲位、夫の忠寧大君が即位する(後の世宗) |
昭憲王后は王妃となる | |
父親の沈温が朝廷の最高位・領議政になる | |
父の弟の沈泟が濡れ衣で処刑される | |
父親の沈温が策略により処刑、母親と兄弟は奴婢にされる | |
1420 | 四男の臨瀛大君が生まれる |
1422 | 5月、太宗が逝去する |
1424 | 長女の貞昭公主が13歳で亡くなる |
母方の実家(安天保の家)に行くことが許される | |
1425 | 五男の廣平大君が生まれる |
1426 | 六男:錦城大君が生まれる |
母・安氏と兄弟が奴婢から解放される | |
1427 | 七男の平原大君が生まれる |
1434 | 八男の永膺大君が生まれる |
1444 | 五男の廣平大君が20歳で亡くなる |
1445 | 七男の平原大君が19歳で亡くなる |
1446 | 昭憲王后が逝去(次男 首陽大君の私邸で) |
1450 | 夫の世宗が54歳で逝去 |
1451 | 息子の文宗が即位する |
沈温の復権が行われ、子孫は官職に就くことが許可される |
昭憲王后が登場するドラマ
昭憲王后が登場するドラマはそれほど多くはありません。
世宗が人気の王であることから、世宗を支える妻として登場することが多いようです。
「大王世宗」で昭憲王后役を演じたイ・ユンジが父親を失う悲しみの王妃を見事に演じきっています。
このドラマを見ると、徳妃と言われる昭憲王后ですが、実は心の中でどれだけの血の涙を流していたのか、考えただけで胸が苦しくなります。
イ・ユンジはこの役で2008年度KBS演技大賞長編ドラマ優秀演技賞を受賞しました。
龍の涙(1996年、ト・ジウォン)
大王世宗(2008年、イ・ユンジ、子役:ナム・ジヒョン)
根の深い木(2011年、チャン・ジウン)
ポンダンポンダン 王様の恋(2015年、チン・ギジュ)
不滅の恋人(2018年、ヤン・ミギョン)
太宗 イ・バンウォン(2021年、 キム・ビジュ)
( )内は昭憲王后を演じた女優
まとめ
昭憲王后は名門の氏族・青松沈氏の出身で父親も領議政を務めるなど一族が繁栄するように思われました。
しかし、外戚の力が強くなることを恐れた先代の太宗により一族は撲滅されてしまいます。
この辛い状況にも耐え忍び、昭憲王后は王妃としての役割を果たし、最後まで世宗に尽くしました。
こうした行いが昭憲王后を後世、徳妃と尊敬される所以になっていると思われます。