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仁嬪金氏の家系図【孫が第16代国王・仁祖として夢を果たす】

仁嬪金氏とはどんな人物だったのか?

仁嬪金氏の家系図から詳しく調べました。

 

仁嬪金氏の家系図

仁嬪金氏は金稟言を始祖とする水原金氏の出身です。

仁嬪金氏の母方の祖父である李孝性は朝鮮王朝の初代国王・太祖の子孫にあたります。

<仁嬪金氏の家系図>

仁嬪金氏の姉と夫の辛鏡との間に生まれた娘は光海君の側室となる昭媛辛氏です。

また、第13代国王・明宗の側室だった慶嬪李氏(淑儀李氏)とは従姉妹の関係になります。

 

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仁嬪金氏はどんな人物だったのか?

仁嬪金氏は亡くなった恭嬪金氏に代わり、宣祖から大変寵愛を受けた側室でした。

仁嬪金氏のプロフィール

仁嬪金氏は4人の兄弟姉妹の次女でした。

<プロフィール>
仁嬪金氏(インビンキムシ)
生年:1555年
没年:1613年10月29日
享年:59歳
氏族:水原金氏
配偶者:宣祖
父親:金漢祐(金漢耈)
母親:全州李氏
兄弟姉妹、姉、弟(金公諒)、妹
子女:定遠君他、7人
墓:順康園

金公諒はドラマでは兄として登場していますが、史実では弟でした。

光海君日記で、仁嬪金氏が亡くなったときに、弟の金公諒と記録されています。

宣祖後宮仁嬪金氏卒。 【嬪生義安、信城、元宗大王、義昌四君及五公 翁主, 有術數, 善於彌縫。 弟[金公諒]以賤官,ーー(以下略)ーー
<光海君日記:光海5年(1613年)10月29日抜粋>

 

仁嬪金氏の家族

仁嬪金氏は宣祖との間に4男5女の子供をもうけました。

長男は生まれてまもなく、疫病(伝染病)で亡くなりました。

次男の信城君は一時、世子候補に上がりましたが、義州への避難途中に14歳の若さで病死しています。

関係 名前 生年-没年 備考
宣祖 1552-1608 第14代国王
本人 仁嬪金氏 1555-1613
長男 義安君 李珹 1577-1588 早世
次男 信城君 李珝 1578-1592 14歳で病死
三男 定遠君 李琈 1580-1619 第16代国王仁祖の父
長女 貞慎翁主 1583-1653 徐景霌の妻
次女 貞惠翁主 1584-1638 尹新之の妻
三女 貞淑翁主 1587-1627 申翊聖の妻
四男 義昌君 李珖 1589-1645 妻は陽川郡夫人許氏
四女 貞安翁主 1590-1660 朴瀰の妻
五女 貞徽翁主 1593-1653 柳廷亮の妻

 

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仁嬪金氏の孫が国王になる

仁嬪金氏は一時、自分の息子の信城君を世子にしたいと考えていました。

宣祖も信城君を寵愛し、一時は世子にしようと図りますが、家臣の反対で断念しています。

 

信城君は若くして亡くなりましたが、三男の定遠君の息子・李倧が仁嬪金氏の夢を果たします。

1623年、クーデター(仁祖反正)により、仁嬪金氏の孫の李倧が第16代国王・仁祖として即位したのです。

その後、仁嬪金氏の血は第24代国王・憲宗まで引き継がれていきます。

 

まとめ

仁嬪金氏は恭嬪金氏が亡くなると、宣祖の寵愛を独占した側室でした。

信城君を世子にする夢を持っていましたが、信城君が病死するとその夢は途絶えてしまいました。

 

しかし、仁嬪金氏の孫がクーデターで光海君を廃位して、国王・仁祖として即位しました。

思わぬ形で仁嬪金氏の夢は実現したのです。

 

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