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韓国ドラマに登場する後金とは【本当に野蛮な民族なのか?】

韓国ドラマによく登場する後金とは

どんな国だったのか?
モンゴルと関係ある?
なぜ、朝鮮に侵攻したのか?

そんな疑問を徹底解説します。

後金はどんな国?

後金とは、1616年にヌルハチが中国東北部に女真族を統一して建国した国です。

国名の「後金」の由来は、かつて女真族が治めていた「金という国の後にできた国」という意味です。

12世紀、女真族は「金」という国を築き、一時は北中国を支配していました。

しかし1234年、チンギス・ハンが築いたモンゴル帝国によって金は滅ぼされ、女真族は各地に散り散りとなります。

それから約400年後の1616年、ヌルハチが登場してバラバラだった女真族を統一して、北方の地に後金を建国しました。

中国の北方に建国された後金

<建国された当初の後金の位置>

この出来事が大帝国・清の誕生につながる最初の一歩となりました。

出来事
1115年 北中国に女真族により金が建国される
1234年 金がモンゴルに滅ぼされる
1616年 ヌルハチが女真族を統一。後金を建国する
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後金とモンゴルの関係

韓国ドラマを観ていると、「後金はモンゴルなの?」と思うかもしれませんが、答えはNOです。

ドラマに登場する後金の将軍や兵士はまるでモンゴル人のように描かれていますが、後金の建国者・ヌルハチやその民族はモンゴル人ではなく女真族です。

また、後金の先祖の国「金」を滅ぼしたのはモンゴルでしたが、ホンタイジの時代には、逆にモンゴルの一部(チャハル部など)を平定し、その勢力を取り込んでいます。

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後金と朝鮮の関係|なぜ、朝鮮に侵攻したの?

後金は朝鮮に二度の大大規模な侵略を行っています。

丁卯の乱(1627年)
丙子の乱(1636~1637年)

後金が朝鮮に侵攻した理由としては、次のように言われています。

「光海君は明と後金の双方との外交関係を維持する巧みな外交を実施、朝鮮・後金関係は友好的であったが、次の王・仁祖が親明政策をとったために後金との関係は悪化、朝鮮は後金の侵略を受けた。」

これは、稲葉岩吉氏が著書「光海君時代の満鮮関係」で述べたもので、後金が朝鮮に侵略した理由として一般的に支持されてきたものです。

<豆知識>稲葉岩吉(1876-1940)
日本の歴史学者で専門は朝鮮史・中国史。特に、朝鮮史研究の権威者として知られています。

後金の侵攻理由をもう少し具体的に説明すると、ホンタイジは1636年に国名を清に改称、自ら皇帝になり、朝鮮に君臣の関係を要求しました。

しかし、仁祖は明の皇帝を差し置いて、野蛮人のホンタイジを皇帝と呼ぶことも、また、君臣の関係になることも拒否しました。

これに怒ったホンタイジが自ら兵を率いて、朝鮮に侵攻したということです。

後金から清へ|中国全土を支配した大帝国の始まり

ヌルハチによって建国された後金は、息子のホンタイジの手腕により、わずか20年ほどで、中国全土を支配する「清」へと発展し、260年にわたる王朝の基礎を築きます。

出来事
1616年 ヌルハチが後金を建国する
1626年 ヌルハチ死去、ホンタイジが即位する
1636年 国号を後金から清、女真族を満州族と改称する
1644年 明が滅亡、清が中国を統一する

清はこの後、1912年に滅亡するまで中国最後の統一王朝として君臨しました。

韓国ドラマに描かれる後金|野蛮な民族なのか?

「恋人」や「華政」など後金が登場する韓国ドラマでは、後金は「野蛮な侵略者」として描かれています。

特に、朝鮮が受けた侵略の苦しみを強調するため、物語では後金の「野蛮で残虐な行為」を過剰に強調する傾向が見られます。

しかし、実際の後金は明の文化や制度を取り入れながらも、独自の制度(軍の八旗制や官庁の満漢併用制など)を採用して大帝国・清へと発展していきました。

現代の視点から見ても、政治、経済、文化の面で高度な民族であり、初期の後金が一概に「野蛮な民族」とは言えないと考えます。

まとめ

韓国ドラマでは「野蛮な女身族」として描かれることの多い後金ですが、実際には、後に清へと発展して中国全土を統一するまでに発展した強国でした。

朝鮮への侵攻も、領土拡大のための単なる暴力ではなく、朝鮮の外交政策の失敗が背景にありました。

このように、歴史的背景を知ることで、物語の深みが増し、登場人物たちの行動や決断もより理解しやすくなります。

歴史を知れば、ドラマはもっと面白くなる。

そんな視点で、韓国時代劇ドラマを楽しんでください。

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