赤い袖先はどこまでが実話か?
この記事ではドラマと史実との違いを具体的に比較します。
赤い袖先の実話
ドラマ「赤い袖先」はイ・サンの祖母・暎嬪李氏が亡くなったときから始まります。
イ・サンの祖母・暎嬪李氏の最期とその家族
1764年7月26日、英祖から最も寵愛を受けた側室の暎嬪李氏が亡くなりました。
享年69歳、このとき、英祖71歳、イ・サンはまだ13歳でした。
暎嬪李氏は英祖との間に1男6女の子供をもうけ、その中に米びつで亡くなった荘献世子と我がままな娘の和緩翁主がいました。
詳しくは>>暎嬪李氏の家系図【イ・サンの祖母は父の死を本当に願ったのか?】
イ・サンとドギムの出会い
イ・サンとドギムの出会いは1766年の頃と言われています。
1773年にイ・サンの妹である淸衍公主や淸璿公主と一緒に小説「郭張兩門録」を筆写したという記録があることから、妹を通して出会ったのかもしれません。
暎嬪李氏が亡くなった時に、幼いイ・サンとドギムが出会うのは、もちろんドラマの創作です。
ドギムが側室を拒否した理由:史実とドラマの違い
史実のドギムはイ・サンに気に入られますが、正室に遠慮して側室になることを断っていました。
王妃と親しかったのかも知れません。
ドラマでは王妃の存在はなく、側室を断ったのは、あくまでもドギム自身の考えで選んだように描かれています。
ドギムは王の愛情を感じながらも、自由を失うことで自分自身の価値観を捨てることを恐れたのでしょう。
または、王の愛が強すぎたがゆえに、ドギムはその愛を負担に感じてしまったのかもしれません。
イ・サンの代理聴政に臣下が猛反対
1775年12月にイ・サンの代理聴政が始まりました。
臣下は反対しましたが、英祖は自身の身体の衰えから、いつまでも自分が政務を執行できないと考え、最後は反対する臣下たちを押し切りました。
ドラマでも、洪璘漢をモデルにしたホン・ジョンヨが宮殿外から有名な三不必知説を王に向かって叫んでいる場面が描かれています。
<洪璘漢をモデルにしたホン・ジョンヨ>
遂に、イ・サンが即位
1776年3月5日、英祖が亡くなり、3月10日、正祖が第22代王に即位しました。
イ・サンが代理聴政を始めてから、約3ヶ月後のことです。
正祖は王に就くと、
「われは思悼世子の息子である」
と父親の正統性を宣言しました。
父の仇を討つ!イ・サンの徹底的な粛清
イ・サンは王位に就くと、父を陥れた者を次々と粛清していきました。
伯母の和緩翁主は王女の位を剥奪され、江華島に流刑となり、息子の鄭厚謙(チョン・フギョム)は賜死となりました。
ドラマでは、息子が母親の身代わりとして処刑となり、母親の和緩翁主は宮廷を去っています。
<赤い袖先の和緩翁主>
また、中殿の兄・金亀柱は流刑となり、1786年7月22日に流刑地で病死しています。
ドラマでは、兄を戻して欲しいと中殿がイ・サンに頼みますが、結局、兄・金亀柱が亡くなったとの訃報を聞くことになりました。
<赤い袖先の中殿・貞純大妃>
謀反に巻き込まれた弟・恩全君の死
1777年、洪相範らが恩全君(ウンジョングン)を担ぎ謀反を企てましたが失敗し、処刑されました。
イ・サンは異母弟の恩全君を庇いましたが、最終的に賜死を命じざるを得ませんでした。
ドラマでは、恩全君の死を悲しみ、酒に溺れるイ・サンの姿が描かれています。
洪国栄の破格の出世
イ・サンは度重なる暗殺から自分を救い、王にしてくれた洪国栄を絶対的に信頼していました。
<赤い袖先の洪国栄(ドンノ)>
即位後、洪国栄は破格の出世をします。
1776年、洪国栄は王の秘書である承政院都承旨(正三品堂上)になります。
更に翌年の1777年には、首都の防衛を担当する禁衛営大将になり、政治権力だけでなく、軍事力も掌握、態度は次第に横暴になり、独裁的になっていきました。
洪国栄について詳しくは>>洪国栄の家系図【イ・サンとの驚きの関係】
洪国栄の暴挙!妹を側室に送り込む
1778年6月、洪国栄は12歳の妹を正祖の側室に送り込みました。
洪国栄は王室の外戚になり更に、権力を強固にするために強引に政略婚を企てたのです。
<赤い袖先の元嬪洪氏>
妹が側室に決まると、側室の最上位の称号である嬪(正一品)を与えています。
もはや、洪国栄の暴挙はイ・サンですら止めることはできませんでした。
元嬪洪氏の突然の死
破竹の勢いの洪国栄にも、徐々に陰りが見えてきます。
側室になった翌年、妹の元嬪洪氏が突然、病死してしまいました。
余りにも突然の出来事でした。
元嬪洪氏について詳しくは>>イ・サンのウォンビンの死因【元嬪洪氏は実在した幼き側室】
孝懿王后に疑惑を抱く洪国栄
洪国栄は正室の孝懿王后が関わっていると疑惑を抱きます。
正祖の母・惠慶宮が書いた「閑中録」には、孝懿王后のお付きの宮女たちを多数つかまえて、酷い拷問したことが記載されています。
ドラマでも孝懿王后のお付きの宮女たちが洪国栄に拘束され、拷問を受ける場面がでてきます。
洪国栄の孤独な最後
洪国栄は宮廷内での不満が高まり、1779年に辞任を申し出ましたが処罰は受けませんでした。
しかし、1780年に弾劾を受け、故郷に追放されましたが、これは彼にとって流刑に等しいものでした。
その後、酒に溺れ、1781年に34歳で孤独な死を迎えました。
ドラマでは宮殿近くにいる設定でしたが、実際には故郷で余生を送っていました。
和嬪尹氏を側室に迎える
貞純大妃はイ・サンに跡継ぎがいないことを心配し、1780年に16歳の尹昌胤の娘を側室として選びました。
和嬪尹氏として嬪(正一品)の称号を与えられ、嘉禮(結婚式)も行われました。
1781年には出産準備が記録されていますが、子供は生まれず、死産または想像妊娠だったと考えられています。
和嬪尹氏について詳しくは>>イ・サンの2番目の側室ファビン(和嬪尹氏)とはどんな女性?
ドギムの出産と側室の最高位への昇格
1782年、ドギムは女官の身分で王子(李㬀)を出産し、遂に、側室となりました。
当時、彼女は和嬪尹氏に仕えていたとされています。
昇格を重ね、1783年には側室最高位の宜嬪成氏となり、1784年には王子が世子に冊封され文孝世子となりました。
ドラマでもドギムが宮廷に戻り、和嬪尹氏に仕えていたときに側室になっています。
文孝世子の死とドギムの急死
1786年5月、文孝世子が風疹で急逝しました。
さらに、ドギムは1784年に生んだ娘を2か月で失い、同年9月には妊娠中のまま34歳で急死しました。
立て続けに家族を失ったイ・サンの落胆ぶりは見ていられないほどだったといいます。
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ドラマと史実の違い
赤い袖先は史実をベースの創作を織り交ぜた物語です。
かなり史実に忠実に描かれていますが、ここではドラマと史実の違いついて、視聴のポイントになる点をご紹介します。
No. | 要素 | 史実 | ドラマ |
1 | ドギムとサンの出会い | 記録なし | お忍びの弔問 |
暎嬪李氏の死因 | |||
2 | サンの虎刈り | 記録なし | 創作 |
3 | ドギムの父 | イ・サンの母の実家の使用人 | 思悼世子の翊衛司 |
4 | ドギムの側室拒否 | 王妃への配慮 | 自由を求めた個人的選択 |
5 | 提調尚宮チョ氏 | 実在しない | 暎嬪李氏の友 |
6 | 廣寒宮のサン暗殺計画 | 記録なし | 創作 |
7 | 金縢之詞の場所の暗号 | 記録なし | 創作 |
8 | 和緩翁主の粛清 | 流刑、息子は賜死 | 宮廷を去る、息子は処刑 |
9 | ドンノの自害 | 流刑地で病死 | 創作 |
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脚本家の意図
脚本家チョン・ヘリはインタビューで「登場人物の歴史に残した足跡を尊重した」と語っています。
実際、3年の歳月をかけて徹底的に史実を調べ上げ、フィクションを交えながらも史実に忠実に脚本化しました。
特に、キャラクターのモチーフは歴史史料を参考にし、ホン・ドンロは歴史の人物ホン・グギョンが持つ野望を具現し、王妃キム氏も、名分を重要視する貞純王后をそのまま採用しました。
脚本の依頼をもらったときに、「女官の物語をしっかり描いてみよう」と思ったそうで、ドギムに最後まで「愛している」と言わせなかったのは、愛の選択が多くの犠牲の上に成り立っていた当時の悲しい女官の生涯を描きたかったのかもしれません。
ドギムの言動から、時代劇でありながら現代の女性像を意識したキャラクターとして、具現化していることが分かります。
ドギムの選択は、時代を超えて多くの女性に共感を呼ぶ部分ではないでしょうか。
実在した登場人物
「赤い袖先」は史実に忠実に描かれた物語です。
よって、登場する人物の多くは、実在した人物がモデルとなっています。
登場人物 | 実在のモデル | 備考 |
イ・サン | 正祖 | 第22代王 |
ソン・ドギム | 宜嬪成氏 | 正祖の側室 |
ホン・ドンノ | 洪国栄 | 正祖の側近 |
英祖 | 英祖 | 第21代王 |
王妃キム氏 | 貞純大妃 | 英祖の継室 |
ホン・ジョンヨ | 洪璘漢 | 左議政 |
ファワン翁主 | 和媛翁主 | 英祖の娘 |
ヘビン・ホン氏 | 惠慶宮洪氏 | 正祖の母 |
思悼世子 | 思悼世子 | 正祖の父 |
ソ・ミョンソン | 徐命善 | 少論派の重臣 |
チョン・フギョム | 鄭厚謙 | 和媛翁主の養子 |
チョンヨン公主 | 淸衍公主 | 正祖の妹、金箕性の妻 |
チョンソン公主 | 淸璿郡主 | 正祖の妹、鄭在和の妻 |
キム・ドゥソン | 金箕性 | 淸衍公主の夫 |
チョン・ジェファ | 鄭在和 | 淸璿郡主の夫 |
ホン・ダン | 元嬪洪氏 | 洪国栄の妹 |
ソン・シク | 成軾 | 宜嬪成氏の兄 |
淑儀ムン氏 | 淑儀文氏 | 英祖の側室 |
和嬪ユン氏 | 和嬪尹氏 | 正祖の側室 |
暎嬪イ氏 | 暎嬪李氏 | 正祖の祖母、英祖の側室 |
ドラマには、イ・サンの正室である孝懿王后は登場していません。
まとめ
ドラマ「赤い袖先」はイ・サン(正祖)とソン・ドギム(宜嬪成氏)を中心に、史実を基に描かれた物語です。
史実に基づく出来事や実在の人物が丁寧に描かれる一方で、自由な創作も加えられ、ドラマならではの感動を与えています。
本記事では、イ・サンの即位や側室の関係、粛清など、史実とドラマの違いを詳しく解説しました。
史実に興味を持ち、さらに深く知りたい方の参考になれば幸いです。