シンイの最終回を見終わって、何かモヤモヤとした疑問が。。。
そこで、最終回の結末を詳しく調べてみました。
この記事ではシンイの最終回の疑問を詳しく解説しています。
最終回の疑問を解説
ヨンを救うために天門に入ったウンスが手術用具などを持って戻った場所は、何と100年前の時代でした。
つまり、ウンスがヨンに連れてこられた時代が1351年の高麗時代なので、100年前とは1251年になります。
100年前の時代に行ったウンスはそこで1年ほど暮らしたようです。
<現代と往来の往来状況>
その時に現代医術で多くの人を助けると同時に、100年後の自分に手紙と手帳を残しました。
実は、伝説の神医(シンイ)とはウンス、その人だったのです。
100年後に手帳を見たウンスが手帳に見覚えが無かったのは、その手帳は現代に戻ったときに記者から奪ったバックに入っていた「記者の手帳」だったからです。
手紙を入れたフィルムケーズもカメラマンのものでした。
逆にプロジェクターに驚いたのは、それが自分の持ち物だったからです。
脚本家ソン・ジナの話では、100年前に行ったウンスは何回か天門をくぐって現代の戻り、再び、ヨンのいた時代に戻るために天門をくぐっていたようです。
ヨンの時代に戻れないのは、自分の思いの弱さによるものだと思っていたとか。。。
そして最後に、ついにヨンの生きている時代にもどることができたのです。
その時代は4年経った1355年ということです。
ウンスが戻った天門の近くに、高麗の兵士が大勢いたのは、4年経って元の土地を高麗が取り戻したからです。
事実、実在した崔瑩(チェ・ヨン)は1355年に恭愍王の命令で、元に占領されていた鴨緑江西域の八つの軍事基地を奪還しています。
ウンスが100年前の時代で1年間過ごしていた間に、ヨンは天門の土地を取り戻して、天門の近くの木の下で待っていたんですね。
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実は、違った最終回があった!?
シンイには違った最終回があったのはご存知ですか?
脚本家のソン・ジナさんが書いた最終回は実はドラマとは違っていました。
天の門から戻ってきたウンスがヨンを探しに行くと、ヨンが倒れていた場所は一面小菊が咲き誇っていました。
実は、キ・チョルに敗れて凍らされて瀕死のヨンが生き返る場面があったのです。
小菊が咲き誇る場所に倒れたヨンにポツポツと雨が降ってきます。
なんとか目を開けたヨンの手に触れたのは古ぼけてはいるけどアスピリンの瓶でした。
ヨンは自分が持っているアスピリンの瓶を取り出して2つを並べて見ていると。。。
徐々に、心臓の音が正常に鼓動していきます。
ヨンはポツポツと落ちる雨粒の中で無事に助かるのでした。
場面はウンスがヨンを探す場面に戻ります。
ウンスが振り返るとそこにはヨンが驚いたように立っていました。
笠を外して、ヨンの方にあるき出すウンス、徐々に小走りに。。。
信じられないと思いながらも、両手を広げて迎えるヨンの胸にウンスが飛び込みます。
ヨンはウンスをシッカリと抱きしめました。
こんな、最終回があったのです。
おそらく、監督の意向で大幅にカットされた場面だったと思います。
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それでも残る疑問
それでも、まだいくつかの疑問が残りますね。
・最終回でキ・チョルは死んだの?
・なぜ、プロジェクターを持ってたの?
・徳興君が焼いた手帳の内容とは?
・ウンスはヨンと結婚するの?
チャン侍医はなぜ、突然消えたの?
チャン侍医を演じていたイ・フィリップが目の病気になり急遽、手術をすることになったからです。
実は、高麗時代でのウンスの師匠でもあったチャン侍医は最終回まで登場する予定でした。
チャン侍医はウンスに打たれた毒の解毒を作っていたなど、まだまだ、活躍の場が用意されていたのに残念です。
最終回でキ・チョルは死んだの?
天門にはじき出されたキ・チョルはその場で死んだことになっています。
もともと、自分の力を最大限にするために自分の命を縮めていましたから。
なぜ、プロジェクターを持ってたの?
脚本家のソン・ジナさんはウンスが「両親との別れの挨拶」ができるようにと組み込んだと言っています。
もともとは、ウンスが最初に高麗に行くときに持っていく予定だったそうです。
都合上現代に戻ったときに持っていくことになって何となく不自然になったそうです。
でも、最初に持っていっても不自然ですよね?
徳興君が燃やした手帳の内容とは?
徳興君が手帳の残りを燃やしてしまいますが、なんて書かれていたのか気になりませんか。
実は、最終回のウンスのナレーション部分がその残りの部分だったそうです。
あの日、どの瞬間の何がいけなかったのか・・・
一度離れたあの人のところへもう一度行くために何が必要だったのか?
私の想いが足りなかったの?
それとも信じる気持ちが?
私はまたあの人と離れてしまった
死にかけているあの人を置いて来たあの世界から、百年前の世界に一人残された
それでも私は信じてる。
あの日あの人は死んでなかったと信じてる
誰かが言った。
切実な想いが縁を作り、記憶だけがその瞬間を果たせると
ウンスはヨンと結婚するのか?
おそらく、脚本家のソン・ジナさんは結婚させるつもりだったと思います。
その理由は、ウンスは実在したチェ・ヨン将軍の第二夫人のユ夫人を意識して名前を決めているからです。
脚本家ソン・ジナと監督キム・ジョンハク
シンイは色々な点で、疑問が残る不完全燃焼的なドラマでした。
それは、脚本家のソン・ジナと監督のキム・ジョンハクの物語や登場人物にかける思いの違いが大きかったからです。
事実、ソン・ジナの書いた脚本は大きく変更されたり、カットされたいいます。
二人は、仕事が終わると「二度とこの人とはもう仕事はしたくない」とお互いに思っていたようです。
脚本家と監督の話としては、イ・ビョンフン監督と脚本家の話が有名です。
イ・ビョンフン監督は、脚本が自分の意向に合わないと何回でも書き直しを命じました。
脚本家はクタクタにくたびれて、「仕事が終わると同じように二度とあの監督とは仕事をしたくない」と思うようです。
でも、キム・ジョンハク監督との違いは、勝手に脚本を変えるのではなく、脚本家が最終的には納得して書き換えていることです。
従って、できた作品は二人の意見を取り入れながら一つの物語として出来上がっています。
キム・ジョンハク監督の場合は、全て、キム・ジョンハク監督の意志や意向に大きく依存してしまいます。
でも、そのことに反して何作もの作品をソン・ジナとキム・ジョンハクは世に出してきました。
お互いが意見をぶつけ合うやり方が成功する場合と失敗に終わる場合があります。
シンイはどちらかというと失敗した作品ではないでしょうか。
結果、シンイは思ったように視聴率も上がらず、最終的には本当に不幸な結果を招いてしまいました。
作品の発想や出演者が良かっただけに残念です。
まとめ
本解説は、シンイの脚本を書いたソン・ジナさんが説明している内容をもとにまとめたものです。
実は、ドラマの中ではカットされた部分や変更させられた部分が多く、ソン・ジナさんは、かなり凹んだようです。
途中、物語の展開がタレた割には、最終回が駆け足になったのも残念でした。
そのため、物語の結末が分かり難くなってしまいました。
本記事を参考に、もう一度、作品を見てはいかがでしょうか。
以外に新しい発見があるかもしれませんね。
最後に、脚本家ソン・ジナさんの好きなセリフをご紹介して終わります。
「大丈夫。
全てうまくいく。これからが始まりだ」