光海君の母として有名な恭嬪金氏。
史実の恭嬪金氏とは、どんな人物だったのか?
家系図から詳しく調べてみました。
恭嬪金氏の家系図
恭嬪金氏は、金永貞を派祖とする金海金氏一族の出身です。
<恭嬪金氏の家系図>
金海金氏は韓国でも大きな氏族集団(本貫)の一つです。
同じ本貫には三国時代の新羅の将軍であった金庾信(キムユシン)、朝鮮時代の女性商人・金萬徳(キム マンドク)がいます。
近年では、韓国の第15代大統領の金大中(キムデジュン)も金海金氏の出身です。
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恭嬪金氏はどんな側室だったのか?
恭嬪金氏は宣祖から大変寵愛を受けた側室でした。
気の強い女性で、宣祖の寵愛を独占したと言われています。
恭嬪金氏のプロフィール
恭嬪金氏は19歳で入宮しましたが、幼少時代については何も分かっていません。
父親は宮中の米の調達を担当する部署・司導寺(サドシ)で、従四品の僉正(キョムジョン)として働いていました。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)が勃発すると、義兵長として日本軍と戦い戦死しています。
生年:1553年
没年:1577年
享年:25歳
氏族:金海金氏
祖父:金從壽(司贍寺僉正、贈左承旨)
祖母:福伊(河東鄭氏、鄭麟趾の曾孫女)
父親:金希哲(司導寺僉正、贈戸曹參判)
母親:安東権氏(權璋の娘)
墓所:成墓(ソンミョ)
恭嬪金氏の兄弟姉妹
恭嬪金氏は2男6女の三女でした。
ホジュン ~伝説の心医~には、恭嬪金氏の兄が登場しますが、実在したのは弟です。
関係 | 名前 | 備考 |
姉 | 孝玉 | 李民秉の妻 |
姉 | 德海 | 朴潤の妻 |
妹 | 德榮 | 成準の妻 |
妹 | 天香 | 李壿の妻 |
妹 | 天貞 | 朴楗の妻 |
弟 | 金禮直 | 統使 |
弟 | 金義直 |
恭嬪金氏の家族
夫は第14代国王の宣祖です。
恭嬪金氏は第一側室として、宣祖から大変寵愛を受け、2人の王子をもうけました。
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
夫 | 宣祖 | 1552-1608 | 第14代国王 |
本人 | 恭嬪金氏 | 1553-1577 | 第一側室 |
長男 | 臨海君(李珒) | 1572-1609 | |
次男 | 光海君(李琿) | 1575-1641 | 第15代国王 |
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恭嬪金氏の生涯
恭嬪金氏は19歳で入宮すると、宣祖から寵愛を受け、二人の王子を生んでいます。
一人は後の第15代王となる光海君です。
恭嬪金氏は光海君を生むと病にかかってしまいます。
病気になると宣祖の足も遠のき、宣祖の寵愛の対象は二番目の側室である仁嬪金氏に移っていきました。
そして、光海君を生んで2年後に25歳の若さで亡くなってしまいます。
<恭嬪金氏の経歴>
年月日 | 年齢 | 出来事 |
1553年 | 1 | 金希哲と安東権氏の娘として生まれる |
1571年 | 19 | 19歳で入宮、宣祖の寵愛を受ける |
淑儀に封じられる | ||
1572年 | 20 | 臨海君(李珒)を出産、貴人の称号を得る |
1575年 | 23 | 光海君 (李琿)を出産 |
嬪となるが病になる | ||
1577年 | 25 | 恭嬪金氏が25歳で逝去 |
恭嬪金氏が登場するドラマ
恭嬪金氏が登場するドラマはそれほど多くはありません。
ドラマ「ホジュン」では、兄弟と自身の病を治したホジュンに信頼を寄せ、ホジュンの危機を助けています。
しかし、史実ではホジュンが恭嬪金氏やその兄弟を治療した記録はありません。
ホジュン〜宮廷医官への道〜
(1999年、パク・チュミ)
ホジュン〜伝説の心医〜
(2013年、チャン・ジウン)
火の女神ジョンイ(2013年、ユ・ダミ)
まとめ
恭嬪金氏の父親は低品階の役人で、入宮すると宣祖の大変な寵愛を受けました。
そして、後の王となる光海君を生みますが、光海君が即位する前に25歳の若さで亡くなってしまいました。
亡くなるときには、王の寵愛は2番目の側室に移っており、寂しい日々だったと思います。