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朝鮮王朝の王妃たち【在任・長寿・廃位の記録を徹底解説】

歴史ドラマでは描かれないリアルな王妃たちの運命とは?

本記事では、王妃の在任期間の長さ、最も長生きした王妃、政権を握った女性たち、さらには廃位された悲劇の王妃や、王妃になれなかった世子嬪たちまで、王妃の実像をランキングで紹介します。

【王妃ランキング】在任期間が最も長かったのは誰?

在任期間が最も長かったのは英祖の最初の王妃・貞聖王后の33年間です。

英祖も在任期間が52年と歴代王の中で最も長かった王です。

王妃 期間 在任した年 備考
1貞聖王后 英祖 33 1724-1757 在任中に逝去
2.純元王后 純祖 32 1802-1834 大妃になる
3.明成皇后 高宗 29 1866-1895 在任中に逝去
4.昭憲王后 世宗 28 1418-1446 在任中に逝去
5.文定王后 中宗 27 1517-1544 大妃になる
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【短命の王妃】たった7日で廃位?

逆に、在任期間が最も短ったのは、ドラマ「七日の王妃」に登場した端敬王后です。

王妃の期間はたったの7日でした。

また、悲劇の王・端宗の王妃・定順王后も1年5ヶ月と短かい在任期間でしたが、廃位後は、歴代最長の81歳まで長生きしています。

端敬王后と定順王后は廃位されたことで、在位期間が短くなりましたが、他の王妃は王が逝去したことで、王妃としての在位期間が短くなりました。

王妃 在任期間 以後 王妃としての在任
1.端敬王后 中宗 7日 廃位 1506年9月18日
1506年9月25日
2.仁聖王后 仁宗 7ヶ月 大妃 1544年11月28日
1545年8月8日
3.安順王后 睿宗 1年2ヶ月 大妃 1468年9月7日
1469年11月29日
4.定順王后 端宗 1年5ヶ月 廃位 1454年1月22日
1455年6月11日
5.定安王后 定宗 2年2ヶ月 大妃 1398年9月5日
1400年11月13日
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【長寿の王妃】最も長生きした王妃は誰?

歴代の王妃で70歳以上長生きした王妃は5人います。最長は定順王后の81歳です。

<長生きした王妃>

王妃 享年 生年-没年 子供 備考
1.定順王后 端宗 81 1440-1521 なし 廃位
2.孝定王后 憲宗 72 1831-1903 1女
3.純貞孝皇后 純宗 72 1894-1966 なし
4.端敬王后 中宗 70 1487-1557 なし 廃位
5.仁元王后 粛宗 70 1687-1757 なし

注意)年齢は満年齢で計算しています。従来、韓国式では生まれたときを1歳として数える「数え年」の方法を採用していました。

定順王后は夫の端宗の廃位により、幼くして王妃の座から降りていますが、81歳まで長生きしています。

七日の王妃と呼ばれ、王妃の座を短期間で追われた端敬王后も70歳まで長生きしています。

また、長寿の王妃の特徴としては、ほとんどの王妃が子供を生んでいません。

<豆知識>朝鮮時代の女性の平均寿命
朝鮮時代史研究者のイミソン韓国学中央研究院博士の論文によると、王妃の平均寿命は51歳で、側室の平均寿命は57歳、両班の女性平均寿命は45歳です。これは、後に追悼された人も含む王妃47人と正確な寿命がわかる側室48人を分析した結果です。

【女政治家の真実】垂簾聴政を行った6人の王妃

垂簾聴政を行なった王妃は6人います。

垂簾聴政とは王が幼い時に代わって、祖母の大王大妃が政治を仕切ることです。

儒教により朝廷で女が表に立つことは好ましくないため、玉座の後ろに簾を掛けて大王大妃が座ったことから、「垂簾聴政(すいれんちょうせい)」と呼ばれました。

実際には、ドラマのように朝廷の議論に参加することはなく、議論した結論を最終的に決定するのが役割でした。

<垂簾聴政を行った王妃>

王妃 大妃の称号 対象の王 時期(年)
貞熹王后 慈聖大王大妃 第9代成宗 1469-1476
文定王后 聖烈大王大妃 第13代明宗 1545-1553
仁順王后 懿聖王大妃 第14代宣祖 1567-1568
貞純王后 睿順大王大妃 第23代純祖 1800-1803
純元王后 明敬大王大妃 第24代憲宗 1834-1840
第25代哲宗 1849-1851
神貞王后 孝裕大王大妃 第26代高宗 1863-1866

朝鮮王朝で初めて垂簾聴政を行った王妃は貞熹王后でした。

また、純元王后は垂簾聴政を2回行なっています。第24代憲宗と第25代哲宗のときです。

【悲劇の王妃たち】廃位された10人の王妃

朝鮮王朝時代に廃位された王妃は全部で10人います。

生前に廃位された最初の王妃は燕山君の母・廃妃尹氏でした。端宗の王妃・定順王后は生前に大妃から廃位になりました。

<廃位された王妃の一覧>

国王 王妃 享年 廃位 復位
1.太祖 神徳王后 40 死後 第18代王・顕宗が復位させる
5.文宗 顕徳王后 23 死後 第11代王・中宗が復位させる
6.端宗 定順王后 81 生前 第19代王・粛宗が復位させる
9.成宗 廃妃尹氏 37 生前 燕山君が復位させるが、再び廃位
10.燕山君 廃妃慎氏 65 生前 (廃位のまま)
11.中宗 端敬王后 70 生前 第21代国王・英祖が復位させる
15.光海君 廃妃柳氏 47 生前 (廃位のまま)
19.粛宗 仁顕王后 34 生前 粛宗が復位させる
張禧嬪 42 生前 (廃位のまま)
26.高宗 明成皇后 44 死後 日本が復位させる

王妃の廃位後の暮らし

廃位は重大な罪の処罰なので、周囲からは閉ざされひっそりと暮らすことになります。

ドラマでも白い服を着て質素に暮らす様子が描かれていますが、王室や実家からのわずかばかりの援助で寂しく一生を終えたと思われます。

【王妃の夢破れた女性たち】世子嬪だったが王妃になれなかった理由とは?

世子嬪になりながらも、夫(世子)が廃位、殺害、または病死したために王妃になれなかった不幸な女性たちがいます。

夫が廃位または殺害された世子嬪

廢嬪朴氏は仁祖反正で夫とともに廃位され、流刑になりました。

流刑地から夫と脱走を試みますが、失敗、最後は自決しています。

世子嬪 国王 原因
賢嬪沈氏 李芳碩 太祖 第一次王子の乱で夫が殺害される
隨城府夫人 譲寧大君 太宗 素行不良で夫が廃位
廢嬪朴氏 李祬 光海君 仁祖反正で夫が廃位
恵慶宮洪氏 荘献世子 英祖 夫が米びつに閉じ込められて亡くなる

夫が病気で亡くなった世子嬪

昭顕世子や孝明世子は毒殺との噂もある世子です。昭顕世子の妻・愍懐嬪姜氏以外は、死後、王妃に追尊されています。

昭恵王后は仁粋大妃の名の方が有名です。

世子嬪 国王 原因
昭恵王后 懿敬世子 世祖 夫が病死
愍懐嬪姜氏 昭顕世子 仁祖 夫が病死
孝純王后 孝章世子 英祖 夫が病死
神貞王后 孝明世子 純祖 夫が病死

まとめ

王妃というと、栄華に包まれた華やかな存在のように見えますが、実際には「政治の駒として翻弄される」、「無念の廃位」、「王妃になれぬまま生涯を終える」など、苦難を歩んだ女性も多くいました。

長寿や短命、垂簾聴政といった多様な切り口から見ることで、朝鮮王朝の女性たちの姿がより鮮明に浮かび上がってきます。

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