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	<title>王は愛する</title>
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	<item>
		<title>ドラマ「王は愛する」の実話【ワン・リンは実在したのか？】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 25 Feb 2023 02:27:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[王は愛する]]></category>
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					<description><![CDATA[ドラマ「王は愛する」は、高麗王朝時代の史実を背景にしたフィクションです。多くの実在した人物が登場します。 この記事では、大注目のキャラクター・ワン・リンの実在性、登場人物と史実の関係を詳しく解説します。 ワン・リンは実在 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「王は愛する」は、高麗王朝時代の史実を背景にしたフィクションです。多くの実在した人物が登場します。</p>
<p>この記事では、大注目のキャラクター・ワン・リンの実在性、登場人物と史実の関係を詳しく解説します。</p>
<h2>ワン・リンは実在したのか？</h2>
<p>残念ながら、ドラマに登場するワン・リンは架空の人物です。</p>
<p>物語の中でワン・リンは、忠宣王のライバルであり親友という設定でしたが、彼に該当する人物はいません。しかし、ワン・リンの家族は実在した王族がモデルでした。</p>
<h2>ワン・リンの家族は実在した</h2>
<p>ワン・リンの父・ワン・ヨン（王瑛）は実在した王族であり、第25代王・忠烈王の王妃・貞和宮主の弟でした。王族の血を引く家系ですが、ドラマ同様、ワン・ヨン自身は王位には興味はありませんでした。</p>
<div id="attachment_5644" style="width: 628px" class="wp-caption aligncenter"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5644" class="wp-image-5644" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/5c569006151c958cd64855888830848a.jpg" alt="王瑛（ワン・ヨン ）の家系図" width="618" height="392" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/5c569006151c958cd64855888830848a.jpg 980w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/5c569006151c958cd64855888830848a-300x190.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/5c569006151c958cd64855888830848a-768x487.jpg 768w" sizes="(max-width: 618px) 100vw, 618px" /><p id="caption-attachment-5644" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜王瑛（ワン・ヨン ）の家系図＞</strong></p>
<p>貢女として元に送られるところを助けられて世子嬪になったワン・リンの妹・ワン・ダン、世子の地位を狙うワン・リンの兄・ワン・ジョンなども実在した人物をモデルにしています。</p>
<p><strong>＜実在したの家族＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="12%">関係</td>
<td width="40%">名前</td>
<td width="48%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>父</td>
<td>王瑛（ワン・ヨン）</td>
<td>忠烈王の妃・貞和宮主の弟</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>王玢（ワン・ブン）</td>
<td>第34代国王・恭讓王の曽祖父</td>
</tr>
<tr>
<td>次男</td>
<td>王琠（ワン・ジョン）</td>
<td>瑞興君。謀反容疑で処刑</td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>靜妃王氏</td>
<td>忠宣王の妃、ワン・ダンのモデル</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>王は愛するの史実｜ワン・ウォンの実話</h2>
<p>主人公・ワン・ウォンは実在した人物で、後の第26代高麗王・忠宣王です。</p>
<h3>高麗初の混血王子の誕生</h3>
<p>1236年、ワン・ウォンは、忠烈王とモンゴルの皇帝クビライの娘・元成公主との間に生まれました。モンゴルと高麗の血を引く王子として、元で育ち、幼くして世子となります。</p>
<p>ワン・ウォンは忠宣王の本名・王謜（ワン・ウォン）で、史実では後に、王璋（ワン・ヴァン）に改名しています。</p>
<h3>貢女・王氏との結婚</h3>
<p>貢女として元に送られる予定だった王瑛（ワン・ヨン）の娘を救い、1289年に結婚しています。これが後に静妃王氏と呼ばれる女性で、ドラマのワン・ダンのモデルです。</p>
<h3>最愛の妃・趙妃と結婚</h3>
<p>1292年、ワン・ウォンは忠烈王に重用された文臣・趙仁規の娘と結婚しました。政略結婚でしたが、ワン・ウォンはこの娘・趙妃（チョビ）を大変寵愛しました。</p>
<h2>ドラマの元ネタとなった史実の出来事</h2>
<p>ドラマ「王は愛する」には多くの実話が盛り込まれていますが、ドラマの元ネタとなった出来事をご紹介します。</p>
<h3>史実でも無比（ムビ）を処刑</h3>
<p>ワン・ウォンは、父・忠烈王に寵愛を受けていた側室・無比（ムビ）に強い憎しみを抱いていました。</p>
<p>1297年、母の死に疑問を抱いたワン・ウォンは、自ら呪詛の事実を突き止め、無比とその関係者を処刑しています。</p>
<p>これに衝撃を受けた忠烈王は譲位を決意。翌1298年、ワン・ウォンが忠宣王として即位しました。</p>
<h3>趙妃誣告事件</h3>
<p>忠宣王が寵愛した趙妃は、正妃・薊国大長公主の嫉妬により誣告され、1298年に元へ連行され消息不明となります。</p>
<p>※誣告（ぶこく）：虚偽の告発</p>
<p>この事件により忠宣王は廃位され元に戻されました。そのため、父の忠烈王が復位。王妃の影響力の強さと、忠宣王の不遇が浮き彫りとなりました。</p>
<h3>ワン・ジョンの謀反事件</h3>
<p>ワン・ジョン（王琠）は実在した王族で、1306年にソン・バンヨン（宋邦英）らが彼を世子に擁立しようと謀反を企てました。</p>
<p>しかし、元の後援を受けていたものの、モンゴル内部の政変により支援を失い、計画は失敗。1309年、ワン・ジョンらは新たな元の第3皇帝カイシャンにより処刑されました。</p>
<h3>忠宣王の晩年</h3>
<p>忠宣王は1308年に即位後も高麗に戻らず、元から政治を行いました。1310年には王位を狙ったとして長男・広陵君を殺害しましたが、1313年、重臣の圧力に押されて遂に、次男に譲位しています。</p>
<p>1320年には、元からチベットへ移されますが、2年後に解放され、1325年に大都で逝去しています。享年51歳でした。</p>
<h2>登場人物と史実モデルの対比一覧</h2>
<p>ドラマ「王は愛する」には、多くの実在した人物が登場しています。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="26%">役名</td>
<td width="40%">実在のモデル</td>
<td width="34%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・ウォン</td>
<td>王謜（ワン・ウォン）</td>
<td>第26代高麗王・忠宣王</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・ヨン</td>
<td>王瑛（ワン・ヨン ）</td>
<td>忠烈王の妃・貞和宮主の弟</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・ダン</td>
<td>靜妃王氏</td>
<td>王瑛の娘、忠宣王の妃</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・ジョン</td>
<td>王琠（ワン・ジョン）</td>
<td>王瑛の次男</td>
</tr>
<tr>
<td>ソン・バンヨン</td>
<td>宋邦英（ソン・バンヨン）</td>
<td>重臣、密直副使</td>
</tr>
<tr>
<td>ムビ（オク・プヨン）</td>
<td>無比（ムビ）</td>
<td>忠烈王の側室</td>
</tr>
<tr>
<td>忠烈王</td>
<td>忠烈王</td>
<td>第25代高麗王</td>
</tr>
<tr>
<td>元成公主</td>
<td>元成公主</td>
<td>忠烈王の第1妃</td>
</tr>
<tr>
<td>フラタイ</td>
<td>忽刺歹（フラタイ）</td>
<td>元成公主の従臣、高麗名は印侯</td>
</tr>
<tr>
<td>貞和宮主</td>
<td>貞和宮主</td>
<td>忠烈王の正妃、王瑛の妹</td>
</tr>
<tr>
<td>江陽君</td>
<td>江陽公 王滋</td>
<td>忠烈王と貞和宮主の息子</td>
</tr>
<tr>
<td>ソン・イン</td>
<td>宋璘（ソンリン）</td>
<td>重臣</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>ドラマと史実の違いを整理する</h2>
<p>最後に、ドラマと史実の違いを整理しておきます。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="26%">要素</td>
<td width="37%">ドラマ</td>
<td width="37%">史実</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・リン</td>
<td>主人公の一人。王位を争う</td>
<td>架空の人物</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・ウォン</td>
<td>主人公。友情と愛の間で苦悩</td>
<td>実在した王・忠宣王</td>
</tr>
<tr>
<td>ウン・サン</td>
<td>ヒロイン、大商人の娘</td>
<td>架空の人物</td>
</tr>
<tr>
<td>ワン・ダン</td>
<td>貢女から王妃になる</td>
<td>静妃王氏。忠宣王の妃として実在</td>
</tr>
<tr>
<td>三角関係</td>
<td>サンに思いを寄せるサンとウォン</td>
<td>フィクション</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2> まとめ</h2>
<p>ドラマ「王は愛する」は、フィクションですが、史実を巧みに取り入れています。</p>
<p>一躍注目されたワン・リンは架空の人物でしたが、彼の家族構成や背景は実在しており、登場人物の多くが歴史的に実在した人物です。</p>
<p>物語を史実と照らし合わせて再度視聴することで、より深い理解と新たな感動的発見をすることができます。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>忠宣王の家系図【王は愛するのワン・ウォンのモデルは実在】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 21 Feb 2023 23:57:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[王は愛する]]></category>
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					<description><![CDATA[王は愛するの世子ワン・ウォンのモデルは実在した忠宣王です。 モンゴル人を母親とする高麗で初の混血王・忠宣王はどのように育ったのか？ 忠宣王の家系図から詳しく調べてみました。 忠宣王の家系図 忠宣王は、モンゴルの皇帝クビラ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>王は愛するの世子ワン・ウォンのモデルは実在した忠宣王です。</p>
<p>モンゴル人を母親とする高麗で初の混血王・忠宣王はどのように育ったのか？</p>
<p>忠宣王の家系図から詳しく調べてみました。</p>
<h2>忠宣王の家系図</h2>
<p>忠宣王は、モンゴルの皇帝クビライの娘を母親とする高麗で初の混血の王です。</p>
<p>ドラマ「王は愛する」では、高麗で育っていますが、史実ではほとんどを元で暮らしていました。</p>
<p><img decoding="async" class="wp-image-5631 aligncenter" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/c5c9448f9ff4b5c84f373271c1db9fdf.jpg" alt="" width="589" height="324" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/c5c9448f9ff4b5c84f373271c1db9fdf.jpg 953w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/c5c9448f9ff4b5c84f373271c1db9fdf-300x165.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/02/c5c9448f9ff4b5c84f373271c1db9fdf-768x422.jpg 768w" sizes="(max-width: 589px) 100vw, 589px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜忠宣王の家系図＞</strong></p>
<p>忠宣王も王妃として、クビライの曾孫にあたる宝塔実憐（ブッダシュリ）を迎えています。</p>
<p>ブッダシュリは、初代元の皇帝クビライと皇后チャブイの息子チンキムの長男カマラの娘です。</p>
<p>死後、元から薊国大長公主の称号が与えられました。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>後に、第27代王となる忠粛王の母親・也速真（イェスジン）もモンゴル人です。</p>
<p>しかし、也速真はモンゴルの皇族ではなく、その家系については全く分かっていません。</p>
<p>死後、懿妃の称号が与えられました。</p>
<h2>忠宣王とはどんな王だったのか？</h2>
<p>忠宣王は高麗で生まれましたが、幼い頃から元で生活をしていました。</p>
<p>そのため、元では小さな雄牛を意味する益知礼普花（イジリブカ）というモンゴル名を使っていました。</p>
<h3>忠宣王プロフィール</h3>
<p>忠宣王の最初の本名はドラマと同じ王謜（ワン・ウォン）ですが、後に、王璋（ワン・ヴァン）に改名しています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
第26代高麗王<br />
在位期間：1298年3月2日-9月24日<br />
<em>　　　　</em>1308年9月13日-1313年4月20日<br />
姓・諱：王璋（ワン・ヴァン）<br />
モンゴル名：益知礼普花（イジリブカ）<br />
諡号：忠宣憲孝大王<br />
生年：1275年9月30日<br />
没年：1325年5月13日<br />
享年：51歳<br />
父：忠烈王<br />
母：元成公主（荘穆王后）<br />
后妃：薊国大長公主<br />
<em>　　　</em>也速真<br />
陵墓：徳陵</div>
<h2>忠宣王の生涯</h2>
<p>忠宣王は3歳で世子になると、翌年には元で暮らし始めました。</p>
<p>1297年、23歳の時に母親が亡くなると一時帰国、忠烈王の譲位を受けて高麗王に即位しますが、趙妃誣告事件により世子に降格、元に呼び戻されました。</p>
<p>以降、約10年間、元で暮らしています。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>1308年に父親の忠烈王が亡くなると、高麗に戻り、忠宣王として即位します。</p>
<p>しかし、高麗に滞在することはなく、直ぐに元に戻り、元の大都から高麗の家臣たちに指示をだして国政を行いました。</p>
<p>高麗王を王燾（忠粛王）に譲位してからも元に留まり、生涯、高麗に帰ることはありませんでした。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="18%">年月</td>
<td width="82%">出来事</td>
</tr>
<tr>
<td>1275年9月</td>
<td>忠烈王と元成公主の間に生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1277年1月</td>
<td>3歳で世子になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1278年</td>
<td>4歳のとき、モンゴルで生活を始める</td>
</tr>
<tr>
<td>1287年</td>
<td>王瑛の娘（静妃王氏）が貢女に行くのを阻止、世子嬪とする</td>
</tr>
<tr>
<td>1289年</td>
<td>静妃王氏と結婚する（初めての正妃）</td>
</tr>
<tr>
<td>1290年</td>
<td>文臣・洪奎の娘（順和院妃）が世子嬪になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1292年</td>
<td>文臣・趙仁規の娘（趙妃）が世子嬪になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1296年11月</td>
<td>元のカマラの娘のブッダシュリ（薊国大長公主）と結婚</td>
</tr>
<tr>
<td>1297年5月</td>
<td>母親の元成公主が亡くなる</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>元から帰国。母親を苦しめたとして、忠烈王の側室の無比（ムビ）を処刑する</td>
</tr>
<tr>
<td>1298年1月</td>
<td>元成公主の死、無比の処刑にショックを受けた忠烈王が譲位</td>
</tr>
<tr>
<td>1298年3月</td>
<td>忠宣王が高麗王になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1298年5月</td>
<td>趙妃誣告事件が起きる</td>
</tr>
<tr>
<td>1299年</td>
<td>趙妃は趙仁規とともに元に送られ、趙仁規の一家は断絶</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>忠宣王は世子に降格、元に呼び戻される</td>
</tr>
<tr>
<td>1299年9月</td>
<td>忠烈王が復位する</td>
</tr>
<tr>
<td>1308年</td>
<td>忠宣王は瀋陽王に冊封される</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>忠烈王が亡くなる</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>忠宣王が高麗王になる</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>即位後は、元の大都から高麗の家臣たちに伝旨で国政を行う</td>
</tr>
<tr>
<td>1310年</td>
<td>長男の広陵君（王鑑）が王座を狙ったとして忠宣王に殺害される</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>次男の王燾を世子とする</td>
</tr>
<tr>
<td>1313年</td>
<td>高麗王を王燾（忠粛王）に譲位</td>
</tr>
<tr>
<td>1314年</td>
<td>三男の王譓（徳興君）が生まれる。母は不詳</td>
</tr>
<tr>
<td>1315年</td>
<td>薊国大長公主が亡くなる</td>
</tr>
<tr>
<td>1316年</td>
<td>瀋王を王暠（忠烈王の子の江陽公王滋の次男）に譲位</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>王燾（忠粛王）が高麗王、王暠（延安君）が瀋陽王になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1320年</td>
<td>忠宣王は吐蕃（チベット）に流刑</td>
</tr>
<tr>
<td>1323年</td>
<td>泰定帝が即位、忠宣王は泰定帝の赦免を受けて元に戻る</td>
</tr>
<tr>
<td>1325年5月</td>
<td>忠宣王が大都にて死去</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<div class="information-box common-icon-box"><strong>＜豆知識＞趙妃誣告事件とは</strong><br />
1298年5月、趙妃に嫉妬した薊国大長公主（ブッダシュリ）が元に虚偽の訴えをしたことで元の怒りをかった事件です。趙仁規の一家は断絶。趙妃は趙仁規とともに元に送られ、その後、消息不明となりました。</div>
<p>忠宣王はたった6ヶ月で世子に降格、元に呼び戻され、その後10年間、薊国大長公主と元で暮らしています。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>この事実をドラマ「王は愛する」では、忠宣王は自ら譲位、サンとリンを思って元に戻ったように創作されています。</p>
<p>また、ドラマでは忠宣王は高麗で暮らしていましたが、史実では生涯のほとんどを元で暮らしていました。</p>
<h2>忠宣王の家族</h2>
<p>忠宣王は多くの妃を娶りましたが、子供は3男1女の4人でした。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="10%">関係</td>
<td width="22%">称号</td>
<td width="18%">名前</td>
<td width="24%">生年-没年</td>
<td width="26%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>妃</td>
<td>薊国大長公主</td>
<td>宝塔実憐</td>
<td>不明-1315</td>
<td>クビライの曾孫</td>
</tr>
<tr>
<td>妃</td>
<td>懿妃</td>
<td>也速真</td>
<td>不明-1316</td>
<td>モンゴル出身</td>
</tr>
<tr>
<td>妃</td>
<td>静妃王氏</td>
<td>不明</td>
<td>不明-1345</td>
<td>王瑛の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>妃</td>
<td>趙妃</td>
<td>不明</td>
<td>不明</td>
<td>王から寵愛</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>広陵君</td>
<td>王鑑</td>
<td>不明-1310</td>
<td>世子、処刑される</td>
</tr>
<tr>
<td>次男</td>
<td>忠粛王</td>
<td>王燾</td>
<td>不明</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>妃</td>
<td><span style="font-family: var(--cocoon-default-font);">順和院妃洪氏</span></td>
<td>不明</td>
<td><span style="font-family: var(--cocoon-default-font);">不明-1306</span></td>
<td><span style="font-family: var(--cocoon-default-font);">明徳王后の姉</span></td>
</tr>
<tr>
<td>妃</td>
<td>順妃許氏</td>
<td>不明</td>
<td>1271-1335</td>
<td>未亡人。前夫は平陽公王昡</td>
</tr>
<tr>
<td colspan="5">＜母は不明＞</td>
</tr>
<tr>
<td>三男</td>
<td>徳興君</td>
<td>王譓</td>
<td>1314-1367</td>
<td>幼少期に出家</td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>寿春翁主</td>
<td>不明</td>
<td>不明-1345</td>
<td>唯一の王女。夫は許悰</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h3>薊国大長公主</h3>
<p>薊国大長公主はモンゴルの皇族カマラの娘で、モンゴル名は宝塔実憐（ブッダシュリ）です。</p>
<p>カマラは忠宣王の母親・元成公主の従兄にあたり、薊国大長公主はクビライの曾孫にあたります。</p>
<h3>懿妃</h3>
<p>モンゴル出身で、モンゴル名は也速真（イェスジン）ですが、家系は不明です。</p>
<p>皇族の出身ではありませんが、薊国大長公主と結婚する前から婚姻していました。</p>
<p>忠宣王が元で生活している時に知り合ったと推測されます。</p>
<h3>静妃王氏</h3>
<p>静妃王氏は王族・西原侯 王瑛（ワン・ヨン）の娘です。</p>
<p>ドラマ「王は愛する」でリンの妹・ワン・ダンのモデルになった人物です。</p>
<p>実際に、1287年に元に貢女として送られるところを忠宣王が母親の元成公主（荘穆王后）にお願いしてやめさせたと言われています。</p>
<p>1289年に忠宣王と結婚しています。</p>
<h3>趙妃</h3>
<p>高麗の文臣・趙仁規の娘です。</p>
<p>趙仁規はモンゴル語の通訳官でしたが、外交力を高く評価され忠宣王の重臣となった人物です。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>趙妃は忠宣王から最も寵愛を受けた妃でした。</p>
<p>そのため、薊国大長公主に嫉妬され、趙妃とその家族が呪詛していると元の朝廷に訴えられました（趙妃誣告事件）</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>この誣告（ぶこく）により、趙妃は家族と共に元へ強制連行され、その後の消息は不明になります。</p>
<p>また、忠宣王は世子に降格、元に呼び戻されてしまいました。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ドラマ「王は愛する」のワン・ウォンのモデルは実在した忠宣王でした。</p>
<p>史実の忠宣王は生涯のほとんどを元で生活していました。</p>
<p>そのため、高麗における王としての実績はほとんどありませんでした。</p>
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