奇皇后のタファンのモデルは実在した元の皇帝トゴン・テムルです。
本記事では、家系図と史実をもとに、トゴン・テムルの出自や即位の経緯、波乱に満ちた生涯を詳しく解説します。
トゴン・テムルとは?奇皇后のタファンの実像
タファンのモデル・トゴン・テムルは、元の第11代皇帝(モンゴル帝国第15代皇帝)です。
チンギス・カンの血を継ぐ一族の末裔であり、政争に翻弄されながら即位した悲運の皇帝でした。
在位:1333年6月8日-1370年4月28日
出生:1320年4月17日
没年:1370年4月28日
配偶者:ダナシリ
バヤン・クトゥク
オルジェイ・クトゥク(奇皇后)
ムナシリ
子女:アユルシリダラ
トグス・テムル
トゴン・テムルの家系図|混乱した皇位継性
タファンのモデルになったトゴン・テムルは、あの有名なモンゴルの初代皇帝チンギス・カンの子孫です。
モンゴルの国号を元に改めた初代皇帝クビライからは6代目の子孫に当たります。
家系図を見ると、皇位継承の順序が大きく乱れていたことがわかりますが、その背景には権力者エル・テムルによる介入と粛清がありました。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<トゴン・テムルの家系図>
コシラ(父):エル・テムルに毒殺される
マイラダク(母)
リンチンバル(異母弟):即位直後に逝去
トク・テムル(叔父):2度皇帝となる
ブダシル(皇后):トク・テムルの皇后
エル・テムル:実権を握る重臣
1320年、トゴン・テムルは、父コシラと母マイラダクの間に生まれました。6年後、継母バブシャが弟のリンチンバルを生んでいます。
トゴン・テムルは、10歳のときに父が毒殺されると、権力者エル・テムルによって高麗へ追放されます。史実ではその後、さらに中国南部の静江府(広西)へ流されました。
<トゴン・テムルの流刑地>
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1332年、父の弟トク・テムルが死去すると、弟リンチンバルが即位しますが、すぐに病気で亡くなりました。そのため、翌年、13歳のトゴン・テムルは流刑地から呼び戻されます。
しかし、エル・テムルの妨害ですぐに皇帝の座に就くことはできませんでした。その年の6月8日、エル・テムルが病死。ついにトゴン・テムルが皇帝となります。
ドラマでは、タファン(トゴン・テムル)の即位後に、ヨンチョル(エル・テムル)は亡くなっています。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<後継争いの関係者>
エル・テムル一族の滅亡
エル・テムルの死後、バヤンが中書右丞相となり権力を握ります。
劣勢となったヨンチョル一族は、1335年に息子タンキシがクーデターを試みますが、バヤンにより鎮圧されました。
この機にバヤンは一族を徹底的に粛清、このときに、皇后ダナシリも処刑されています。
1340年|バヤンの追放と新たな政変
エル・テムルの死後、バヤンが権力を握りますが、その横暴にトゴン・テムルは再び苦しめられます。
トゴン・テムルは、若き重臣トクトと手を組み、バヤンの排除に動きます。1340年、トクトはクーデターを敢行。バヤンは捕らえられ、流刑地へ送られる途中で病死しました。
この政変により、皇太后ブダシリも流刑となり、朝廷内の旧勢力は一掃されます。
1350年|トクトの復権と権力の掌握
その後、トクトは一時的に政界を離れますが、1350年、父親の冤罪が晴れたことで中書右丞相に復帰しました。
以後、軍事と政治を掌握し、トゴン・テムルを支える最有力者となります。
1354年|トクトの死と元の衰退
トクトへの権力の集中を恐れたトゴン・テムルは、1354年に紅巾の乱の鎮圧に向かう途中でトクトの身柄を拘束、流刑地へ護送する途中で自害(毒殺)させてしまいました。
その結果、元の軍事力は衰退。1368年、朱元璋の明軍により元の防衛軍が破れ、明軍の大都への侵略を許す結果となりました。
1369年|北への逃亡とトゴン・テムルの死
1369年、トゴン・テムルは奇皇后、息子のアユルシリダラとともに、大都を捨てて、モンゴルの応昌府に逃亡します。翌年の1370年、50歳になったトゴン・テムルは応昌府で亡くなっています。
息子のアユルシリダラが即位、北元としてしばらく存続しますが、既に、元は滅亡に大きく向かっていました。なお、奇皇后がどこで、いつ亡くなったのかは、明らかではありません。
トゴン・テムルと奇皇后の関係
トゴン・テムルには4人の皇后と2人の息子がいました。
奇皇后(オルジェイ・クトゥク)は、側室から皇后へと昇格し、息子アユルシリダラを皇位につけた女性です。
彼女の出身は高麗の幸州奇氏で、ドラマのような「波瀾の女性」だったことは史実にも見られます。
<4人の皇后>
名前 | 子ども | 備考 |
ダナシリ | なし | バヤウト出身、エル・テムルの娘 |
バヤン・クトゥク | チンキム | コンギラト出身、ボロト・テムルの娘 |
オルジェイ・クトゥク | アユルシリダラ | 奇皇后、幸州奇氏出身、奇子敖の娘 |
ムナシリ | なし | コンギラト出身 |
史実とドラマのタファン像の違い
「奇皇后」のドラマで描かれるタファンは、優柔不断で頼りない皇帝として描かれています。
実在のトゴン・テムルもまた、常に他者に操られ、自らの意志を通しきれなかった皇帝であり、その点ではドラマの描写も一理あると推測されます。
ドラマ「奇皇后」では、高麗の大青島でタファン(トゴン・テムル)とスンニャン(奇皇后)は出会っていますが、もちろん、史実ではありません。
まとめ
奇皇后のタファンのモデルになったトゴン・テムルは、皇族を支える軍閥によって振り回された生涯でした。彼の皇位継承順の乱れた家系図を辿ると、その実情が見えてきます。
奇皇后のタファン(トゴン・テムル)は、確か“実在した人物でしたが、その姿は、ドラマの人物像と重なる部分もありつつ、史実ではさらに複雑で、数奇な運命を辿った皇帝でした。