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ホジュンのドラマと史実の違い【実在した人物と創作を比較】

ドラマ「ホジュン~宮廷医官への道~」は、実在した医師・許浚(ホ・ジュン)をモデルにしています。そのため、ホジュンの史実をもとに描かれた場面がある一方で、科挙に首席合格したことや師匠を解剖したことなど、史料では確認できない設定もあります。

この記事では、ドラマで魅力的に描かれた場面を中心に、ドラマと史実の違いを詳しく解説します。

ホジュンのドラマと史実の違い

ドラマは史実をベースに制作されていますが、次の点は史料では確認できないドラマ独自の創作部分です。

・科挙に首席合格したこと
・ユ・ウィテを師匠として医学を学んだこと
・医学のためにユ・ウィテを解剖したこと
・賤民出身で御医になったこと
・光海君の天然痘を治療したこと

では、一つ一つ史実に照らして確認していきましょう。

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ホジュンは科挙に首席合格したのか?

ドラマでは、ホジュンは2回目の科挙に首席で合格していますが、史実ではホジュンが首席合格した記録はありません。医科試験の合格者名簿である『医科榜目』には許浚という名前は載っていないのです。

一方で、内医院に入る以前にホジュンが診察をしていた柳希春の日記『眉巖日記』には、医師として活動していたホジュンについての記録が残されています。それによると、家族の病気を治したホジュンの功績を認め、柳希春がホジュンを内医院に推薦したことが記されています。

爲許浚 通簡于吏判 乃薦于內醫院也
<『眉巖日記』:宣祖2年閏6月3日>

<訳>許浚のために吏曹判書に手紙を送り、内医院に推薦した。

ドラマでは「科挙に首席合格して出世したホジュン」が描かれますが、史実では科挙合格の記録はなく、柳希春の推薦を受けて内医院に進んだ可能性が高いと考えられます。その後、ホジュンは医師として実績を重ね、王室の医療を担う医官へと進んでいきました。

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ホジュンの師匠ユ・ウィテは実在したのか?

ドラマでホジュンの師匠として登場するユ・ウィテ(劉義泰)は架空の人物です。

ドラマの脚本家・チェ・ワンギュは、『文学フォーラム 2000年秋号』の中で、ホジュンの師匠として登場するユ・ウィテは、ホジュンの死後100年後の人物であるリュ・イテ(劉以泰)がモデルであることを明かしています。ユ・ウィテという設定は、ドラマの原作となった李銀成の小説『東医宝鑑』にあったもので、チェ・ワンギュは史実との違いを知りながら、原作の設定を引き継いだと説明しています。

一方、リュ・イテの10世孫である劉哲鎬(ユ・チョルホ)は、先祖のリュ・イテがホジュンの師匠のモデルにされたことに反発し、文献調査や現地調査を行いました。そして、論文「朝鮮の名醫ユイテ(劉以泰・劉爾泰)研究」で、「ユ・ウィテは歴史上の実在の人物ではなく、ユ・ウィテのモデルとされるリュ・イテ(劉以泰)もホジュンの師匠ではない」と結論づけています。

ドラマに登場する鶏に針を打つ話や、麻疹を治療する話などには、ホジュンとは別の時代に生きた名医・リュ・イテ(劉以泰)の逸話が取り入れられているとされます。

ホジュンは人間を解剖したのか?

ドラマでは、ホジュンが師匠ユ・ウィテの遺体を解剖するという衝撃的な場面が描かれます。人体を実際に観察することで医学の知識を深めていくという、ドラマを代表する名場面の一つです。

しかし、史実のホジュンが人間を解剖したことを示す記録は確認できません。

『東医宝鑑』には「身形蔵府図」と呼ばれる人体図が収録されています。

身形蔵府図

<身形蔵府図>

この図から、ホジュンが実際に人体を観察したのではないかという説が語られることがあります。しかし、人体図が存在することだけを根拠に、ホジュンが実際に人体を解剖したと断定することはできません。

また、壬辰倭乱で亡くなった兵士をホジュンが解剖したという説についても、それを裏付ける確かな史料は確認できません。

ホジュンは賤民から御医になったのか?

ドラマでは、ホジュンは身分の低い賤民出身者として描かれています。厳しい身分制度の中で差別を受けながら医師としての才能を発揮し、最終的には王の主治医である御医にまで出世していきます。

では、史実のホジュンも本当に賤民だったのでしょうか?

史実のホジュンについて、韓国学中央研究院の『韓国民族文化大百科』は、武官の家柄に生まれ、母が正室ではなかったので「中人」とされたと説明しています。このように、史実のホジュンは賤民だったと断定できませんが、庶子の出身で、医官として実績を重ね、最終的に御医となったことは事実です。

つまり、「低い身分の出身だったホジュンが御医にまで出世した」というドラマの大きな流れには、史実が反映されています。ただし、「賤民から御医になった」という表現は、史実を正確に表したものではありません。

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ホジュンは光海君の天然痘を治療したのか?

ドラマでは、ホジュンが世子だった光海君の天然痘を治療し、その功績によって大きく出世しています。しかし、史実ではホジュンが光海君の天然痘を治療したことを示す確かな記録は見あたりません。

確かに、ホジュンが1590年に天然痘にかかった王子を治療したことは、複数の史料から確認できます。『宣祖実録』と、ホジュンが編纂した天然痘治療の専門医学書『諺解痘瘡集要』の跋文に、その記録が見られます。

実際、『宣祖実録』には次のように記録されています。

内医許浚、救療王子、特命加資
<宣祖実録:宣祖23年12月25日 1590年>

<訳>内医の許浚が王子を治療して救ったため、特別に加資するよう命じた。

この王子が天然痘にかかっていたことは、翌年の実録から確認できます。

此兒之姊亦因痘瘡而逝。旬日之內危急, 實無望其更甦, 幸而救活, 是浚之功, 非加資, 不足以報之。
<宣祖実録:宣祖24年1月4日 1591年>

<訳>この子(王子)の姉もまた、天然痘によって亡くなった。十日の間に危険な状態となり、もはや再び生き返ることは望めない状況であったが、幸いにして救うことができた。これは許浚の功績であり、位階の昇進(加資)を与えなければ、その功に報いることはできない。

また、『諺解痘瘡集要』には、この2年前の1588年に王子が天然痘にかかって亡くなったこと、その際には投薬を禁じられて救うことができなかったことが記されています。この王子は『宣祖実録』によって義安君であることが確認できます。宣祖はこれを悔やみ、今回はホジュンに投薬で助けるよう命じたとされます。

ホジュンは危険な状態にあった王子を救い、その功績が認められて加資を受けることになりました。したがって、ドラマの「ホジュンが天然痘を治療し、その功績によって加資を受けた」という部分は史実と一致します。

ただし、実録の該当記事では王子の名前が記されておらず、その王子が光海君であったのか、または信城君であったのか史料本文からは確認できません。

ホジュンは恭嬪金氏を治療したのか?

ドラマでは、ホジュンが宣祖の側室・恭嬪金氏の治療を担当します。恭嬪金氏が病に苦しむ中、ホジュンが治療にあたる重要な場面が描かれています。

しかし、史実では恭嬪金氏をホジュンが治療したことを示す確かな記録は確認できません。

恭嬪金氏は1577年に25歳で亡くなりました。『宣祖修正実録』には、恭嬪金氏が「宮中に自分を恨む者がいて、履物を取って呪詛している」と訴えたことが記録されています

恭嬪 金氏卒。ー<略>ー宮中有仇我者,取吾履隻, 詛呪病我
<宣祖修正実録:宣祖10年5月1日>

<訳>恭嬪金氏が亡くなった。ー<略>ー宮中に私を恨むものがいて、私の履物を取っていき、病気になるように呪詛している

ドラマでは、この実録に記録された恭嬪金氏の呪詛の訴えを取り入れ、さらにホジュンの治療を組み合わせています。つまり、恭嬪金氏が病気になり、呪詛を訴えたことは史実として記録されていますが、ホジュンが恭嬪金氏を治療したことは史料で確認できません。

ホジュンは壬辰倭乱で宣祖とともに避難したのか?

ドラマでは、1592年に壬辰倭乱が起こると、ホジュンも宣祖とともに避難します。

『国朝宝鑑』には次のように記されています。

都城から義州に至るまで、宦官数十人と御医の許浚、掖庭員(宮中の雑務や警衛を担当する官庁の官吏)4、5人、司僕員(馬や馬車などを管理する官庁の官吏)3人が、最初から最後まで(宣祖の)側を離れなかった。
<『国朝宝鑑』第31巻/宣祖25年>

このように、ホジュンが御医として宣祖に同行したことは史実です。しかし、ドラマで描かれる戦乱中の個々の出来事まで、すべて史実だったわけではありません。

ホジュンは避難中に信城君を治療したのか?

ドラマでは、壬辰倭乱の避難中に、病気になった信城君をホジュンが治療する場面が描かれています。信城君は宣祖と仁嬪金氏の間に生まれた王子で、壬辰倭乱の避難中に病気となり、1592年に亡くなりました。

実録には、信城君の死についてわずか1行の記録が残されています。

王子信城君卒。
<宣祖実録:宣祖25年11月5日>

<訳>王子・信城君が亡くなる

したがって、ホジュンが信城君を治療したことを示す確かな記録は確認できません。ただし、このときホジュンが御医として宣祖に同行していたことから、ドラマでは信城君の治療にあたったという設定になっています。

ホジュンの『東医宝鑑』は史実なのか?

ドラマでは、ホジュンが長年にわたって医学書の編纂に取り組み、最終的に『東医宝鑑』を完成させます。

史実でも、『東医宝鑑』はホジュンが中心となって編纂した医学書で、ホジュンの集大成とも言える代表的な功績の一つです。

『東医宝鑑』は1596年、宣祖の命令によって編纂が始まりました。途中、壬辰倭乱などによって作業は中断しましたが、その後も編纂が続けられ、1610年に完成しています。つまり、ドラマの中で描かれる「ホジュンが『東医宝鑑』を完成させる」というエピソードは、史実に基づいています。

なお、『東医宝鑑』には医学書とは思えない興味深い記述があります。
詳しくは>>ホジュンが編纂した東医宝鑑【医書とは思えない謎の文章とは】

まとめ

ドラマ「ホジュン」は、実在した医師・許浚をモデルにしています。宣祖に仕え、御医として王室の医療を支えたこと、天然痘にかかった王子を治療したこと、『東医宝鑑』を完成させたことなどは、史実をもとに描かれています。

一方で、科挙に首席合格したこと、ユ・ウィテを師匠として医学を学んだこと、人間を解剖したこと、光海君の天然痘を治療したことは、史料から確認できません。

また、ドラマでは「賤民から御医になった英雄」として描かれますが、史実のホジュンを賤民だったと断定することもできません。

このように、ドラマ「ホジュン」は史実をそのまま再現した作品ではなく、実在したホジュンの生涯や功績をもとに、ドラマとして脚色された作品です。だからこそ、ドラマと史実の違いを知ることで、実在したホジュンがどのような医師だったのか、その実像をより深く理解することができるでしょう。

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