絶世の美人と言われた張禧嬪(チャン・ヒビン)です
彼女の肖像画は存在するのか?
本当に美貌だったのか?
興味を持った私は張禧嬪について詳しく調べてみました。
張禧嬪の肖像画は実在するのか?
残念ながら、張禧嬪(チャン・ヒビン)の肖像画は存在しませんでした。
朝鮮王朝の時代には王の肖像画は残されていますが、王妃の肖像画は全く存在しません。
これは、男性の画員が王妃を直接見て描くことは無礼なことであり、また、儒教的な観点から王妃の姿を公にすることは好ましくないという考えによるものです。
一方、仏教が国教であった高麗時代には、王と王妃、貴族などの肖像画を描くことが流行り、女性の肖像画が描かれた記録が残っています。
但し、現存するものはほとんどありません。
朝鮮時代の王の肖像画といっても、その数は非常に少なくです。
現在も残されている御真(王の肖像画)は、第1代王・太祖、第21代王・英祖、第25代王・哲宗のみです。
<現存する王様の肖像画>
哲宗の肖像画は、1954年の火災で半分が焼失しています。
なお、正祖の肖像画は標準肖像画と呼ばれるものです。
実は、想像して描いたものを韓国政府が肖像画として指定したものです。
<正祖の肖像画は後に書かれた標準肖像画>
韓国のお札に使われている過去の偉人の肖像画は全て、子孫の顔や口述をもとに想像で書かれた標準肖像画です。
万ウォン札の肖像としてよく知られる世宗の肖像画も、死後500年以上がたった1973年に東洋画家の金基昶(キム・ギチャン)により描かれた想像の顔です。
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張禧嬪は絶世の美人だったのか?
朝鮮王朝時代の歴史に残る美人と言われている女性は張禧嬪(チャン・ヒビン)を含む次の5人です。
・黄真伊(ファン・ジニ)
・淑嬪崔氏(スクピン・チェシ)
・神徳王后(シンドクワンフ)、
・張禧嬪(チャン・ヒビン)
民衆に伝わる美貌説
当時、宮廷で起きた事件や逸話は一般に口伝えで宮廷外へ広がったと考えられます。
両班でない身分の張禧嬪が王妃になったことは、ドラマチックな王妃として民衆の注目を集めたに違いありません。
その話の中で彼女の美貌の噂が広まり、今日、「五大美人」の一人として数えられていると思われます。
張禧嬪が「五大美人」に数えられる伝承は、間違いなく彼女の美貌を裏付ける大きな要因の一つです。
実録に記録された容姿
張禧嬪が美しかったことは、朝鮮王朝実録にも記録されています。
朝鮮王朝実録は人物の容姿についての記録はほとんどありません。
従って、張禧嬪の美しさはまさに例外だったといえます。
命封張氏爲淑媛
ーーー(省略)ーーー
被抄於內人, 入宮中, 頗有容色
<引用元:粛宗実録1686年12月10日から抜粋>
意味は、
ーーー(省略)ーーー
内人として宮廷に入る。すこぶる美貌である
慣例を打ち破った美しさ
王妃は家柄が大変重要視され、通常は両班の家から選ばれます。
しかし、張禧嬪は中人の身分であり、通常であれば王妃になることはありませんでした。
粛宗が家柄を越えて張禧嬪を寵愛し、王妃に迎えたのは、彼女の美しさがあったと考えられます。
以上の民衆に伝わる逸話、実録の記録、粛宗の寵愛、こうした事実から考えて、張禧嬪が美人であったことは間違いありません。
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張禧嬪が主役のドラマ
張禧嬪(チャン・ヒビン)は韓国では歴史上の人物として超有名人です。
数多くドラマ化されていますが、特に主役で日本で公開されているものをご紹介します。
1995年 妖婦 張禧嬪
歴代最高の張禧嬪と称されるように、悪女で野望に満ちた従来からある張禧嬪のイメージが忠実に描かれたドラマです。
2002年 張禧嬪
こちらも、明聖王后に粛宗との愛を引き裂かれると、次第に恨みと復讐心から、王妃を狙う野望に満ちた女性に豹変していく、従来の悪女像を踏襲したドラマです。
2010年 トンイ
悪女一辺倒だった従来のチャン・ヒビンではなく、周囲を威圧するカリスマ性とひたむきに愛を求める人間臭い性格をもった新しいイメージの張禧嬪が描かれています。
2013年 チャン・オクチョン-張禧嬪-
張禧嬪を悪女として描かず、王を愛したために罰せられた悲劇の女性として新たな解釈で描かれたドラマです。
まとめ
張禧嬪(チャン・ヒビン)の肖像画は実在しませんでした。
ただ、張禧嬪が絶世の美人であったことは間違いないようです。
張禧嬪は多くのドラマに登場しますが、実際の姿は少し違っているようです。
派閥闘争の激しい時代で、平民から初めて王妃になった張禧嬪なので、多くの敵や憎しみをもった人も多かったのでしょう。
それが、一方で三大悪女と称される原因かもしれません。