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高麗王朝の歴史年表【主要人物編】

高麗王朝の歴史をドラマを見るのに役立つ主要な人物の年表です。時代劇ドラマを見るときの参考にしてください。

なお、他の人物についても随時、追加していく予定です。

奇皇后(1315年~不詳)

高麗から貢女として元に送られ、その美貌と聡明さで皇后にまで上り詰めた人物です。

出来事
1315年頃 奇子敖の娘として生まれる
時期不明 高麗の貢女として元に送られる
1333年 宮女として順帝のお茶出しの世話をする
トゴン・テムルの目に止まり、寵愛を受ける
1335年 ダナシリ皇后の兄が反乱を起すが失敗する
ダナシリは流刑にされ殺害される
1337年 バヤン・クトゥクが2番目の皇后になる
奇皇后は次皇后となる
1340年 奇皇后がアユルシリダラを生む
奇皇后が第二皇后になる
1353年 息子アユルシリダラが皇太子になる
1356年 恭愍王は謀反の罪で奇轍ら奇氏一門を粛清する
1363年 順帝が兵1万で高麗を攻撃するが惨敗
1365年 皇后バヤン・クトゥクが亡くなる
奇皇后が正皇后に昇格する
1368年 元軍が朱元璋の明軍に破れる
トゴン・テムルは奇皇后や皇太子を引き連れて大都を去る
1370年 トゴン・テムルが内モンゴルの応昌で亡くなる
アユルシリダラが王位を継ぐ(国名は北元)
1378年 アユルシリダラが逃亡のすえ亡くなる
異母弟トグス・テムルが王位を継ぐ
1388年 トグス・テムルが逃亡中に殺害。元は滅亡する
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トクト(不詳~1354年)

高麗の名将。数々の功績を上げるが、最後は権力の拡大を恐れた皇帝トゴン・テムルの命で死罪となりました。

出来事
幼少時 バヤンの養子になる
1328年 皇太子のアリギバ(第11代皇帝)に仕える
1329年 皇帝トク・テムルに拝謁
内宰司丞、府正司丞を務める
1331年 都指揮使を務める
1334年 同知宣政院事、公平社中政使、同知枢密院使
1333年 エル・テムル亡くなる
トゴン・テムルが皇帝になる
1335年 タンキシュが反乱するが鎮圧される
キプチャク族は一掃、メルキト族が力をもつ
御史中丞・親軍都指揮使になる
バヤンが権力を握り、暴政を行う
1338年 御史大夫を務める
1340年 トゴン・テムルと組み、バヤンを追放する
1340年 科挙を復活させる
1341年 父・マジャルタイが中書右宰相になる
10月にマジャルタイが辞職。トクトが中書右丞相になる
1343年 「金史」、「遼史」、「宋史」の歴史書を編纂
1344年 5月、父・マジャルタイが罪を着せられ甘粛に追放。トクトも辞職
父・マジャルタイが甘粛で死亡
1347年 父の冤罪が明らかになる
1349年 トクトが都に戻り、再び中書左丞相になる
1350年 右丞相に復帰
紙幣「至正交鈔」を大量に発行、黄河の大改修を命じる
1351年 紅巾の乱が勃発。芝麻李たちが反乱を起こし、徐州が奪われる
1352年 トクトは10万の兵で徐州の反乱を鎮圧
1354年 再度、紅巾の乱の鎮圧に向かう
途中、捕らえられ、雲南に護送中に毒薬を飲まされ亡くなる
1362年 トクトの名誉が回復される
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