善徳女王は実在した女王なのか?悪女ミシルとの対決、ピダムとの恋は実話なのか?
この記事では、史料に基づき善徳女王の実在性、ミシルとピダムに関する史実とドラマの違いを徹底解説します。
善徳女王は実在した女王か?
善徳女王は三国時代に実在した朝鮮半島初の女性の王(新羅・第27代王)です。父の真平王には男子の後継者がいなかったため、長女の善徳女王が王位を継ぎました。
善徳女王について書かれている史料としては
・三国遺事
・花郎世紀
が残されています。
三国史記には善徳女王の即位後の政治や出来事、三国遺事では預言的な能力の逸話が記録されています。但し、即位前の記録や私生活に関する情報は記載されていません。
また、花郎世紀は善徳女王のドラマの題材となっていますが、史料としては信憑性が低いとされています。つまり、善徳女王は歴史上、実在したことは確かですが、実はその人物像や詳細の多くは謎に包まれています。
詳しくはこちら>>善徳女王の家系図を徹底解説【女王の特異性と歴史的役割】
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歴史上、実在した人物を登場させていますが、物語の大部分は創作です。
例えば、善徳女王が双子という設定はドラマの脚色であり、史料には記録がありません。三国史記では長女とされ、花郎世紀では次女とされています。
また、史料に残る善徳女王の逸話は限られており、ドラマの物語は花郎世紀を中心に脚色されたものです。
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ミシルの名前は三国史記にも三国遺事にも記録はなく、花郎世紀にのみ登場します。
花郎世紀によると、ミシルは王妃の一族に生まれその美貌と教養から、花郎の最高指導者の地位に付きました。夫以外に6人の男性を情夫として囲い、権力を掌握したと書かれています。
詳しいくはこちら>>善徳女王のミシルは実在した?その驚きの男性関係を解説
また、ミシルは612年頃に亡くなっており、632年に即位した善徳女王と直接対決することはありえません。つまり、ドラマのような善徳女王とミシルの対決は存在しませんでした。
ピダムは実在したのか?
ピダムは三国史記に登場する実在した人物です。ただし、ミシルの息子ではなく、善徳女王と恋愛関係の記録も存在しません。
史実では、女王を廃位しようとして647年に反乱を起こしましたが、敗れて処刑されてしまいます。その時、既に善徳女王は亡くなっていました。
ピダムが善徳女王の目の前で刺されて亡くなる劇的な最後はドラマの創作です。
善徳女王の史実での功績
善徳女王は治世の中で以下のような功績を残しています。
・東アジア最古の天文台「瞻星台」の建立
・隋や唐との外交強化
これらの功績により、新羅の基盤を固め、後の三国統一へとつながる礎を築きました。
まとめ
善徳女王は確かに実在した女王ですが、ドラマ「善徳女王」の物語のほぼ全てが創作です。
・ミシルと善徳女王の対立は存在しない
・ピダムは実在するが、恋愛関係は創作
・女王自身の記録は少なく、多くが後世の脚色
それでもドラマの成功によって善徳女王は歴史的関心を集め、今では金春秋や金庾信と並び朝鮮初の女王として広く知られる存在になりました。