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高句麗(コグリョ)の歴史年表【ドラマの史実を歴代王毎に詳しく知る】

時代劇を見るときの参考にしてください。

不足の年代は随時、追加していく予定です。

日付は陰暦を採用しています。

高句麗の始まり

高句麗は紀元前37年に扶余国出身の朱豪が鴨緑江の谷にある卒本地域に小さな国を建国したのが始まりです。

当初、高句麗は沸流国、鮮卑、扶余などの強国に囲まれた弱小国でした。

 

しかし、高句麗は小国を一つずつ併合する拡大策により領土を拡大、軍事力を強化していきました。

1世紀初頭には扶余を凌駕するほどの強国に拡大しています。

そして、高句麗は建国から668年に崩壊するまで、705年間も続く大国家として繁栄しました。

 

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朱豪(東明聖王)の生涯(BC58年~BC19年)

朱豪は高句麗を建国した人物ですが、神話化された部分が多く、詳しい生涯は分かっていません。

<朱豪が登場するドラマ>
・朱豪
・百済の王 クンチョゴワン

<朱豪の生涯と出来事>

出来事
BC58 金蛙王と柳花の間に朱豪が生まれる
BC39頃 烏伊(オイ)、摩利(マリ)、陝父(ヒョッポ)が朱豪の部下となる
BC37 朱豪が烏伊、摩利、陝父と共に扶余から亡命する
朱豪が高句麗を建国する
朱豪の妻・礼氏が類利(ユリ)を出産する
BC36 6月、沸流(ピリュ)国の松譲(ソンヤン)が降伏する
BC34 7月、卒本城と王宮を建造する
BC32 10月、烏伊と扶芬奴(プブンノ)が荇人(ヘンイン)国を征伐する
BC28 11月、扶尉猒が北沃沮(オクチョ)を征伐する
BC24 8月、柳花(ユファ)が東扶余で亡くなる
BC19 4月、礼氏と類利が高句麗に亡命してくる
類利を太子とする
9月、朱豪が亡くなる
類利が第2代王・瑠璃明王として即位する

 

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ユリ王(瑠璃明王)の生涯(BC37年~18年)

ユリ王は朱豪と扶余に残してきた最初の妃である礼氏との間に生まれた長男でした。

建国してまもない高句麗は強国に囲まれ内外とも安定しない国でした。

ユリ王は外交を駆使しながら高句麗の基盤を固めることに苦慮していました。

<ユリ王が登場するドラマ>
・朱豪
・風の国

<ユリ王の生涯と出来事>

出来事
BC37 ユリ王(瑠璃明王)は朱豪と礼氏の長男として生まれる
BC19 4月、屋智、句鄒、都祖の三人と共に卒本に行き、父・朱豪に会い、断剣を差し出す
断剣が一致、朱豪は喜び、太子とする
9月、朱豪が亡くなり、第2代王として即位する
BC18 7月、多勿侯の松讓の娘を王妃として迎える
9月、王は西方で狩りをして、白獐を捕まえる
BC19 10月、百濟の始祖・溫祚が王位に就く
BC17 第一子の都切(ドジョル)が生まれる
7月、鶻川に離宮を建造る
10月、王妃の松氏が亡くなる
二人の妃を側室として迎える
鶻川人の禾姬と漢人の雉姬。不仲で別々に住む
BC12 第二子・解明(ヘミョン)が生まれる
BC9 4月、扶芬奴が鮮卑を策略で倒し、属国にする
BC6 1月、扶余の帯素王が使者を派遣し、人質を交換して国交を開くことを要請してくる
太子の都切が人質を怖がり行くことを拒否する
11月、怒った帯素王は5万の兵を以て侵攻してきたが、大雪で退却する
BC1 8月、天子に供える豚が逃げ出し、託利と斯卑が捕らえるが傷つけたとして処刑される
AD1 1月、太子の都切が亡くなる
AD3 10月、国内(国内城)に遷都し、尉那巌城を築く
12月、質山の北で狩り、5日も帰らなかった
大輔の陜父が諌めると、王は怒り、陜父の官職を剥奪する。陜父は憤慨して南韓に去る
AD4 2月、解明王子を太子とし、全国で恩赦を行う
第三子・無恤(ムヒョル)が生まれる
AD5 9月、箕山の野で両脇に羽を持った異人に出会う
羽氏の姓を与え朝廷に登用、王女を娶らせる
AD8 1月、太子の解明が黃龍王の贈り物の弓を使者の前で折り、隣国との国交を大切にしてきたユリ王の怒りを買う。
AD9 3月、ユリ王が解明に自害を迫る。解明は槍に自ら刺さり自決する
太子の礼にのっとり、東原に埋葬される。廟を建て、その地を槍原と名付ける
8月、扶余の帶素王の使いが来て王をなじり、従属国として礼を尽くすよう要求する
AD10 7月、豆谷に離宮を建てる
AD13 11月、扶餘が侵攻してきたが、無恤が計略を図り、少数の兵でこれを防ぐ
AD14 1月、王子無恤を太子に立て、軍事国政を委ねる
8月、王は烏伊(オイ)と摩離(マリ)に2万の兵を率いさせ、西に梁貊(ヤンメク)を征伐させる
更に、進んで漢の高句麗県を征伐する
AD18 4月、如津王子が溺死する
当初、遺体が発見できなかったが、 沸流人が遺体を見つけて葬祭する
7月、ユリ王が豆谷に行幸する
10月、ユリ王は豆谷の離宮で亡くなり、諡号を琉璃明王とする
無恤(ムヒョル)が15歳で第3代王に即位する

 

大武神王(ムヒュル)の生涯(4年~44年)

大武神王は「戦争の神」と呼ばれるくらい隣接国を征服し、高句麗の領土拡大に貢献しました。

<大武神王が登場するドラマ>
・風の国

<大武神王の生涯と出来事>

出来事
4 2月、解明(へミュン)が太子となる
ムヒョルがユリ王(瑠璃明王)と松氏(松讓の娘)の間に生まれる
8 中国の王莽が前漢を滅ぼして、新国を建国する
9 3月、解明がユリ王の命令で自害する
13 11月、扶余軍を撃退して功績を上げる
14 11歳で太子となり、軍事と国政を任される
15 中国の光武帝が新国を滅ぼし、後漢を建国する
18 4月、如津(ヨジン)王子が溺死する
10月、瑠璃明王が亡くなる
無恤(ムヒョル)が第3代高句麗王として即位する
20 3月、東明王廟を建てる
9月、骨句川で狩りをして、神馬を得る。駏䮫と名付ける
10月、扶余王の帯素が使者を派遣して赤烏を送ってくる
21 12月、鼎氏、怪由、麻盧が家臣になる
22 2月、軍隊を扶余国の南方に進め、怪由が帯素王を殺害する
3月、神馬の駏䮫が扶餘の馬百匹を引き連れて鶴盤嶺の麓の車廻谷に帰ってくる
4月、帯素の末弟が鴨渌谷に脱出して曷思国を建国、曷思王となる
7月、帯素の従弟が1万余人の扶餘人を連れて投降してくる
10月、怪由が亡くなる。北溟山の南に葬り、時節ごとに祭らせる
25 2月、乙豆智を右輔に任命し、軍事と国政を任せる
26 10月、王が蓋馬国を征服し、王を殺害する。しかし、民を案じて捕虜、強奪は禁じる
12月、蓋馬国が滅ぼされたことを聞いた句茶国王が国ごと投降してくる
27 1月、乙豆智を左輔、松屋句を右輔に任命する
28 7月、漢の遼東太守の将兵が討伐にきたが、乙豆智が策を勞してこれを防ぐ
30 7月、買溝谷の尚須が弟の尉須、従弟の于刀らとともに投降してくる
32 3月、大臣の仇都、逸苟、焚求ら三人を降格して庶人とする
南部の使者のチュバルソ(鄒勃素)を沸流部の長にする
4月、王子の好童が沃沮に行き、樂浪王の崔理と出会う
崔理は好童が気に入り、崔理の娘を娶らせる
好童は崔氏の娘に鼓角(太鼓と角笛)を壊すことを命じる
大武神王が樂浪国を攻撃、崔氏は裏切った娘を殺害して降伏する
11月、元妃の告げ口を信用した王が好童王子を自害させる
12月、王子の解憂を太子とする
37 樂浪国を再び襲撃、滅ぼして支配下に治める
44 9月、後漢の光武帝が海路出兵して討伐を開始、楽浪郡を奪回される
10月、大武神王が亡くなる。大獣林の原にて葬儀を行われ大武神王と諡される。

 

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