<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>麗</title>
	<atom:link href="https://justarandomnote.com/tag/%E9%BA%97/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://justarandomnote.com</link>
	<description></description>
	<lastBuildDate>Fri, 25 Jul 2025 09:10:22 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0</generator>
<atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.appspot.com"/>
<atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.superfeedr.com"/>
<atom:link rel="hub" href="https://websubhub.com/hub"/>
<atom:link rel="self" href="https://justarandomnote.com/tag/%E9%BA%97/feed/"/>
	<item>
		<title>ドラマ「麗」のヘスは実在した？【光宗の側室との関係とは】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/rei-hesu-zitsuzai2232/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/rei-hesu-zitsuzai2232/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 22 Jul 2022 02:53:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[麗]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=3773</guid>

					<description><![CDATA[ドラマ「麗」に登場するヒロインのヘスは実在した人物なのか？ 光宗の側室・宮人金氏の可能性は？ 史実と照らし合わせながら徹底解説します。 麗のヘスは実在した人物？ ヒロイン・ヘスは実在した人物ではなく、架空キャラクターです [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「麗」に登場するヒロインのヘスは実在した人物なのか？</p>
<p>光宗の側室・宮人金氏の可能性は？</p>
<p>史実と照らし合わせながら徹底解説します。</p>
<h2>麗のヘスは実在した人物？</h2>
<p>ヒロイン・ヘスは実在した人物ではなく、架空キャラクターです。</p>
<p>「麗〜花萌ゆる8人の皇子たち〜」は、中国のドラマ「宮廷女官 若曦（ジャクギ）」をリメイクした作品でした。</p>
<p>従って、ヘスは「若曦（ジャクギ）」に登場するヒロインを韓国版に置き換えた女性で、実在した人物ではありません。</p>
<p>では、「麗」を作るにあたって、ヘスのモデルになった人物はいたのでしょうか？</p>
<h2>モデルとなった人物はいた？｜光宗の側室・宮人金氏</h2>
<p>史実によると、第4代高麗王・光宗には、1人の正室と2人の側室がいたことは明らかです。更に、光宗にはもう一人謎の女性・宮人金氏がいました。</p>
<p><strong>＜光宗と関係した女性＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td>関係</td>
<td>名前</td>
<td>備考</td>
</tr>
<tr>
<td width="25%">正室</td>
<td width="35%">大穆王后</td>
<td width="40%">太祖と神静王后 皇甫氏の娘</td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="2">側室</td>
<td>慶和宮夫人 林氏</td>
<td>第2代国王恵宗の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>宜慧貴妃 大氏</td>
<td>渤海国王族出身</td>
</tr>
<tr>
<td>女官</td>
<td><span style="color: #ff0000;">宮人金氏</span></td>
<td>詳細不明</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>彼女についての記録はほとんどありませんが、顯宗20年（1029年）の「高麗史」に、次のような文言があります。</p>
<blockquote><p><strong>庚午 贈光宗宮人金氏賢妃</strong><br />
光宗の宮人金氏を賢妃に追贈する<br />
顯宗20年（1029年）11月16日</p></blockquote>
<p>80年以上経った第8代高麗王・顯宗のときに、彼女は側室の「賢妃」に格上げされています。光宗にとってはよほど重要な女性だったのでしょう。</p>
<p>ただ、宮人金氏の性格や行動、エピソードなど、史実では一切不明のため、ドラマのヘスのようなキャラクター性を与えるには情報が不十分だと考えます。</p>
<h2>ヘスは王旭の妻の従姉妹？｜ドラマの設定</h2>
<p>ドラマ「麗」では、ヘスは第8皇子の王旭（ワン・ウク）の妻の従姉妹という設定でした。</p>
<p>史実では、王旭の妻は宣義王后です。彼女は太祖と貞徳王后の娘で、王旭の異母妹にあたります。</p>
<div id="attachment_3912" style="width: 636px" class="wp-caption aligncenter"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-3912" class="wp-image-3912" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949.jpg" alt="王旭と宣義王后の関係" width="626" height="350" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949.jpg 1179w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949-300x168.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949-1024x572.jpg 1024w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949-768x429.jpg 768w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949-120x68.jpg 120w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949-160x90.jpg 160w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/a6523bf5f452eef1ef769bee703de949-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 626px) 100vw, 626px" /><p id="caption-attachment-3912" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜王旭と宣義王后の関係＞</strong></p>
<p>従って、ヘスが王旭の妻の従姉妹とすれば、太祖の6番目の妃である貞徳王后の兄弟姉妹の娘にあたります。</p>
<p>しかし、そのような女性の記録は史料上確認できません。やはり、ヘスは架空の人物と考えるべきでしょう。</p>
<h2>崔知夢（チェ・ジモン）は実在した人物？</h2>
<p>「麗」には、もう一人、ヘスのように時代を移動できるトラベラーが登場しています。実は、この崔知夢（チェ・ジモン）には実在したモデルがいました。</p>
<p>史実の崔知夢は新羅の豪族を父とする、天文学を勉強した予言者でした。彼は、太祖の三国統一を予言。その後も数々の予言を当て、第4代高麗王・光宗まで仕えています。</p>
<p>ドラマ「麗」では、この予言の力はトラベラーによるものと、巧みに物語に取り込んでおり、史実をうまく融合させたキャラクターと言えます。</p>
<h2>中国ドラマ「宮廷女官 若曦（ジャクギ）」とは？</h2>
<p>韓国ドラマ「麗」は中国ドラマ「宮廷女官 若曦」をリメイクした作品です。</p>
<h3>若曦（ジャクギ）のあらすじ</h3>
<p>張暁という女性が交通事故に遭い、清朝の康熙帝の時代にタイムスリップ。彼女の心は第八皇子の側室・若蘭の妹である若曦に入り込み、やがて皇子たちとの恋や後継争いに巻き込まれていきます。歴史の結末を知っている張暁はこの状況に戸惑いながらも事実を受け入れていきます。</p>
<h3>登場人物の対比</h3>
<p>「宮廷女官 若曦」の登場人物が「麗」では、次の人物に対応しています。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2" width="25%">宮廷女官 若曦</td>
<td colspan="2" width="25%">麗＜レイ＞</td>
</tr>
<tr>
<td>馬爾泰 若曦／張暁</td>
<td>女官</td>
<td>ヘス／コ・ハジン</td>
<td>高麗の少女</td>
</tr>
<tr>
<td>胤禛</td>
<td>第四皇子</td>
<td>ワン・ソ</td>
<td>第四皇子</td>
</tr>
<tr>
<td>胤禩</td>
<td>第八皇子</td>
<td>ワン・ウク</td>
<td>第八皇子</td>
</tr>
<tr>
<td>胤祥</td>
<td>第十三皇子</td>
<td>ペガ</td>
<td>第十三皇子</td>
</tr>
<tr>
<td>胤禵</td>
<td>第十四皇子</td>
<td>ワンジョン</td>
<td>第十四皇子</td>
</tr>
<tr>
<td>胤礽</td>
<td>皇太子</td>
<td>ワン・ム</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>胤禟</td>
<td>第九皇子</td>
<td>ワンウォン</td>
<td>第九皇子</td>
</tr>
<tr>
<td>胤䄉</td>
<td>第十皇子</td>
<td>ワン・ウン</td>
<td>第十皇子</td>
</tr>
<tr>
<td>康熙帝</td>
<td>清の第4代皇帝</td>
<td>太祖</td>
<td>初代高麗王</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>このように、設定や人物構成がかなり忠実に、韓国版へとリメイクされていることが分かります。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>韓国ドラマ「麗〜花萌ゆる8人の皇子たち〜」は中国ドラマの「宮廷女官 若曦」のリメイク作品で、「麗」に登場するヒロイン・ヘスは架空の人物でした。</p>
<p>史実においては、光宗に寵愛された「宮人金氏」が存在しますが、情報が極めて乏しく、ヘスのモデルとは断定できません。</p>
<p>しかし、崔知夢のように史実をベースにした登場人物も存在する中で、ヘスは物語の創作性を象徴する存在だと言えるでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://justarandomnote.com/rei-hesu-zitsuzai2232/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【衝撃の事実】麗でウクの屋敷にいた娘は歴史上、重要な女性だった</title>
		<link>https://justarandomnote.com/rei-uku-musume2227/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/rei-uku-musume2227/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 10 Jul 2022 22:52:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[麗]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=3662</guid>

					<description><![CDATA[ドラマ「麗＜レイ＞」の最終回でペガがウクの屋敷であった謎の娘。 実はこの少女は歴史上、とっても重要な女性だったのです。 ペガがウクの屋敷で会った娘は誰？ ペガがウクの屋敷であった少女は、後にペガの妻になる献貞王太后です。 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「麗＜レイ＞」の最終回でペガがウクの屋敷であった謎の娘。</p>
<p>実はこの少女は歴史上、とっても重要な女性だったのです。</p>
<h2>ペガがウクの屋敷で会った娘は誰？</h2>
<p>ペガがウクの屋敷であった少女は、後にペガの妻になる献貞王太后です。</p>
<p>献貞王太后は王旭（ワン・ウク）の次女で、一度、第5代高麗王・景宗の第4王妃となります。</p>
<p>屋敷にいた娘は王妃になるんですね。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>しかし、景宗は26歳の若さで病死してしまいます。</p>
<p>すると、献貞王太后は宮殿を離れて、王輪寺にある私邸で暮らし始めました。</p>
<p>このときに、近所にいたペガと親しくなり恋仲となります。</p>
<p>二人の間には、王詢（ワン・ジュン）が生まれますが、そのときに献貞王太后は亡くなってしまいます。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>二人の禁断の愛が兄の成宗（第6代高麗王）が知ると、成宗は激怒してペガを流刑にしてしまいました。</p>
<p>王詢は成宗に育てられて、後の第8代高麗王の顕宗として即位します。</p>
<p>ペガがウクの屋敷であった娘はウクの実の娘ですが、第5代高麗王・景宗の妻であり、第8代高麗王の顕宗の母親だったのです。</p>
<h2>王旭（ワン・ウク）の家系図</h2>
<p>ここで、改めて王旭（ワン・ウク）の家系図を見てみると</p>
<p><img decoding="async" class="wp-image-3915 aligncenter" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac.jpg" alt="" width="640" height="358" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac.jpg 1179w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac-300x168.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac-1024x572.jpg 1024w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac-768x429.jpg 768w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac-120x68.jpg 120w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac-160x90.jpg 160w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/2a8bc9995128ca927e53f35ea800e1ac-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜王旭（ワン・ウク）の家系図＞</strong></p>
<p>ドラマ「麗＜レイ＞」では、ウクは皇位に付けませんでしたが、史実では孫を皇位につけ、歴代高麗王にウクの血を引き継がせることができました。</p>
<h3>ウクの家族</h3>
<p>ドラマ「麗＜レイ＞」では、王旭（ワン・ウク）の妻は若くして亡くなり、二人には子供はいませんでした。</p>
<p>しかし、史実では太祖と貞徳王后の娘・宣義王后と結婚して、3男2女の子供をもうけています。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="25%">王旭（ワン・ウク）</td>
<td width="25%">子供</td>
<td width="25%"></td>
<td width="25%"></td>
</tr>
<tr>
<td>妻：宣義王后 柳氏</td>
<td>孝徳太子</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>成宗</td>
<td>王治（ワン・チ）</td>
<td>第6代高麗王</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>敬章太子</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>献哀王太后皇甫氏</td>
<td></td>
<td>景宗の第3王妃</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>献貞王太后皇甫氏</td>
<td></td>
<td>景宗の第4王妃</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h3>ウクの息子</h3>
<p>ウクの息子・王治（ワン・チ）は従兄の景宗が亡くなると、第6代高麗王として即位しました。</p>
<p>しかし、3人の王妃との間には男の子が出来ず、亡くなると王位は景宗の子供が受け継ぐことになりました。</p>
<p>景宗の長男・穆宗が第7代高麗王として即位します。</p>
<h2>王旭（ワン・ウク）の意志を受け継いだ娘</h2>
<p>史実の王旭（ワン・ウク）には二人の娘がいました。</p>
<p>長女の献哀王太后と次女の献貞王太后ですが、二人共、第5代高麗王・景宗の王妃になっています。</p>
<h3>ペガと出会った娘は献貞王太后</h3>
<p>ドラマ「麗＜レイ＞」でペガがウクの屋敷で出会った娘です。</p>
<p>もちろん、幼い献貞王太后にペガが出会ったことはドラマの創作です。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>史実では、第5代高麗王・景宗に嫁いだ献貞王太后は、景宗が亡くなると王宮を出て私邸で暮らしました。</p>
<p>そこで、ペガと出会い恋仲となります。</p>
<p>そして、後の第8代高麗王の顕宗を生みました。</p>
<p>ドラマでは、そんな将来を暗示するような粋な演出となっています。</p>
<h3>悪女で名高い献哀王太后</h3>
<p>ウクにはもう一人娘がいました。</p>
<p>長女の献哀王太后です。</p>
<p>献哀王太后も第5代高麗王・景宗の第3王妃となっていますが、景宗の死後、千秋宮に住み、千秋太后と名乗っています。</p>
<p>献哀王太后は景宗との間に後の第7代高麗王の穆宗を産んでいます。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>しかし、景宗の死後、母方の親戚にあたる金致陽と出会って親密な関係になりました。</p>
<p>これを知った兄の成宗は金致陽を貴陽へ追放します。</p>
<p>しかし、成宗が亡くなり、息子の穆宗が即位すると、献哀王太后は金致陽を呼び戻して重要な官職を与えました。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>献哀王太后は摂政となり独裁者として振る舞いますが、1009年クーデターにより捕まり流刑に処せられます。</p>
<p>このクーデターにより、金致陽と金致陽の間にできた子供は処刑され、息子の高麗王・穆宗も廃位されています。</p>
<p>献哀王太后は悪女として知られる女傑です。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ペガがウクの屋敷で出会った娘は後の景宗の第4王妃となる献貞王太后でした。</p>
<p>この出会いはドラマの創作ですが、実際にペガと献貞王太后は出会って恋仲となり、第8代高麗王となる顕宗を生みます。</p>
<p>こうしてウクの血筋が歴代高麗王に受け継がれていくことになります。</p>
<p>ドラマではあっさりと描かれたペガと娘（献貞王太后）の出会いですが、後に、この娘は歴史上、重要な役割を果たすことになるのです。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://justarandomnote.com/rei-uku-musume2227/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>麗のペガは実在した？【最終回に出会った少女と禁断の恋】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/rei-pega-jitsuzai2226/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/rei-pega-jitsuzai2226/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 09 Jul 2022 01:48:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[麗]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=3648</guid>

					<description><![CDATA[ドラマ「麗＜レイ＞」のペガは、実在した高麗の皇子・王郁（ワン・ウク）です。そして、物語の最終回で、ペガが出会う少女は、史実の王妃・献貞王后でした。 この記事では、ペガの人物像、献貞王后との禁断の恋、波乱の生涯に迫ります。 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「麗＜レイ＞」のペガは、実在した高麗の皇子・王郁（ワン・ウク）です。そして、物語の最終回で、ペガが出会う少女は、史実の王妃・献貞王后でした。</p>
<p>この記事では、ペガの人物像、献貞王后との禁断の恋、波乱の生涯に迫ります。</p>
<h2>ペガは実在した高麗の皇子</h2>
<p>ペガの本名は王郁（ワン・ウク）、太祖（高麗の初代国王）の息子です。第8皇子の王旭（ワン・ウク）と同音であることから、「ペガ（ベガ）」という愛称で呼ばれていました。</p>
<div class="secondary-box"><strong>＜ペガ（王郁）のプロフィール＞</strong><br />
生年：不明<br />
没年：997年<br />
姓・諱：王郁（ワン・ウク）<br />
廟号：安宗<br />
父：太祖（初代高麗王）<br />
母：神成王太后金氏</div>
<h2>ペガは新羅王族の血を引く皇子</h2>
<p>ペガの母・神成王后金氏は、新羅の第56代王・敬順王の従姉妹でした。</p>
<div id="attachment_3660" style="width: 468px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-3660" class="wp-image-3660" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/067b61c2fa64d0749e50451ad9c284ca.jpg" alt="ペガの母の家系図" width="458" height="310" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/067b61c2fa64d0749e50451ad9c284ca.jpg 670w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/067b61c2fa64d0749e50451ad9c284ca-300x203.jpg 300w" sizes="(max-width: 458px) 100vw, 458px" /><p id="caption-attachment-3660" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜ペガの母の家系図＞</strong></p>
<p>935年、新羅が高麗に降伏したときに、和平の象徴として神成王后が太祖の妃として差し出され、その後、王郁（ペガ）が生まれます。従って、ペガは、高麗王家の血筋でありながら新羅の王族の血も引く皇子でした。</p>
<h2>最終回で出会う少女は後の献貞王后</h2>
<p>ドラマ「麗＜レイ＞」の最終回にペガは王旭（ワン・ウク）の屋敷で幼い少女に出会います。</p>
<p>少女は自分の名を「ポクスン」と名のり、すぐに消えていましますが、実は、この少女は王旭と宣義王后の間に生まれた王女、後の献貞王后です。</p>
<p>史実では彼女が第5代高麗王・景宗の王妃となり、王の死後、ペガと運命的な恋に落ちるのです。</p>
<p>彼女の行動は、「王妃の貞節を破った」として史書には批判的に記録されています。しかし、厳格な王室倫理を承知のうえで、それでもなおペガとの愛に身を投じたことから、愛に対して純粋で誠実、そして強い意志を持った女性だったことがうかがえます。<br />
<!--EndFragment --></p>
<h2>禁断の恋｜ペガと献貞王后</h2>
<p><!--StartFragment --><span class="cf0">981年、景宗の死後、正妃・献貞王后は王輪寺南の私邸で静かに暮らしていました。そこで出会ったのが、ペガです。やがて二人は深く愛し合い、王詢をもうけますが、献貞王后は出産後ほどなくして亡くなってしまいます。</span></p>
<p><span class="cf0">ドラマ「麗＜レイ＞」では、二人は最終回で初めて出会う演出でしたが、史実では悲恋が背景にあったのです。</span></p>
<p><span class="cf0">当時、儒教的価値観から、王の未亡人が他の男性と関係を持つことは王室倫理に反する禁忌（きんき）とされていました。成宗はこの二人の関係を王室の秩序と威信を損なうものと見なし、ペガを流刑に処したのです。</span><!--EndFragment --></p>
<h2>ペガの死と息子・顕宗の即位</h2>
<p>ペガはその後、997年に流刑先で亡くなります。</p>
<p>しかし、彼の子供・王詢は成宗に引き取られて育てられ、やがて第8代高麗王・顕宗として即位します。顕宗は契丹から高麗を守った名君であり、ドラマ「高麗契丹戦争」でその生涯が描かれています。</p>
<p>即位の経緯など詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/koryo-hyonzyon-kakezu2454/">高麗王・顕宗の家系図【高麗契丹戦争で高麗の独立を守った王】</a></p>
<h2>ペガの恋人・ウヒは実在した王女か？</h2>
<p>ドラマ「麗＜レイ＞」でペガの恋人として登場するウヒは、後百済の王女という設定ですが、史実には存在しない架空の人物です。</p>
<p>史実では、後百済は百済を復興をするために甄萱（キョン・フォン）が建国した国です。一時は、新羅、高麗と互角に戦いますが、936年に高麗の太祖によって滅ぼされています。</p>
<p>国を滅ぼされ、家族を殺された王女・ウヒが、復讐するために妓女として高麗に潜入したというのはドラマの創作です。</p>
<h2>ペガの兄弟姉妹たち</h2>
<p>ペガには多数の兄弟姉妹がいました。太祖には25人の男子と9人の女子が記録されており、王妃ごとに以下の主要な兄弟が確認されています。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="18%">王后</td>
<td width="25%">兄弟</td>
<td width="32%">姓・諱</td>
<td width="25%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>荘和王后</td>
<td>恵宗</td>
<td>王武（ワンム）</td>
<td>第2代高麗王</td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="3">神明順成王后</td>
<td>定宗</td>
<td>王堯（ワンヨ）</td>
<td>第3代高麗王</td>
</tr>
<tr>
<td>光宗</td>
<td>王昭（ワンソ）</td>
<td>第4代高麗王</td>
</tr>
<tr>
<td>文元大王貞</td>
<td>王貞(ワンジョン)</td>
<td>娘は景宗の第2王妃</td>
</tr>
<tr>
<td>神静王后</td>
<td>戴宗</td>
<td>王旭（ワンウク）</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>神成王后</td>
<td>安宗</td>
<td>王郁（ワンウク）</td>
<td>ペガ本人</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ペガは王位に近い皇子でしたが、皇位を狙う気持ちはありませんでした。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p><!--StartFragment --></p>
<p class="pf0"><span class="cf0">ドラマ「麗＜レイ＞」に登場するペガは実在した皇子・王郁（ワン・ウク）でした。</span><span class="cf0">高麗王族と新羅王族の血を引くペガは、王位には関心を示さず、兄王の未亡人・献貞王后と深く愛し合い、子どもをもうけます。</span></p>
<p class="pf0"><span class="cf0">禁断の恋として、処罰を受けたペガですが、二人から生まれた子供はやがて顕宗として王となり、歴史の中心に立つことになります。</span><span class="cf0">禁じられた恋から生まれた子どもが、やがて国を救う王となる。</span></p>
<p class="pf0"><span class="cf0">まさに、「事実は小説よりも奇なり」という言葉がふさわしい逸話です。</span><!--EndFragment --></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://justarandomnote.com/rei-pega-jitsuzai2226/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>光宗（ワンソ）の家系図【高麗 第4代王の複雑な婚姻関係】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/kousou-kakeizu2225/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/kousou-kakeizu2225/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 Jul 2022 08:57:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[麗]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=3634</guid>

					<description><![CDATA[高麗時代の王族は、政略目的で親族間の結婚が多く、家系図は非常に複雑です。特に、第4代王・光宗は、親族から王妃や側室を迎え、時代の婚姻慣習を体現した人物でした。 この記事では、光宗の家系図を軸に、家族関係、高麗王朝の婚姻制 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>高麗時代の王族は、政略目的で親族間の結婚が多く、家系図は非常に複雑です。特に、第4代王・光宗は、親族から王妃や側室を迎え、時代の婚姻慣習を体現した人物でした。</p>
<p>この記事では、光宗の家系図を軸に、家族関係、高麗王朝の婚姻制度の背景、王政改革まで詳しく解説します。</p>
<h2>光宗（ワンソ）の家系図</h2>
<div id="attachment_12773" style="width: 810px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12773" class="wp-image-12773 size-full" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/36e22bcb2dc9d93932b28ec2cc8e0efc.avif" alt="光宗の家系図" width="800" height="413" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/36e22bcb2dc9d93932b28ec2cc8e0efc.avif 800w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/36e22bcb2dc9d93932b28ec2cc8e0efc-500x258.avif 500w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/36e22bcb2dc9d93932b28ec2cc8e0efc-300x155.avif 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/36e22bcb2dc9d93932b28ec2cc8e0efc-768x396.avif 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-12773" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜光宗の家系図&gt;</strong></p>
<p>高麗時代では、王権強化と財産の流出防止を目的に、異母兄妹や従兄妹同士の婚姻が一般的でした。記録によれば、光宗（ワンソ）も王后は異母妹であり、側室の一人は従姉妹を選んでいます。</p>
<p>ところで、ドラマ「麗」に登場するヘスのモデルになった女性はいたのでしょうか？<br />
その疑問はこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/rei-hesu-zitsuzai2232/">ドラマ「麗」のヘスは実在した人物？</a>　で詳しくご紹介しています。</p>
<p>また、ドラマでは、顔に傷をおった光宗は信州のカン氏に養子に出されていますが、史実ではそのような記録はありません。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜光宗のプロフィール＞</strong><br />
生年：925年<br />
没年：975年7月4日<br />
在位期間：949年4月13日-975年7月4日<br />
姓・諱：王昭（ワン・ソ）</div>
<h2>光宗の正妃と側室</h2>
<p>光宗（ワンソ）には、正妃と二人の側室がいました。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="13%">関係</td>
<td width="31%">名前</td>
<td width="21%">子ども</td>
<td width="35%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>正妃</td>
<td>大穆王后</td>
<td>2男3女</td>
<td>異母妹</td>
</tr>
<tr>
<td>側室</td>
<td>慶和宮夫人林氏</td>
<td>子女なし</td>
<td>恵宗の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>側室</td>
<td>宜慧貴妃大氏</td>
<td>子女なし</td>
<td>渤海国王族出身</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h3>光宗の正妃・大穆王后（異母妹）</h3>
<p>神静王后の娘で、光宗との間に2男3女をもうけています。ドラマ「麗」では冷酷な后として描かれましたが、晩年に、光宗から息子の景宗とともに疑念を抱かれ、冷遇されていたことは史実の通りです。</p>
<h3>側室・慶和宮夫人（恵宗の娘）</h3>
<p>史実の慶和宮夫人は弟が光宗に粛清され、その悲しみから自害しています。ドラマ「麗」では、豪族の支援を得るために嫁（実際は人質）に出されるところを光宗に助けられ、彼と結婚しました。</p>
<h3>側室・宜慧貴妃（渤海国の王族）</h3>
<p>宜慧貴妃大氏は渤海国王族出身の女性です。この女性はドラマ「輝くか狂うか」のシンユルのモデルとも言われています。</p>
<h2>光宗の子供たち｜後継者と成宗へのつながり</h2>
<p>次表のように、正妃・大穆王后との間には2男3女の子供がいましたが、側室との間には子どもはいませんでした。</p>
<p><strong>＜正妃・大穆王后との子どもたち＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="25%">関係</td>
<td width="25%">名前</td>
<td width="50%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>景宗</td>
<td>第5代国王</td>
</tr>
<tr>
<td>次男</td>
<td>孝和太子</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>千秋公主</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>次女</td>
<td>寶華公主</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>三女</td>
<td>文徳王后</td>
<td>第6代国王・成宗の正妃</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>長男の王伷（景宗）は光宗からは懐疑の目を向けられ、二人の関係は良くありませんでした。ドラマ「麗」でも、光宗は息子に会おうともしませんでした。</p>
<p>光宗が亡くなると、長男が第5代高麗王の景宗として即位しますが、大きな功績もなく26歳の若さで亡くなりました。景宗の子供がまだ幼かったため異母弟の王治（成宗）が第6代高麗王として即位しています。</p>
<h2>光宗の母と兄弟姉妹</h2>
<p>光宗（ワンソ）の母・神明順聖王后は太祖の第3王后で、豪族・劉兢達の娘でした。</p>
<p>劉兢達は太祖の建国を支え、その影響力は大きく、神明順聖王后も強い発言力を持っていたと考えられます。ドラマ「麗」でも彼女は存在感ある王后として描かれますが、ドラマのように光宗を嫌っていたという史実は確認されていません。</p>
<p>光宗は5人兄弟の三男として生まれています。長男は若くして亡くなっているため、次男の王堯（ワン・ヨ）が第3代高麗王に即位しています。</p>
<p><strong>＜光宗の兄弟姉妹＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="12%">続柄</td>
<td width="18%">称号</td>
<td width="33%">姓・諱</td>
<td width="37%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>太子泰</td>
<td></td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>次男</td>
<td>定宗</td>
<td>王堯（ワンヨ）</td>
<td>第3代高麗王、在位4年で病死</td>
</tr>
<tr>
<td>三男</td>
<td>光宗</td>
<td>王昭（ワンソ）</td>
<td>第4代高麗王、王権の強化に努める</td>
</tr>
<tr>
<td>四男</td>
<td>文元大王</td>
<td>王貞（ワンジョン）</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>五男</td>
<td>證通国師</td>
<td></td>
<td>出家して僧侶になる</td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>安貞淑儀公主</td>
<td></td>
<td>新羅の敬順王の妻</td>
</tr>
<tr>
<td>次女</td>
<td>興芳宮主</td>
<td></td>
<td>元荘太子の妻</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>史実で見る姉妹の政略婚</h2>
<p>長女・安貞淑儀公主は、新羅最後の王・敬順王（金傅）に嫁いでいます。これは新羅の王統を高麗に取り込み、王権を強化する政略婚でした。高麗史には、次のように記されています。</p>
<blockquote><p>安貞淑儀公主，・・（略）・・，新羅王金傅入朝，以公主歸之。<br />
＜引用元：高麗史91巻「公主」列伝＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞安貞淑儀公主は、新羅王・金傅（敬順王）が朝廷に帰順した際、この公主が彼に嫁がされた。</div>
<p>また、次女・興芳宮主は、異母甥である元莊太子（定宗の子）に嫁ぎました。これは王族内での近親婚を通じて王統の一体化を図る政略婚でした。高麗史には次のように記されています。</p>
<blockquote><p>興芳宮主，亦神明太后所生，適元莊太子。<br />
＜引用元：高麗史91巻「公主」列伝＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞興芳宮主は、神明太后の生んだ娘であり、元莊太子に嫁いだ。</div>
<p>このように、光宗の姉妹たちも王権強化と外戚制御を目的とした政略婚の一環として重要な役割を果たしていました。</p>
<h2>高麗時代の婚姻制度と家系の複雑化</h2>
<p>太祖は当初、王族と豪族との結婚により、外戚勢力を取り込む政策をとりました。しかし、その結果、豪族の発言力が強くなり、王権が弱体化していきました。</p>
<p>そこで、太祖は王族同士を結婚させることにより、豪族の権限を弱め、王室の権限強化を図ります。これが後に、近親婚が慣習となり、家系図が非常に複雑になった大きな要因です。</p>
<p>また、近親婚は王室からの財産流失を防ぐ目的もあったとされています。</p>
<h2>光宗の王政改革と後世の暴君評価</h2>
<p>光宗（ワンソ）は豪族に支配される王室の権力を取り戻すために、豪族の経済力と武力を排除することに力を注ぎました。</p>
<div class="secondary-box"><strong>＜主要な改革＞</strong><br />
・奴婢の開放（奴婢按検法）による豪族の弱体化<br />
・科挙の導入による豪族支配の打破と王権強化</div>
<p>しかし、改革は多くの抵抗を招き、数百人単位の粛清を繰り返すようになり、建国時に数千人いた功臣も、粛清により数十人程度になったとも言われています。</p>
<p>晩年には、王妃や息子に対しても疑いを持つようになり、「暴君」との評価が後世に定着します。それでも、王権集中と官僚制度の整備は、高麗王朝の基盤を築く一大功績とされ、「名君」との評価も併存しています。</p>
<h2>光宗の肖像画と最期</h2>
<p>ドラマ「麗＜レイ＞」には、最終回に展示会用のポスターに使われた光宗の肖像画が登場します。もちろん、この肖像画はドラマ用に作られたもので、第4代高麗王・光宗の肖像画は残っていません。</p>
<p>光宗は975年7月4日に享年51歳で亡くなっています。死因の記録はなく、おそらく病死とされています。</p>
<p>お墓は北朝鮮の領土内に存在しますが、ほとんど管理されておらず、荒廃しているとされます。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-3637" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/c40465b93a602957a36aa8539c0a0ea0.jpg" alt="光宗の荒廃したお墓の画像" width="412" height="277" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/c40465b93a602957a36aa8539c0a0ea0.jpg 760w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/07/c40465b93a602957a36aa8539c0a0ea0-300x202.jpg 300w" sizes="(max-width: 412px) 100vw, 412px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜光宗のお墓＞</strong></p>
<h2>光宗が登場するドラマ</h2>
<p>光宗（ワンソ）が登場する代表的なドラマは次の3件です。光宗のドラマの人物像は、史実のどの部分を強調するかにより、かなり脚色されていますが、史実との違いを知ることで、彼の本質に近づくことができます。</p>
<div class="secondary-box">・光宗大王 〜帝国の朝〜<br />
（2002年、キム・サンジュン）<br />
・輝くか、狂うか<br />
（2015年、チャン・ヒョク）<br />
・麗＜レイ＞～花萌ゆる8人の皇子たち～<br />
（2016年、イ・ジュンギ）</div>
<h2>まとめ</h2>
<p>高麗第4代王・光宗（ワンソ）の家系図は、近親婚を基本とした政略婚が織りなす非常に複雑な構造でした。その背景には、豪族を排除し、王室中心の体制を築こうとした光宗の政治戦略があります。</p>
<p>改革を断行し、多くの粛清を実施したことから冷酷な「暴君」とも評価される光宗ですが、その統治は高麗の官僚制度と王権確立の礎を築いた点で「名君」との評価も併存しています。</p>
<p>光宗に関する史実は多くのドラマの題材にもなっており、フィクションと史実の違いを知ることで、謎めいた彼の人物像を理解することができるかもしれません。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://justarandomnote.com/kousou-kakeizu2225/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
