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ホンタイジの家系図と生涯【清朝の基礎を築いた人物とは】

清王朝の基礎を築いたホンタイジとはどんな人物だったのか?

家系図から詳しくご紹介します。

ホンタイジの家系図

ホンタイジ(太宗)は、後金(清の前身)を建国したヌルハチの第4子で、清の基礎を築いた人物です。

まずはホンタイジを中心とした主要人物の家系図をご覧ください。

この時代の皇帝には多くの側室、子女がいましたので、家系図では主要な人物のみ記載しています。

ホンタイジの家系図

<ホンタイジの家系図>

後継者と思われた長男のチュイェンは不遜な振る舞いが度を越してヌルハチに処刑されています。

ヌルハチは後継者を決めずに亡くなったため、当時、力のあった四大王と四小王の間で後継者争いが起こりましたが、最終的に皇帝の座に就いたのはホンタイジでした。

四大王:ダイシャン、アミン
    マングルタイ、ホンタイジ
四小王:アジゲ、ドルゴン
    ドド、ジルガラン

ホンタイジとはどんな人物?

幼少の頃から兄弟の中でも文武に優れ、いくつもの武功を上げたホンタイジです。

多くの後継者を蹴落とし皇帝に就いたことからも、知略に富み、カリスマ性のある人物だったと想像できます。

ホンタイジは即位後、中国全土の統一を目指し、朝鮮・モンゴルを次々に制圧しました。

<プロフィール>
清(後金)第2代皇帝
在位:1626年9月1日-1643年8月9日
本名:ヘカン(諸説あり)
廟号:太宗
生年:1592年10月25日
没年:1643年8月9日
享年:51歳
陵墓:昭陵
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ホンタイジの家族構成と主要人物

ホンタイジには多くの側室とその子供がいましたが、ここでは主要な人物をご紹介します。

関係 名前 生年-没年 子供 備考
元妃 ニョフル氏 不詳-1612 1男 逝去
継妃 ウラナラ氏 不詳 2男1女 離婚
 長子 ホーゲ 1609-1649 粛親王
皇妃 ジェルジェル 不詳 3女 孝端文皇后
側室 ブムブタイ 不詳 1男3女 孝荘文皇后
 九子 フリン 1638-1661 第3代皇帝順治帝
側室 ハルジョル 不詳 1男
側室 ナムジョン 不詳 1男1女

ハルジョルはホンタイが最も寵愛した女性で、側室ブムブタイの姉であり皇妃ジェルジェルの姪でした。

また、特に注目すべきは、ブムブタイとの間に生まれた第九子・フリン(後の順治帝)です。

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なぜ朝鮮に侵攻したのか?

ホンタイジが朝鮮に侵攻した理由は以下の通りです。

明への侵攻にあたり、背後の朝鮮を制圧
仁祖が親明政策を取り、後金に非協力的
清との君臣関係を仁祖が拒絶

その結果、1636年に起きた朝鮮への大侵攻が「丙子の乱」です。

朝鮮は敗北し、仁祖は三跪九叩頭の礼を強いられ、清に従属することになります。

この降伏は朝鮮の後世に大きな負担を残すことになりました。

後金の朝鮮侵攻については>>韓国ドラマに登場する後金とは【本当に野蛮な民族なのか?】で詳しく紹介しています。

ホンタイジの最後|その死因は?

朝鮮を臣下に治めたホンタイジは明への侵攻を開始します。

しかし、明への侵攻を進める中、ホンタイジは体調を崩し、1643年に病死しています。

彼の死は「脳出血」とも推測されており、清寧宮で亡くなりました。

遺体は遼寧省瀋陽市の北にある昭陵に埋葬されています。

享年51歳、明を倒し中華統一の覇者となる夢の道半ばでこの世を去ることになりました。

順治帝の即位とドルゴンの摂政政治

ホンタイジ死後、最有力候補だった長子・ホーゲではなく、第九子・フリンが異母弟・ドルゴンの推薦で順治帝として即位します。

フリン即位の裏には実権を握りたいホーゲ派とフリン派の激しい対立がありましたが、ドルゴンがホーゲ派を抑え込みました。

彼が皇帝になると、ドルゴンは摂政として実質的支配者となり、清の支配体制を強固なものにしていきました。

ホンタイジの生涯年表

ホンタイジの生涯の出来事を一覧表にまとめました。

出来事
1616 ヌルハチが女真族を統一、後金を建国
1619 サルフの戦いで明朝鮮連合に後金が勝利
1626 ヌルハチが逝去、ホンタイジが即位
1627 朝鮮に侵攻(丁卯の乱)
1635 モンゴルを支配、元朝伝国璽(皇帝の印)を獲得
1636 国号を清と改名、再び朝鮮に侵攻(丙子の乱)
1643 ホンタイジ逝去、順治帝即位(摂政:ドルゴン)

まとめ

ホンタイジはヌルハチが建国した後金を引き継ぎ、国号を清とすると、朝鮮やモンゴルを服属させて、清の中華統一の基盤を築いた人物です。

彼の家系図を見ると、複雑な皇族内の権力争い、側室や子女の配置と政略、ドルゴンの野心的な動きなど、清朝初期のドラマティックな政変や外交がより明確に浮かび上がってきます。

ホンタイジの治世とその家系の動向を知ることは、後金侵攻を描いた韓国時代劇をより深く理解する手助けになるでしょう。

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