ドラマ「イ・サン」に登場するファビン(和嬪尹氏)は両班出身の高貴な女性でしたが、史実のファビンは子供に恵まれない孤独な宮廷女性でした。
この記事では、ドラマとは違った実在のファビンを分かりやすく解説します。
実録から読み解く、実在したファビン(和嬪尹氏)とは?
ファビン(和嬪尹氏)は正祖の2番目の側室でした。元嬪洪氏(ウォンビンホンシ)が亡くなった翌年の1780年に側室に選ばれています。
側室の最高位で入宮
1780年3月10日の朝鮮王朝実録(正祖実録)に次の記載があります。
己丑/冊尹氏爲和嬪。 判官昌胤女也。慶壽
(引用元:1780年3月10日正祖実録)
冊封(さくほう)とは任命することです。いきなり側室としては最上位の嬪(正一品)の位に就いたことになります。
和嬪尹氏は、尹昌胤(ユン·チャンユン)の娘で、16歳(日本では15歳)で側室になっています。当時、尹昌胤は漢城府の判官(従五品)の役職でした。
側室として婚礼|破格の待遇
1780年3月12日には婚礼を挙げています。
辛卯/行和嬪嘉禮于慈慶殿。
(引用元:1780年3月12日正祖実録)
朝鮮王朝時代に側室が婚礼を挙げることは非常に稀なことでした。
また、いきなり最上位の品階で迎えられるなど、和嬪尹氏が大変優遇された特別な女性であったことが分かります。
【PR】スポンサーリンクファビン(和嬪尹氏)は悪女だったのか?
ファビン(和嬪尹氏)の人柄について、正史の記録は見当たりません。
唯一、黃胤錫が書いた「頤齋亂藁」という日記の中にファビンの気性が見られる記録があります。
和嬪尹氏 僭妬於中宮 喑詛於成嬪 因此得罪 自內嚴囚
(引用元:頤齋亂藁、黃胤錫 著)
この記録を見ると、ファビンは嫉妬深く、気性が荒い性格だったようです。こうした記録から、ドラマでは印象に残る「嫉妬深い悪女」として脚色されたと考えられます。
【PR】スポンサーリンクファビン(和嬪尹氏)の晩年と死
1824年1月14日の純宗実録に和嬪尹氏が病気で亡くなったことが記録されています。享年60歳でした。
和嬪尹氏卒逝。 敎曰: “和嬪病患雖重, 年齡不至甚高。 故尙冀其差勝, 竟至喪逝
(引用元:1824年1月14日純宗実録)
晩年の記録はありませんが、子供に恵まれずに長寿であったことから、孤独な晩年だった可能性が高いと推察されています。
和嬪尹氏は現在、京畿道高陽市にある西三陵の側室墓に眠っています。
ソンヨンと同じ日に出産したのは本当?
和嬪尹氏がソンヨンのモデルになった宜嬪成氏と同じ日に出産した記録はありません。
正祖実録には、1781年1月17日に「出産の準備として産室庁(サンシルチョン)が設置された」との記録がありますが、和嬪尹氏が子供を出産した記録は存在しません。
和嬪尹 氏有妊、是日設産室廳。
(引用元:1781年1月17日正祖実録)
産室庁は通常、出産の3~5か月前に設置されるため、実際の出産時期は同年4月中旬から6月中旬ごろと推測されます。しかし、この時期に和嬪尹氏が出産したという記録は一切ありません。
このため、
「女児を出産したが死産だった」
「実は想像妊娠だった」
など、さまざまな説が語られていますが、真相は不明のままです。
ただし、はっきりしているのは次の2点です。
・宜嬪成氏と同じ日に出産した事実はない
・和嬪尹氏には子どもがいなかった
ファビン(和嬪尹氏)を演じた女優
ドラマ「イ・サン」でファビン(和嬪尹氏)を演じた女優はユ・ヨンジです。
<ファビンを演じたユ・ヨンジ>
ユ・ヨンジは2004年のミス春香選抜大会に出場したことがキッカケで芸能界に入りました。
生年月日:1983年7月22日
(2025年06月14日現在、41歳)
身 長:165cm
ユ・ヨンジは、2005年に「冬の子供」でドラマデビューしてから数々のドラマ出演しています。時代劇ファンにはファン・ジニでのソムソム役が印象に残っているのではないでしょうか。
その後、イ・サン、風の絵師と時代劇に出演しますが、近年は表舞台から距離を置いているようです。
ファン・ジニ(2006年、ソムソム役)
イ・サン(2007年、和嬪尹氏役)
風の絵師(2008年、ホ・シムの孫娘役)
まとめ
ドラマ「イ・サン」に登場する側室の和嬪尹氏は、実録によると非常に期待されて入宮したと思われます。そのため、同じ時期に王子を生んだ宜嬪成氏への恨み、妬みは大きかったでしょう。
和嬪尹氏自身も妊娠しましたが、子供を授かることができませんでした。これにより、正祖からの愛情は益々遠のき、和嬪尹氏は60歳で亡くなるまで、宮殿で寂しい人生を送ったと推測されます。