ドラマ「麗<レイ>」のペガは、実在した高麗の皇子・王郁(ワン・ウク)です。そして、物語の最終回で、ペガが出会う少女は、史実の王妃・献貞王后でした。
この記事では、ペガの人物像、献貞王后との禁断の恋、波乱の生涯に迫ります。
ペガは実在した高麗の皇子
ペガの本名は王郁(ワン・ウク)、太祖(高麗の初代国王)の息子です。第8皇子の王旭(ワン・ウク)と同音であることから、「ペガ(ベガ)」という愛称で呼ばれていました。
生年:不明
没年:997年
姓・諱:王郁(ワン・ウク)
廟号:安宗
父:太祖(初代高麗王)
母:神成王太后金氏
ペガは新羅王族の血を引く皇子
ペガの母・神成王后金氏は、新羅の第56代王・敬順王の従姉妹でした。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<ペガの母の家系図>
935年、新羅が高麗に降伏したときに、和平の象徴として神成王后が太祖の妃として差し出され、その後、王郁(ペガ)が生まれます。従って、ペガは、高麗王家の血筋でありながら新羅の王族の血も引く皇子でした。
【PR】スポンサーリンク最終回で出会う少女は後の献貞王后
ドラマ「麗<レイ>」の最終回にペガは王旭(ワン・ウク)の屋敷で幼い少女に出会います。
少女は自分の名を「ポクスン」と名のり、すぐに消えていましますが、実は、この少女は王旭と宣義王后の間に生まれた王女、後の献貞王后です。
史実では彼女が第5代高麗王・景宗の王妃となり、王の死後、ペガと運命的な恋に落ちるのです。
彼女の行動は、「王妃の貞節を破った」として史書には批判的に記録されています。しかし、厳格な王室倫理を承知のうえで、それでもなおペガとの愛に身を投じたことから、愛に対して純粋で誠実、そして強い意志を持った女性だったことがうかがえます。
禁断の恋|ペガと献貞王后
981年、景宗の死後、正妃・献貞王后は王輪寺南の私邸で静かに暮らしていました。そこで出会ったのが、ペガです。やがて二人は深く愛し合い、王詢をもうけますが、献貞王后は出産後ほどなくして亡くなってしまいます。
ドラマ「麗<レイ>」では、二人は最終回で初めて出会う演出でしたが、史実では悲恋が背景にあったのです。
当時、儒教的価値観から、王の未亡人が他の男性と関係を持つことは王室倫理に反する禁忌(きんき)とされていました。成宗はこの二人の関係を王室の秩序と威信を損なうものと見なし、ペガを流刑に処したのです。
ペガの死と息子・顕宗の即位
ペガはその後、997年に流刑先で亡くなります。
しかし、彼の子供・王詢は成宗に引き取られて育てられ、やがて第8代高麗王・顕宗として即位します。顕宗は契丹から高麗を守った名君であり、ドラマ「高麗契丹戦争」でその生涯が描かれています。
即位の経緯など詳しくはこちら>>高麗王・顕宗の家系図【高麗契丹戦争で高麗の独立を守った王】
ペガの恋人・ウヒは実在した王女か?
ドラマ「麗<レイ>」でペガの恋人として登場するウヒは、後百済の王女という設定ですが、史実には存在しない架空の人物です。
史実では、後百済は百済を復興をするために甄萱(キョン・フォン)が建国した国です。一時は、新羅、高麗と互角に戦いますが、936年に高麗の太祖によって滅ぼされています。
国を滅ぼされ、家族を殺された王女・ウヒが、復讐するために妓女として高麗に潜入したというのはドラマの創作です。
ペガの兄弟姉妹たち
ペガには多数の兄弟姉妹がいました。太祖には25人の男子と9人の女子が記録されており、王妃ごとに以下の主要な兄弟が確認されています。
王后 | 兄弟 | 姓・諱 | 備考 |
荘和王后 | 恵宗 | 王武(ワンム) | 第2代高麗王 |
神明順成王后 | 定宗 | 王堯(ワンヨ) | 第3代高麗王 |
光宗 | 王昭(ワンソ) | 第4代高麗王 | |
文元大王貞 | 王貞(ワンジョン) | 娘は景宗の第2王妃 | |
神静王后 | 戴宗 | 王旭(ワンウク) | |
神成王后 | 安宗 | 王郁(ワンウク) | ペガ本人 |
ペガは王位に近い皇子でしたが、皇位を狙う気持ちはありませんでした。
まとめ
ドラマ「麗<レイ>」に登場するペガは実在した皇子・王郁(ワン・ウク)でした。高麗王族と新羅王族の血を引くペガは、王位には関心を示さず、兄王の未亡人・献貞王后と深く愛し合い、子どもをもうけます。
禁断の恋として、処罰を受けたペガですが、二人から生まれた子供はやがて顕宗として王となり、歴史の中心に立つことになります。禁じられた恋から生まれた子どもが、やがて国を救う王となる。
まさに、「事実は小説よりも奇なり」という言葉がふさわしい逸話です。