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洪鳳漢(ホンボンハン)の家系図【貞明公主の血を受け継ぐ名家】

洪鳳漢(ホンボンハン)の家系図を調べると、洪氏一族は宣祖の娘である貞明公主の血を受け継ぐ名門中の名門でした。

イ・サンの祖父として知られる洪鳳漢について詳しくご紹介します。

 

洪鳳漢(ホンボンハン)の家系

洪鳳漢(ホンボンハン)の家系をたどると、ドラマ「華政」に登場する貞明公主(チョンミョンコンジュ)にたどり着きます。

 

洪鳳漢(ホンボンハン)の家系図

貞明公主は第14代国王・宣祖の娘であり、洪柱元(ホン・ジュウォン)は朝鮮の名家である豊山洪氏一族の出身です。


<洪鳳漢の家系図>

関係 名前 読み方 備考
高祖父 洪柱元 ホン・ジュウォン 貞明公主の夫
曽祖父 洪萬容 ホンマンヨン 洪柱元の次男
祖父 洪重箕 ホン・ジュンギ
洪鉉輔 ホン・ヒョンボ
本人 洪鳳漢 ホン・ボンハン

洪鳳漢の父親の洪鉉輔は重要な官職を務めた重臣でした。

弟の洪麟漢もよくドラマに登場しますが、再婚した継母から生まれた腹違いの弟です。

 

洪鳳漢の家族

洪鳳漢(ホンボンハン)は妻の韓山府夫人李氏との間に4男3女の子供がいました。

次女の恵慶宮は荘献世子(チャンホンセジャ)と結婚して、第22代国王・正祖を産んでいます。

<洪鳳漢の家族>

洪鳳漢
韓山府夫人李氏
長男 洪樂仁
次男 洪樂信
三男 洪樂任
四男 洪樂倫
長女 早世?
次女 恵慶宮 正祖の生母
三女 豊山洪氏

 

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史実の洪鳳漢(ホンボンハン)

ドラマ「イ・サン」や「秘密の扉」の主要人物として登場する洪鳳漢ですが、史実の洪鳳漢はどんな人物だったのでしょうか?

 

洪鳳漢のプロフィール

生年:1713年2月23日
没年:1778年12月4日
享年:66歳
祖父:洪重箕(ホン・ジュンギ)
父: 洪鉉輔(ホン・ヒョンボ)
母:任氏
妻:韓山府夫人李氏

 

洪鳳漢の経歴

娘の恵慶宮が世子嬪となり、その思悼世子が1749年に代理聴政を始めた頃から、洪鳳漢は順調に昇進していきました。

1743年:娘が世子嬪(思悼世子)に選ばれる
1744年:科拳文科に合格して士官になる
1745年:光州(クァンジュ)府尹に特進
1749年:思悼世子が代理聴政を始める
1750年:御営大将、礼曹参判を歴任する
1755年:句管堂上、平安道観察使などを歴任後、左参賛に昇進
1759年:世孫師になる
1761年:右議政に抜擢、左議政を経て領議政になる
1763年:主請使で清国に行く
1768年:再び、領議政になる

 

正祖の粛清から逃れる

順調に昇進してきた洪鳳漢ですが、正祖が即位したときに最大の危機が訪れます。

正祖は父の思悼世子を陥れた関係者を厳しく粛清したのです。

 

洪鳳漢の弟の洪麟漢は流罪にしたうえで、後に賜死(ササ)させます。

叔母の和綏翁主は王族から平民に降格、養子の鄭厚謙(チョン・フギョム)も流罪にしたうえで賜死としました。

 

老論派の重鎮であった洪鳳漢も裏で思悼世子の失脚を図っていたことは間違いないことで、正祖も処罰を考えていました。

しかし、母の恵慶宮に断食までして抵抗されたため、処罰はできませんでした。

 

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洪鳳漢(ホンボンハン)のお墓

洪鳳漢(ホンボンハン)は66歳のときに漢城部で亡くなりました。

お墓は京畿道高陽市山東区文峰洞に妻の韓山府夫人李氏と一緒に合葬して埋葬されています。

周辺には上石1基、望楼石2基、石水2基などの石造物が配置されています。

<洪鳳漢のお墓>

 

洪鳳漢(ホンボンハン)が登場するドラマ

洪鳳漢(ホンボンハン)は正祖が登場するドラマに重要な人物として登場しています。

王道(1991年、シン・グ)
大王の道(1998年、ハン・インス)
ホン・グギョン(2001年、 パク・グァンナム)
イ・サン(2007年、シン・チュンシク)
ペク・ドンス(2011年、パク・ヨンス)
秘密の扉(2014年、キム・ミョングク)

注意:( )内は洪鳳漢を演じた俳優

 

まとめ

洪鳳漢(ホンボンハン)は宣祖の娘・貞明公主の血を受け継ぐ名家の出身でした。

娘の恵慶宮が世子嬪となり、重要な官職を歴任して領議政まで上り詰めます。

正祖が即位したときには、粛清の対象になりますが、娘の懇願により難を逃れています。

 

洪鳳漢は朝鮮後期文化復興に多くの業績を残して66歳で亡くなりました。

現在は、京畿道高陽市のお墓に埋葬されています。

 

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