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貞熹王后の家系図【朝鮮王朝で初めて垂簾聴政を行った大王大妃】

貞熹王后が癸酉靖難の決行時に躊躇する夫に鎧を着せて決意させた話は有名です。

史実の貞熹王后はどんな女性だったのか。

貞熹王后の家系図から詳しく調べてみました。

 

貞熹王后の家系図

貞熹王后(チョンヒワンフ)は高麗開国の功臣だった尹莘達を始祖とする坡平尹氏一族の出身です。

坡平は京畿道坡州の昔の呼び名です。

<貞熹王后の家系図>

 

多くの王妃を輩出した家系

坡平尹氏は4人の王妃と1人の側室を輩出した名門の家系です。

名前 正室/側室 国王 父親
貞熹王后 正室 第7代世祖 尹璠
貞顯王后 正室(3番目) 第9代成宗 尹壕
章敬王后 正室(2番目) 第11代中宗 尹汝弼
文定王后 正室(3番目) 第11代中宗 尹之任
淑嬪尹氏 側室 第12代仁宗 尹元亮

 

貞熹王后の兄の尹士昀の子孫に成宗の王妃・貞顯王后と中宗の王妃・章敬王后がいます。

また、貞熹王后の弟の尹士昕の子孫には中宗の王妃・文定王后と仁宗の側室・淑嬪尹氏がいます。

<多くの王妃を輩出した坡平尹氏>

成宗の王妃で廃位された廃妃尹氏も坡平尹氏から分派した咸安尹氏一族の出身でした。

廃妃尹氏は燕山君の生母として有名です。

 

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貞熹王后はどんな王妃だったのか?

貞熹王后は癸酉靖難のときに、躊躇する夫の首陽大君(世祖)に鎧を着せて決心をさせた話は有名です。

また、孫の成宗が王になったときには、幼い成宗に代わって垂簾聴政で政治を仕切りました。

こうしたことから、貞熹王后は聡明で気丈、政治に関心の高かった王妃であったことが分かります。

 

貞熹王后プロフィール

貞熹王后は朝鮮王朝で初めて垂簾聴政(すいれんちょうせい)を行った大妃でした。

<プロフィール>
貞熹王后(チョンヒワンフ)
生年:1418年11月11日
没年:1483年3月30日
享年:66歳
本貫:坡平尹氏
父親:尹璠
母親:仁川李氏
夫:世祖
長男:懿敬世子
長女:懿淑公主
次男:睿宗
埋葬:光陵

 

初めて垂簾聴政を行った大王大妃

夫の世祖が亡くなると、次男の睿宗が即位しましたが、翌年に亡くなってしまいました。

次の王には睿宗の息子・斉安大君(4歳)がなるべきでしたが、貞熹王后は韓明澮と幼いことを理由に王位を与えませんでした。

 

貞熹王后は長男・桃源君の息子の乽山君(成宗)を王に即位させます。

乽山君には兄の月山大君がいましたが、病弱であることを理由に王位継承から外されています。

 

貞熹王后は乽山君がまだ13歳のため垂簾聴政により、王に代わって政治を仕切りました。

貞熹王后は朝鮮王朝で初めて垂簾聴政行った王妃です。

<豆知識>垂簾聴政とは
幼い王に代わって、政治を仕切ることです。儒教により朝廷に女が入ることは好ましくないため、王の後ろに簾を掛けて大王大妃が座りました。垂簾聴政」と呼ばれる所以です。実際には、朝廷の議論には参加せず、議論の結果を最終的に決定することが役割でした。

 

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貞熹王后の家族

貞熹王后には3男7女の末娘として生まれました。

当初、世祖の花嫁候補は姉でしたが、貞熹王后の方が訪れた宮廷の使者の目に留まったと言われています。

世祖との間には、2男1女の子供をもうけました。

<貞熹王后の家族>

関係 名前 生年-没年 備考
尹璠 1384-1448 判中樞府事
興寧府大夫人 1383-1456 仁川李氏
尹士昐 1401-1471 坡城君
尹士昀 1409-1461 工曹判書 鈴平君
尹士昕 1422-1485 領敦寧
尹氏 不詳 洪元用の妻
貞敬夫人尹氏 不詳 成奉祖の妻
貞敬夫人尹氏 不詳 李延孫の妻
尹氏 不詳 李念義の妻
尹氏 不詳 盧德基の妻
貞敬夫人尹氏 不詳 韓繼美の妻
世祖 1417-1468 第7代国王
本人 貞熹王后 1418-1483 慈聖大王大妃
長男 桃源君(李暲) 1438-1457 懿敬世子(追尊: 徳宗)
長女 懿淑公主 1442-1477 鄭顕祖の正室
次男 海陽大君 1450-1469 第8代王睿宗

ドラマ「王女の男」のイ・セリョンのモデルとされる李世熺(イ・セフィ)は物語「錦鶏筆談」に登場する架空の人物です。

 

貞熹王后の生涯

貞熹王后の生涯を一覧に整理しました。

年齢 出来事
1418 1 尹璠の娘として江原道で生まれる
1428 11 世宗の次男・首陽大君(世祖)と結婚
1452 35 癸酉靖難が起こる
35 決行を躊躇する夫に鎧を着せて決心を促す
1455 38 首陽大君は甥の端宗から王位を奪って即位
38 貞熹王后は王妃となる
1457 40 長男の桃源君(懿敬世子)が病死する
1468 51 世祖が皮膚病を患い亡くなる
51 次男の睿宗が即位する
51 貞熹王后は大王大妃(慈聖大妃)になる
1469 52 12月31日、睿宗が病死する
1470 53 長男の桃源君の次男・乽山君を国王に即位(成宗)させる
53 朝鮮で初めて「垂簾聴政」を行う
1476 59 成宗の親政開始に伴い摂政を退く
1483 66 3月30日、享年66歳で逝去する

 

貞熹王后が登場するドラマ

貞熹王后が登場するドラマはそれほど多くはありません。

<登場するドラマ>
韓明澮(1994年、ホン・ソミ)
王と妃(1998年、ハン・ヘスク)
王と私(2007年、ヤン・ミギョン)
王女の男(2011年、キム・ソラ)
インス大妃(2011年、キム・ミスク)

( )の名前は演じた女優

 

まとめ

王になるための謀反「癸酉靖難」の決行に躊躇する夫に鎧を着せて送り出すなど、気丈な女性として知られる貞熹王后です。

世祖亡き後には、王に代わって政治を仕切るなど、貞熹王后は世祖以上に王の器であることを感じさせる王妃でした。

 

また、成宗が成人すると、完全に摂政から退き、政治とは無縁に暮らしたといいます。

貞熹王后は引き際も素晴らしい王妃でした。

 

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