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于氏王后(ウシワンフ)は実在した?|娶嫂婚を史実から検証

ドラマ「于氏王后」の主人公・于氏王后は実在した人物であり、「三国史記」には彼女の婚姻と王位継承に関わる記録が残されています。物語の重要な要素である「娶嫂婚」は、史実だったのでしょうか。

この記事では、于氏王后の実像を史料に基づき整理し、ドラマで描かれた娶嫂婚の史実性と、ドラマと史実の違いを詳しく解説します。

于氏王后(ウシワンフ)は実在したのか?

于氏王后(ウシワンフ)は高句麗第9代王・故国川王の王妃として実在した人物でした。「三国史記 高句麗本紀」の故国川王紀に、王妃となったことが記されています。

二年,春二月,立妃于氏為王后。后,椽那部于素之女也。
<三国史記 高句麗本紀 故国川王の条>

<訳>王在位二年、春二月、妃の于氏を立てて王后とした。王后は、椽那部の于素の娘である。
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娶嫂婚は行われたのか?|史実で見る于氏王后の行動

ドラマ「于氏王后」は、夫を失った王妃が「娶嫂婚」により、弟と再婚して、自身と一族を守る物語でした。「娶嫂婚」は本当に行われたのか?史実をもとに検証していきます。

第三王子(発歧)を訪問

故国川王が亡くなると、于氏王后はその夜、王の死を隠して、第三王子(発歧)を訪問。発歧が王を継ぐべきと進言しています。

しかし、王の死を知らなかった第三王子(発歧)は、次のように于氏王后の言動を諌めたと記されています。

天之曆數有所歸,不可輕議。况婦人而夜行,豈禮云乎?
<三国史記 高句麗本紀 山上王の条>

<訳>天の定めには帰するところがあり、軽々しく論じるべきではない。まして婦人が夜に出歩くとは、礼にかなうだろうか。

于氏王后は恥じて、そのまま第四王子(延優)の邸宅へ向かったとされます。

第四王子(延優)を訪問

第四王子(延優)は衣冠を整えて、于氏王后を門前で迎え、座に招いて宴を開いています。

このとき、于氏王后は王の死を告げ、第三王子が私(王后)に異心があると疑い、態度が粗暴で無礼であったこと。そのため、あなたに会いに来たと告げています。

そして、第四王子を誘って、宮中に戻ると、亡き故国川王の命令であるかのように装って群臣に命じ、延優を王に立てたとされます。

至翌日質明,矯先王命,令群臣,立延優為王。
<三国史記 高句麗本紀 山上王の条>

<訳>翌日の夜明けに、先王の命と偽って、群臣に命じ、延優を王として立てた。

于氏王后の狙いは?

于氏王后は、国王の死が公になる前に、弟である延優と婚姻しました。この行動は、王后一族の勢力を維持するための現実的な選択だったと解釈されます。当時、于氏一族は外戚として強い影響力を持っており、その地位を失うことは一族にとって致命的でした。

「三国史記」には、次のように記されています。

王本因于氏得位、不復更娶、立于氏為后
<三国史記 高句麗本紀 山上王の条>

<訳>王はもともと于氏によって王位を得たため、あらためて后を娶ることはせず、于氏を王后とした。

この一文は、王位の正統性が于氏との婚姻関係にあったことを明確に示すものです。延優が即位後も新たに王妃を迎えなかったのは、于氏との結びつきこそが王権の根拠だったからにほかなりません。

兄の妻を弟が娶るこの婚姻形態は、現代では취수혼(チスホン)と呼ばれ、ドラマでは「娶嫂婚」と表記されています。

※娶嫂婚:嫂(あによめ)を娶(めと)る婚(結婚)の意味

では、高句麗には娶嫂婚に相当する風習があったのでしょうか?

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娶嫂婚は高句麗に存在した風習か?

兄の死後に弟が兄嫁を娶る婚姻形態は、夫餘など北方系諸族の風習として中国史書「三国志」に記されています。

兄死妻嫂,與匈奴同俗。
<三国志 魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝 夫餘の条>

<訳>兄が死ぬと、その妻を弟が娶る。その風俗は匈奴と同じである。

※匈奴(きょうど):中国北方に勢力を持った遊牧民

娶嫂婚は高句麗に存在した風習ではありません。しかし、高句麗が夫餘と同系の文化圏であったことを考えると、于氏王后の婚姻も、こうした文化的背景の中で行われた可能性は否定できません。

ドラマと史実の違い

ドラマ「于氏王后」には、実在した人物が多く登場します。ここでは、史実に実在した人物と、物語を補うために創作された人物を整理します。

実在した人物と架空の人物

ドラマに登場する主要人物と、その史実上のモデルは次のとおりです。

ドラマの登場人物 実在のモデル 備考
ウ・ヒ 于氏王后 故国川王の王妃
コ・ナンム/第ニ王子 故国川王 第9代王
コ・ペウィ/第一王子 抜奇
コ・パルギ/第三王子 発歧
コ・ヨヌ/第四王子 延優(山上王) 第10代王
コ・ゲス/第五王子 罽須
コ・ベッコ 新大王 第8代王
ウル・バソ 巴素 国相
ウ・ソ 于素 于氏王后の父

于氏王后の姉として登場するウ・スンは、史料では確認できない架空の人物です。故国川王と于氏王后の出会いを印象づけるため、ドラマ独自に設定された存在と考えられます。

巧みに盛り込まれた創作部分

史実では、于氏王后は故国川王の即位後に王妃となっており、ドラマのように、即位前の故国川王が治める北方に嫁いだ記録はありません。

また、ドラマでは第三王子が乱暴で残虐な人物として描かれていますが、そのような性格を裏づける史料は確認できません。

これは、

于氏王后が第三王子のもとを去った際、態度が無礼だったと述べていること

第四王子(延優)の即位に第三王子の怒りが大きかったこと

といった史実上の行動をもとに、人物像を強調するために脚色された表現と見られます。

まとめ

于氏王后は、2世紀後半に高句麗第9代王・故国川王の王妃として実在した人物です。

ドラマで描かれた「娶嫂婚」は史実そのものではありませんが、于氏王后の再婚が一族の地位と政治的影響力を維持するための選択だった点は、史実に即した解釈といえます。

また、高句麗が夫餘と同系の文化圏に属していたことを踏まえると、于氏王后の再婚も、当時の社会に存在した娶嫂婚的な婚姻観念を背景に行われた可能性は否定できません。

于氏王后の再婚は、高句麗王権に制度として存在した婚姻慣行ではなく、王位継承という非常事態の中で選び取られた、きわめて例外的な政治判断だったと位置づけるべきでしょう。

ドラマ「于氏王后」は、こうした史実の行動と歴史的背景を土台に、人物関係や出来事を脚色し、物語性を高めたフィクション作品です。

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