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オク・メヒャンは実在した?【実録に記された玉梅香とは】

ドラマ『女人天下』や『ファン・ジニ』に登場する妓生・メヒャン(玉梅香)は実在した人物だったのでしょうか。

この記事では、正史『朝鮮王朝実録』と野史『燃藜室記述』を紐解き、メヒャンの実在性と、歴史の影で記録された彼女の意外な素顔について解説します。

実録で見るメヒャンの実在性

メヒャンは『朝鮮王朝実録』に「玉梅香(オク・メヒャン)」という名で記されている実在の人物です。物語の上の架空の人物ではなく、正式な歴史書に名が刻まれています。

実録には、乙巳士禍(ウルササファ)という政治的な大事件の生々しい取り調べ記録の中に、彼女の名前が登場します。

任之妾玉梅香、終伊, 宦奴年伊、毛麟之夫年同, 此四者, 亦任之腹心也。
<明宗即位年9月6日(1545年)>

<訳>尹任の妾である玉梅香、終伊、宦奴の年伊、毛麟の夫の年同、この四者は尹任の腹心である

この記録では、彼女は「尹任(ユン・イム)の妾である玉梅香」として、ほかの関係者たちと共に腹心として名を連ねています。彼女が尹任の側にいて、当時の政権の内情を深く知ることができる立場にあったことがうかがえます。

また、史臣の評として、「林百齡(イム・ベクリョン)と関係を持った女であった」と記されています。

ただし、あくまで実録の記録は「誰がどのような謀略に関与したか」という政治的事実に特化しています。ドラマで描かれるような「妓生として美しい女性であったこと」や「林百齡と尹任が彼女をめぐって争った」といったエピソードは、この公的な実録には記されていません。これらは後世に説話として語り継がれた物語の要素といえます。

実録から分かることは次の通りです。
・メヒャンは尹任の妾だった
・尹任の内情を知る女性であった
・林百齡と関係を持った女性であった

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野史に記されたメヒャンとは

「メヒャンが絶世の美女であったこと」や「林百齡(イム・ベクリョン)との恋愛関係」など、後世に伝わる逸話は、公式記録ではない「野史」の中に記されています。

李肯翊(イ・グンイク)がさまざまな野史を編纂した『燃藜室記述』には、『乙巳黨籍』からの引用として次の文が残されています。

公與林百齡同在一閈甞爭娼妓玉梅香 平壤妓有國色 百齡妬娼中公以逆謀乙巳禍端在此誅公之後妻妾奴婢分賜功臣百齡求玉梅香爲婢終售其計世以此益憤其邪毒
<燃藜室記述 巻之十 / 明宗朝故事本末 / 乙巳黨籍>

<訳>尹任(ユン・イム)は林百齡と同じ官庁にいた際、平壌の妓生・玉梅香をめぐって争ったことがある。この妓生は国色(絶世の美女)であった。林百齡は彼女を尹任に奪われたことを妬み恨んだ。その怨恨が後の乙巳士禍につながったと伝えられる。尹任が処刑された後、林百齡は玉梅香を自分の奴婢として譲り受けた。人々は彼の執念深さと残忍さを非難した。

この記述から、「メヒャンが妓生であったこと」や「権力者である尹任と林百齡が彼女を巡って争ったこと」など説話の輪郭が見えてきます。

こうした野史の記録が、後世のメヒャンのイメージを形作ったと考えられます。また、当時の妓生という身分が、教養や美貌を武器に政治中枢の情報や権力に近づく可能性を秘めていたことがうかがえます。

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なぜメヒャンは実録に名を残したのか

メヒャンは妓生でありながら、正史である『朝鮮王朝実録』に重要な証言者としてその名が登場します。政争の渦中で証言を求められる立場にあったことが、メヒャンが歴史に名を残した大きな理由でした。

明宗即位年(1545年)9月6日の記録で、密告者・安世遇(アン・セウ)は次のように供述しました。

任恐其玉梅香洩其凶謀、常閉之一室
<明宗即位年9月6日(1545年)>

<訳>尹任は玉梅香がその凶悪な謀略を漏らすことを恐れ、常に一室に閉じ込めていた。

これは、メヒャンが尹任の政権内部における極めて重要な情報を知る立場にあったことを裏付けています。

さらに、尋問を受けたメヒャンは、「尹任が桂林君・李瑠に対し『国王は眼病を患っており、両目を病めば王位を継げない。お前が王位に就くべきだ』と語っていた」と供述したとされます。この証言は、尹任の一派を断罪する決定的な材料の一つとなりました。

どこまでが彼女の真実の供述であったかは定かではありませんが、政争の渦中において、メヒャンが乙巳士禍(ウルササファ)の正当性を担保するための「証言者」として利用された可能性は極めて高いと考えられます。

まとめ

メヒャンは、正史『朝鮮王朝実録』に「玉梅香(オク・メヒャン)」という名で記されている実在の人物でした。彼女は政治の内部情報を知る立場にあったがゆえに、政争の渦中で尋問を受けるほどの重要な存在でした。

こうした史実上の背景が、やがて「絶世の美女であった」「権力者たちが彼女を巡って争った」といった後世のドラマチックな説話を生み出したと考えられます。。

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