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風の国の実話【戦争の神・ムヒョル(無恤)の生涯とは】

ドラマ「風の国」の実話をご紹介します。

史実に記録されたムヒョルの生涯とは?

クェユやマロは実在の人物?

などなど、興味が尽きません。

風の国の実話

ドラマ「風の国」では国を滅ぼす呪われた子として、宮廷外で育てられたムヒョル(無恤)ですが、これはドラマの創作で、史実では宮廷内で王子として育てられています。

 

ムヒョルが生まれる

紀元後4年2月、ムヒョル(無恤)がユリ王(瑠璃明王)と松氏(松讓の娘)の間に生まれました。

呪われた王子として生まれ、洞窟で壁画師として育てられる話はドラマの創作です。

宮殿で普通の王子として育てられています。

 

ムヒョルが生まれた年にヘミョン(解明)が太子に冊封されて、全国で恩赦を行ったとの記録があります。

ドラマ「風の国」では、兄のトジョル(都切)は既に亡くなっていましたが、史実でもトジョルは紀元後1年に亡くなっています。

 

また、ドラマでは姉のセリュがキサン(箕山)族長と政略結婚していますが、史実では5年9月に王が箕山(キサン)の野で出会った羽氏を朝廷に登用して、王女を娶らせたとの記録があります。

ムヒョル(無恤)がまだ2歳のときです。

 

5大部族が運営する集団国家の高句麗

ユリ王が王位に就いた頃の高句麗は5大部族が互いに牽制する集団国家でした。

国の政治は各部族の族長(大加)が集まる諸加会議(チェカフェウィ)で決定され、諸加会議の議長は相加(サンガ)と呼ばれ王に匹敵する権力を持っていました。

 

各部族は独自の軍隊と官史を持って自治国家として運営され、王も部族の内政には干渉できませんでした。

ドラマ「風の国」の1話で見られるよに、自分たちの邪魔になる王は暗殺することも厭わないほどの権勢を振るっていました。

<高句麗五部と呼ばれたこの5つの部族>

五部 別称 部族 読み方
内部 黄部 桂婁部 ケルブ
北部 後部/黒部 絶奴部 チョルノブ
東部 左部/上部/青部 順奴部 スンノブ
南部 前部/赤部 灌奴部 クァンノブ
西部 右部/下部/白部 消奴部/涓奴部 ソノブ

 

ヘミョン王子の自決

ドラマ「風の国」では、テソ王(帯素王)の暗殺に失敗して、ヘミョン(解明)は自決していますが、史実は少し違います。

 

8年1月、ヘミョン太子は、黃龍王から贈られた弓を使者の前で折ってしまいます。

黃龍王が高句麗を軽視するのを恐れての行動だった弁明していますが、隣国との友好関係に力を注ぐ、ユリ王の怒りを買ってしまいました。

9年3月、国を優先するユリ王は遂にヘミョン太子に自害を命じ、ヘミョンは王命に逆らうことなく自決の道を選びます。

 

ヘミョンは地面に槍を挿し、走る馬から槍に向かって飛び込み壮絶な死を遂げたといいます。

ユリ王は太子の礼にのっとり、亡くなったヘミョン太子を東原に埋葬しました。

 

ムヒョルが戦功をあげて太子になる

13年11月、扶余が高句麗に侵攻してきました。

ムヒョル(無恤)は計略を練り、少数の兵でこれを防ぎ功績を上げています。

 

14年1月、ユリ王はこの功績を認め、ムヒョル(無恤)を太子に冊封して、軍事国政を任せました。

このとき、ムヒョルは11歳です。

 

ユリ王が本気で11歳の子どもに全ての軍事国政を任せたかは疑問の残るところです。

同年の8月には、烏伊(オイ)と摩離(マリ)に2万の兵を率いさせ、西の梁貊(ヤンメク)を征伐することに成功しています。

 

ヨジン王子が溺死する

18年4月、ヨジン(如津)王子が溺死しました。

当初、遺体は発見されませんでしたが、 後に沸流人が遺体を見つけて葬祭しています。

ユリ王は「ヨジンの死」を大変嘆き悲しんだと記録されています。

ドラマ「風の国」では、ユリ王を救出するときに負傷して亡くなっていますが、史実では船着き場で溺れて亡くなっていました。

 

ユリ王が亡くなる

ヨジン(如津)が亡くなった年の10月、ユリ王が豆谷の離宮で亡くなりました。

琉璃明王の諡号が与えられています。

 

そして、ムヒョル(無恤)が第3代高句麗王に即位しています。

ムヒョル(無恤)は、まだ15歳でした。

 

クェユとマロを臣下にする

21年12月、ムヒョル(無恤)が扶余討伐に出兵したとき、鼎氏、クェユ(怪由)、マロ(麻盧)と出会い、臣下にしています。

鼎氏はドラマには登場していませんが、クェユ(怪由)とマロ(麻盧)はドラマでも重要な臣下として登場しています。

 

史実のクェユ(怪由)は北溟(ほくめい)の住人で身の丈が九尺もあり、顔は白く、目に光があったと記録されています。

九尺とは2m70cm、実在したクェユ(怪由)は大男だったのです。

クェユ(怪由)は、自分を従軍させれば「扶余の首を取る」と言って志願、ムヒョル(無恤)はこの申し出を受け入れています。

 

マロ(麻盧)は赤谷(せきこく)の住人でしたが、長い矛(ほこ)をもって、クェユ(怪由)と同じように従軍を志願しました。

ドラマ「風の国」では、幼馴染のマロ(麻盧)でしたが、史実ではムヒョル(無恤)が王になってから家臣になって仕えています。

また、セリュ(王女)とクェユ(怪由)の恋愛はもちろん、ドラマの創作です。

 

チュバルソを臣下にする

チュバルソと言う名の臣下は三国史記の大武神王に登場しています。

そこには、32年3月に南部の使者のチュバルソ(鄒勃素)を沸流部の長したと記録されています。

 

南部は五族の一つ、灌奴部(クァンノブ)のことで、使者は10等中第8等の官位でした。

チュバルソは赴任すると、権力を使わずに罪人を悟らせたとして、ムヒョル(大武神王)を感心させたといいます。

 

テソ王を殺害する

22年2月、ムヒョル(無恤)は軍隊を扶余国の南方に進めました。

テソ王(帯素王)はこれを知って、城を出て反撃を開始します。

 

しかし、慌てて進撃したため、進路を誤り、軍隊が沼地にはまり身動きがとれなくなってしまいます。

この機を捉えて、ムヒョル(無恤)はクェユ(怪由)に合図を送り、テソ王の軍隊を襲撃させました。

 

クェユ(怪由)は剣を抜き、大声をあげて突進、クェユの気迫に圧倒され、敵の兵士はテソ王を守ることができません。

そして、クェユ(怪由)はテソ王(帯素王)の首を取る大金星をあげたのです。

 

ムヒョル(無恤)はこの戦で、宿敵テソ王を倒すことができましたが、扶余国を滅ぼすことはできませんでした。

また、ムヒョル(無恤)の軍隊も多くの兵士や資材を失った壮絶な戦いでした。

 

扶余国が降伏する

22年4月、扶余国のテソ王(帯素王)が殺害されると、テソ王の末弟は従者100人あまりと扶余を脱出して、鴨渌谷に曷思国を建国しました。

そこで、自ら曷思王と名乗っています。

 

22年7月には、テソ王(帯素王)の従弟が、もはや国を復興する手立てがないと、扶余の住人一万余人をつれて、高句麗に降伏しました。

高句麗が扶余国を遂に、滅ぼしたのです。

 

クェユが病気で亡くなる

扶余国が滅亡した年の10月、病気が悪化していたクェユ(怪由)が亡くなりました。

ムヒョル(無恤)はクェユ(怪由)の功績をたたえ、北溟山の南に埋葬して、時節ごとに祭らせることを命じています。

 

繰り広げる征服戦争

25年2月、乙豆智を右輔に任命し、軍事と国政を任せると、26年10月には蓋馬国を征服しました。

この時、ムヒョル(無恤)は王は殺害しましたが、民を案じて捕虜、強奪は禁じています。

 

25年12月には、蓋馬国が滅ぼされたことを聞いた句茶国王が国ごと投降してきました。

この後も、ムヒョル(大武神王)は「戦争の神」と呼ばれるほど、周辺国との戦を繰り返していきました。

 

二人の妃

史実のムヒョル(無恤)には元妃と次妃の二人の妃がいました。

元妃は正室で、ドラマ「風の国」でイジのモデルになった女性です。

ムヒョル(無恤)と元妃の間には、後に第5代王(慕本王)となる解愛婁(ヘエウ)が生まれています。

 

また、次妃はヨンのモデルとなった女性で、二人の間にはドラマ同様にホドン(好童)が生まれています。

次妃は帯素王の末弟である曷思王の孫にあたります。

ドラマでも帯素王の兄弟の息子(タクロク)の娘でした。

 

ホドン(好童)の悲しい結末

32年11月、ホドン(好童)は元妃が太子になることを恐れ、王に告げ口をしたことが要因で自害しています。

ホドン(好童)が生まれた日の記述がないため、年齢は分かりませんが、まだ、若い少年であったことは間違いありません。

容姿が美しく、大武神王に大変可愛がられたと言われています。

 

ドラマの最終回で、ムヒョル(大武神王)と王になることを話していましたが、史実では王になることはなく、悲しい結末が待っていました。

また、ドラマ「幻の王女チャミョンゴ」の元になった楽浪国の王女(楽浪公主)との恋愛物語は有名です。

多くのサイトで紹介していますので、興味のある方は調べてみてください。

 

ムヒョル(大武神王)が亡くなる

44年10月、ムヒョル(大武神王)が亡くなりました。

享年41歳でした。

葬儀は大獣林の原にて行われ、大武神王の諡号が贈られています。

 

ムヒョルの後を継いで王になったのは弟の解色朱で、第4代高句麗王として即位しています。

ムヒョルの息子は王になるにはまだ幼かったのです。

 

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実在した登場人物

ドラマ「風の国」に登場する人物には多くの実在したモデルがいます。

登場人物 実在のモデル 備考
ムヒョル(無恤) 大武神王 第3代王
ユリ王 瑠璃明王 第2代王
ヨン 次妃 曷思王の孫娘
ホドン 好童 次妃の息子
イジ 元妃
ヘミョン 解明 瑠璃明王の次男
セリュ 王女 瑠璃明王の長女
ヨジン 如津 瑠璃明王の四男
マロ 麻盧 もと赤谷の住人
クェユ 怪由 もと北溟の住人
チュバルソ 鄒勃素 もと南部の使者
テソ王 帯素王 扶余国の王
ソファ 松氏 ムヒョルの母

 

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まとめ

ムヒョルが呪われた子で、そのため宮廷外で育てられた話はドラマの創作でした。

しかし、ムヒョル(大武神王)が高句麗の安定と領土拡大のため、周辺国と戦争を繰り返したことは事実です。

 

また、ドラマのキーパソンであったクェユ(怪由)とマロ(麻盧)も実在したムヒョルの重要な臣下でした。

ムヒョル(大武神王)は後に、戦を繰り返し、高句麗の領土拡大に貢献した王として、「戦争の神」と呼ばれました。

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