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緑豆の花に登場する実在の人物を紹介【ドラマがまた見たくなる】

ドラマ「緑豆の花」に登場する実在の人物をご紹介します。

えっ!この人も実在したの?

・・・

そんな発見がたくさんありました。

また、
ドラマが見たくなること間違いありません。

 

全琫準の実在した同志

緑豆の花には実在した全琫準の同志が多数登場しています。

<全琫準の実在した同志>
・金開南(キム・ゲナム)
・孫華仲(ソン・ファジュン)
・崔景善(チェ・ギョンソン)
・金德明(キム・ドクミョン)
・成斗漢(ソン・ドゥファン)
・宋憙玉(ソン・ヒオク)

全琫準、金開南、孫華仲の3人を東学農民軍の3大指導者と称しています。

また、東学農民軍の5大指導者といえば、崔景善、金德明を加えた5人を示しています。

1895年4月24日、崔景善、孫華仲、金德明、成斗漢の4人は全琫準とともに処刑されました。

 

金開南(キム・ゲナム)

金開南は気性が激しく強硬派と言われた東学農民軍の3大指導者の一人です。

<ドラマと実在の金開南>

金開南が12歳のときに、全琫準が同じ村に引っ越してきて二人は知り合ったといいます。

 

本名はキム・ヨンジュでしたが、「理想的な国を南から開く」という意味で、開南(ゲナム)と改名しています。

東学2代目教主の崔時亨(チェ・シヒョン)に直接教えを受け、全琫準の元では総司令官の役目をしました。

 

孫華仲(ソン・ファジュン)

孫華仲も東学2代目教主の崔時亨(チェ・シヒョン)の教えを直接受けた東学農民軍の3大指導者の一人です。

<ドラマと実在の孫華仲>

両班の家柄の孫華仲は幼い頃から意思が強く、頭も良かったので周囲から大いに期待されていました。

 

東学で能力を発揮した孫華仲は1892年、33歳の若さで東学の指導者の大接主に任命されました。

全琫準とは1888年、29歳の頃に、孫華仲の甥である孫如玉を仲介して知り合っています。

孫華仲は穏健派だった全琫準と強硬派だった金開南の間で意見の違いを調整する役目を果たしました。

 

崔景善(チェ・ギョンソン)

崔景善は30歳の頃に全琫準と出会い革命に目覚めたと言われています。

<ドラマと実在の崔景善>

崔景善は古阜の反乱から全琫準とともに行動し、全琫準のまさに右腕として活躍した人物でした。

 

死刑になった全琫準らの遺体は、罰を恐れて誰も運び出すことができませんでした。

しかし、崔景善の兄弟のみが意を決して崔景善の遺体を密かに運び出したといいます。

そのため、東学主導者の中で崔景善だけ、整備されたお墓が存在しています。

 

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全琫準の意思を受け継いだ金九

ドラマの最終回に若き日の金九(キム・グ)が登場しています。

金九は本名を金昌洙(キム・チャンス)といい、18歳で東学党に加入し、甲午農民戦争に参加しました。

 

1896年、金九は閔妃殺害事件の報復として日本人将校を殺害して投獄されますが、2年後に脱獄しています。

金九は1919年の三・一独立運動後に上海に亡命、その後、日本に植民地化された朝鮮でテロ活動を含む反日独立運動を繰り返しました。

三・一独立運動とは、1919年3月1日に日本の植民地時代に朝鮮で発生した日本からの独立運動です。

 

こうした活動により韓国では今でも、不屈の民族独立運動家,民主的指導者として最も尊敬を集める人物と称されています。

 

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東学の教主

東学の創始者は崔済愚ですが、1864年3月に捕らえられて処刑されてしまいました。

崔済愚の意思を受け継いだのが東学2代目の教主・崔時亨(チェ・シヒョン)と東学3代目教主・孫秉熙(ソン・ビョンヒ)でした。

 

2代目教主の崔時亨

2代目の教主の崔時亨(チェ・シヒョン)は物語の前半に登場して、平和的な解決を全琫準に薦めた人物です。

<ドラマと実在の崔時亨>

東学農民軍の3大指導者、全琫準(チョン・ボンジュン)、金開南(キム・ゲナム)、孫華仲(ソン・ファジュン)は、2代目教主・崔時亨の教えを直接受けています。

 

崔時亨は初代教祖の崔済愚が処刑されると、崔済愚の後を引き継ぎ、東学の教えを体系化し、東学の組織を整備・拡大しました。

史実でも、武力行使には反対で全琫準とは対立しました。

しかし、最後は日本軍の強硬姿勢に対して、東学の参戦を承諾しました。

崔時亨は1898年に逮捕され処刑されています。

 

3代目教主の孫秉熙

また、3代目教主の孫秉熙(ソン・ビョンヒ)は物語の後半に、第二次蜂起で北接軍を率いたリーダーとして登場しています。

孫秉熙は、1897年に2代目の教主・崔時亨の後を引き継いで第3代教主になりました。

 

1894年の甲午農民戦争のときには、ドラマのように北接軍を率いて、全琫準の南接軍と共に朝鮮軍と戦いました。

しかし、甲午農民戦争が鎮圧されて東学への弾圧が激しくなると、1901年、孫秉熙は日本へ亡命します。

 

その後、1905年には東学を「天道教」と改称しています。

1907年、日本より帰国、1919年には三・一独立運動を主導しています。

この活動により孫秉熙は逮捕、1922年に保釈されますが病気により亡くなりました。

 

国王をはじめとする皇室の人物

ドラマに登場する実在した皇室の人物は、高宗(コジョン)、明成皇后(ミョンソンファンフ)、興宣大院君(フンソンテウォングン)の3人です。

第26代国王・高宗

高宗(コジョン)は、先王の第25代国王・哲宗の後を継いで第26代国王に即位しました。

<ドラマと実在の高宗>

哲宗は、息子が早くに亡くなり、世継ぎがいませんでした。

そこで、父親の興宣大院君が神貞王后と結託して、次男の李㷩(イ・ヒ)を国王に祭り上げました。

 

それが、第26代国王の高宗です。

即位当初は父親の興宣大院君に、親政後は王妃の明成皇后に主導権を握られていました。

 

高宗の王妃・明成皇后

明成皇后は、1866年に16歳で王妃として宮廷に入りますが、成人するにつれて興宣大院君と対立を始めました。

ドラマ「緑豆の花」でも二人は激しく言い争いをしていました。

<ドラマと実在の明成皇后>

注)本人と確証されている明成皇后の写真は見つかっていません。

1873年、明成皇后は高宗が成人して親政を実施したのを機に、興宣大院君を追放することに成功します。

明成皇后は気の弱い高宗に代わり政権を握ると、親族を朝廷の高官に採用して、閔氏一族による勢道政治を始めました。

 

勢道政治は官吏の汚職、国庫の浪費を招き、興宣大院君との権力闘争は政局をひどく混乱させました。

しかし一方で、明成皇后は優れた外交力と行動力で開放と改革を推進させたと言われています。

 

明成皇后は国を守るために、親清、親ロシアへと次々に方針転換していきました。

日本を避け、日本の思うようにならない明成皇后の政策に日本が不満を募らせていきます。

そして、1895年10月8日の明け方、明成皇后は日本人により暗殺されてしまいました。

 

高宗の父親・興宣大院君

興宣大院君は王位からは遠い王族であったが、虎視眈々と王位を狙っていました。

そのため、当時、政治を牛耳っていた安東金氏からの監視を逃れるため、金氏一族に乞食のように食事をねだり、媚びへつらう生活をしていたといいます。

<ドラマと実在の興宣大院君>

一方では、安東金氏に対抗するために、叔母に当たる豊壌趙氏の神貞王后に近づきました。

そして、息子の命福(高宗の幼名)を王位継承者とする合意を得ることに成功します。

 

1864年1月に哲宗が亡くなると、遂に、息子を王位につけて政権の中心に躍り出ました。

その後、徐々に安東金氏を政治の舞台から排除して、興宣大院君の時代を作っていきました。

 

朝廷に関連する人物

朝廷に関する人物で注意すべき人物は次の二人です。

 

内閣総理大臣・金弘集

1894年7月、金弘集(キム・ホンジプ)は甲午改革により内政改革を行い、内閣総理大臣に就任しました。

しかし、1894年10月8日の閔妃殺害事件の収拾を誤り、民衆の支持を失います。

更に、1896年1月に起こった親露派両班によるクーデター時には、高宗はロシア公使館に逃げ込みますが、金弘集は朝廷に残り、民衆に撲殺されてしまいました。

 

訓練隊連隊長・洪啓薫

1895年、洪啓薫は宮廷を警備するために設立された訓練隊の連隊長に就任しましたが、明成皇后の暗殺事件のときに殺害されました。

洪啓薫は、1882年の壬午軍乱のときに、明成皇后を妹の女官と偽り、背負って脱出させることに成功しました。。

明成皇后の命を助けたことで洪啓薫は大出生した人物です。

 

実在した日本人

ドラマ「緑豆の花」には、実在した日本人も登場しています。

朝鮮公使の大鳥圭介(おおとり けいすけ)と井上馨(いのうえ かおる)、そして、日本の写真家の村上天真(むらかみ てんしん)です。

 

村上天真は全琫準をネットで検索すると、よく目にする全琫準が輿に乗った写真を撮った写真家です。

<村上天真が撮った全琫準の写真>

写真技術を学んだ村上天真は軍に同行して朝鮮に渡っています。

そこで、陸軍の写真家として甲午農民戦争を経験しました。

詳しくは>>緑豆の花の実在した日本人 を御覧ください。

 

清の重要人物

ドラマには清の重要な人物として、袁世凱(えん せいがい)と丁汝昌(てい じょしょう)が登場しています。

後の中華民国大総統・袁世凱

袁世凱(えん せいがい)は軍人になると、淮軍(わいぐん)として朝鮮に派遣されました。

ここで、袁世凱は明成皇后の要請による壬午事変や甲申政変の反乱の鎮圧に成功します。

 

この貢献により、袁世凱は朝鮮公使として内政干渉できるほどの大きな権限を持つことに成功しました。

袁世凱は、清の崩壊後に初代の中華民国大総統になる人物です。

 

清の海軍提督・丁汝昌

丁汝昌(てい じょしょう)は清の北洋艦隊を率いた提督(最高指揮官)でした。

1882年に壬午事変が勃発すると、丁汝昌は朝鮮に行き、興宣大院君を捕らえて清に幽閉しました。

 

これにより、朝鮮では親清政権が復帰、日本の進出を阻止することができました。

しかし、日清戦争の黄海の海戦で北洋艦隊は大敗を喫し、丁汝昌は投降を拒否して自決してしまいます。

 

まとめ

ドラマ「緑豆の花」は1894年に起こった甲午農民戦争をベースにした物語です。

甲午農民戦争の発生から終焉までかなり、忠実に再現されています。

そのため、全琫準の同志をはじめ実在した人物が数多く登場しています。

 

ドラマ「緑豆の花」は、架空の3人の人物、イガン、イヒョン、ジャインのドラマとしても十分に楽しめます。

しかし、ドラマの史実や登場人物の背景を知ることで、よりドラマを深く味わえること間違いありません。

きっと、また、ドラマを見たくなりますよ。

 

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