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	<title>ヘチ</title>
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		<title>延齢君の家系図【ヘチのイ・フォンは実在した王子】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Mar 2023 04:03:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[ドラマ「ヘチ王座の道」に登場する延齢君（イ・フォン）は英祖（イ・グム）の異母弟で実在した王子です。 この記事では延齢君の家系図から大院君・高宗へと続く系譜、トンイとの関係、そして人物像や母・榠嬪朴氏について詳しく解説しま [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「ヘチ王座の道」に登場する延齢君（イ・フォン）は英祖（イ・グム）の異母弟で実在した王子です。</p>
<p>この記事では延齢君の家系図から大院君・高宗へと続く系譜、トンイとの関係、そして人物像や母・榠嬪朴氏について詳しく解説します。</p>
<h2>延齢君の家系図｜高宗へと続く系譜</h2>
<p>延齢君（ヨルリョングン、李昍／イ・フォン）は<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ousama2171/">第19代王・粛宗</a>と<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/myonbinpakushi-kakeizu2431/">側室・榠嬪朴氏</a>の間に六男として生まれました。</p>
<div id="attachment_5741" style="width: 681px" class="wp-caption aligncenter"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5741" class="wp-image-5741" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/e84c385824c74db5c6b4baed9fd96dd1.jpg" alt="大院君や高宗へとつながる延齢君の家系図" width="671" height="520" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/e84c385824c74db5c6b4baed9fd96dd1.jpg 1070w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/e84c385824c74db5c6b4baed9fd96dd1-300x232.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/e84c385824c74db5c6b4baed9fd96dd1-1024x793.jpg 1024w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/e84c385824c74db5c6b4baed9fd96dd1-768x595.jpg 768w" sizes="(max-width: 671px) 100vw, 671px" /><p id="caption-attachment-5741" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜延齢君の家系図＞</strong></p>
<p>延齢君には子供がなく、死後は荘献世子の息子・恩信君が養子となりました。しかし、恩信君も若くして世を去ったため、南延君が再び養子に入り、家督を継承しています。</p>
<p>この南延君は興宣大院君の父であり、最終的に高宗の即位につながります。延齢君の系譜は、朝鮮王朝後期の大きな転換点へと直結しているのです。</p>
<h2>延齢君とトンイの関係</h2>
<p>延齢君（イ・フォン）の母親・榠嬪朴氏は<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/">トンイ（淑嬪崔氏）</a>と同じ粛宗の側室です。従って、トンイの息子の<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/">延礽君（後の英祖）</a>と延齢君とは異母兄弟の関係です。</p>
<div id="attachment_5729" style="width: 409px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5729" class="wp-image-5729" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/d856e8d851a0cdba6e8a6b9dda5fb5ea.jpg" alt="延齢君とトンイの関係を示した図" width="399" height="559" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/d856e8d851a0cdba6e8a6b9dda5fb5ea.jpg 550w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/d856e8d851a0cdba6e8a6b9dda5fb5ea-214x300.jpg 214w" sizes="(max-width: 399px) 100vw, 399px" /><p id="caption-attachment-5729" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜延齢君とトンイの関係＞</strong></p>
<h2>延齢君はどんな人物だったのか？</h2>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-1249" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/62ea5cc5fb41ddc3ea6713a1278d8bc7.jpg" alt="ヘチ王座への道のイ・フォンの画像" width="230" height="246" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/62ea5cc5fb41ddc3ea6713a1278d8bc7.jpg 457w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/62ea5cc5fb41ddc3ea6713a1278d8bc7-281x300.jpg 281w" sizes="(max-width: 230px) 100vw, 230px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜ヘチ王座への道のイ・フォン＞</strong></p>
<p>粛宗実録には延齢君について次のように記録されています。</p>
<blockquote><p>孝行心が強く、慎み深い人柄で、宮廷を離れて私邸に住んでいました・・・粛宗が病に伏してからは、昼夜を分かたず父のそばに仕え、一心に看病したといいます。<br />
＜引用元：粛宗実録1719年10月2日＞</p></blockquote>
<p>延齢君が優しい性格で、大変な父思いであったことが伺えます。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
生年：1699年6月13日<br />
没年：1719年10月2日（享年21歳）<br />
幼名：仁壽（インジュ）<br />
本名：李昍（イ・フォン）<br />
爵号：延齢君（ヨルリョングン）</div>
<h2>粛宗の寵愛ぶり</h2>
<p>延齢君（イ・フォン）は粛宗にとって末っ子のため大変な寵愛を受けました。その寵愛ぶりは5歳で延齢君に冊封、さらに要職の宗親府有司堂上に任命しています。</p>
<p>9歳のときに金東弼の娘と婚礼させ、翌年には貞明公主の邸宅を延齢君に与えるほどでした。</p>
<p>また、延齢君が亡くなったときの粛宗の落胆ぶりが実録に記録されています。</p>
<blockquote><p>上慟甚, 自爲文祭之, 又親製墓文<br />
＜引用元：粛宗実録1719年10月2日＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞粛宗の悲しみは甚だしく、自ら祭文を作って祭り、さらに自ら墓誌を作成した</div>
<h2>延齢君の母・榠嬪朴氏</h2>
<p>榠嬪朴氏は1688年に粛宗の寵愛を受けて承恩尚宮となり、1699年には延齢君を出産。その後も順調に昇格し、1702年には側室の最高位である「嬪」にまで上り詰めます。</p>
<p>しかし、翌1703年、延齢君がまだ5歳のときに亡くなっています。記録によれば、粛宗は榠嬪朴氏と延齢君を深く寵愛し、延齢君を後継候補として考えていたとも伝えられています。</p>
<p>詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-jitsuwa2131/">トンイは実話か創作か？【驚き！史実はドラマより奇なり】</a></p>
<h2>延齢君の最期</h2>
<p>延齢君（イ・フォン）は1719年、わずか21歳で病死しました。若さから考えて伝染病など急性の病が原因と推測されます。翌年には父の粛宗も世を去っており、その衝撃の大きさがうかがえます。</p>
<p>一方、ドラマ「ヘチ 王座への道」ではイ・タン（密豊君）に殺される設定になっていますが、これはあくまでドラマの創作です。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>延齢君（イ・フォン）は若くして亡くなりましたが、養子を通じて南延君・大院君・高宗へと系譜がつながり、朝鮮後期の歴史に大きな影響を残しました。</p>
<p>ドラマ「ヘチ王座への道」に登場するイ・フォンは、史実においても粛宗が特別に寵愛した重要な王子だったのです。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>ヘチ 王座への道の実話【英祖の即位までの史実を徹底検証】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/hechi-jitsuwa2247/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Sep 2022 01:53:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[ドラマ「ヘチ 王座への道」はどこまで実話なのか？ この記事では、ドラマの時代背景、党派抗争、そして英祖が即位するまで道のりを史実をもとに詳しく解説します。 ドラマ「ヘチ 王座への道」と史実の関係 ドラマ「ヘチ 王座への道 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「ヘチ 王座への道」はどこまで実話なのか？</p>
<p>この記事では、ドラマの時代背景、党派抗争、そして英祖が即位するまで道のりを史実をもとに詳しく解説します。</p>
<h2>ドラマ「ヘチ 王座への道」と史実の関係</h2>
<p>ドラマ「ヘチ 王座への道」は、<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/">第21代国王・英祖</a>の若年期に焦点を当て、史実をもとに制作された作品です。</p>
<p>実録に記された出来事や実在の人物を参考に、物語としての脚色を交えながら、英祖（イ・グム）が国王に即位するまでの過程を描いています。</p>
<h2>ドラマ開始時の時代背景（1719年）</h2>
<p>1719年からドラマはスタートしていますが、ドラマ開始前のおさえておきたい出来事は次のとおりです。</p>
<p>前年の1718年3月9日には、イ・グム（英祖）の母・<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/">淑嬪崔氏</a>が亡くなっています。また、同年2月7日には景宗の世子嬪・端懿王后が亡くなり、景宗は14歳の宣懿王后と結婚しました。</p>
<p>1717年頃、<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ousama2171/">粛宗</a>が左議政の李頤命に王位を延礽君（イ・グム）に継がせるよう命じたという説もありますが、この内容を裏づける実録などの一次史料は確認できません。</p>
<h2>イ・フォンと粛宗の死</h2>
<p>1719年10月2日、<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoruryongun-kakeizu2293/">イ・フォン（延齢君）</a>が21歳の若さで病死しました。粛宗の落胆ぶりは大きく、実録には次のように記録されています。</p>
<blockquote><p>上慟甚, 自爲文祭之, 又親製墓文<br />
＜引用元：粛宗実録1719年10月2日＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞粛宗の悲しみは甚だしく、自ら祭文を作って祭り、さらに自ら墓誌を作成した</div>
<p>翌年の1720年6月、粛宗も後を追うように亡くなっています。</p>
<p>ドラマではイ・フォン（延齢君）がイ・タン（密豊君）に殺害され、落胆した粛宗が亡くなっていますが、これはドラマの創作です。</p>
<h2>少論派が政権を握った辛丑獄事（1721年）</h2>
<p>この時代、少論派と老論派は激しく対立していました。粛宗の逝去後、少論派の支持を受けた<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/kyonzyon-kakeizu2393/">景宗</a>が即位すると、老論派は病弱な景宗に代わる人物としてイ・グム（英祖）を王世弟に推しました。イ・グム（英祖）は辞退を重ねましたが最終的に王世弟に冊封されています。</p>
<p>しかし、さらに老論派がイ・グム（英祖）の代理聴政を要求すると、これは謀反とみなされ、主要老論派大臣が流刑、多くの重臣が処罰されました。</p>
<div class="secondary-box"><strong>＜流刑になった老論派の四大臣＞</strong><br />
金昌集（キム・チャンジプ）<br />
李健命（イ・ゴンミョン）<br />
趙泰采（チョ・テチェ）<br />
李頤命（イ・イミョン）</div>
<p>こうして1721年の辛丑獄事（シンチュオクサ）によって少論派が政権を掌握することとなりました。</p>
<h2>老論派が完全追放された壬寅獄事（1722年）</h2>
<p>少論派は攻勢を緩めず、老論派を徹底的に排除しようとしました。1722年3月には、南人派の睦虎竜（モクホリョン）に「老論派は粛宗晩年に世子だった景宗を暗殺しようとした」と告発させ、謀反事件を作り上げます。</p>
<p>この策は成功し、流刑中だった四大臣は死罪となり、老論派の50名以上が命を落とし、数百人の家族も流刑や死罪になりました。こうして老論派は完全に朝廷から追放されました。この事件は壬寅獄事（イミンオクサ）と呼ばれます。</p>
<h2>イ・グム（英祖）の危機</h2>
<p>辛丑獄事と壬寅獄事はあわせて辛壬士禍（シニムサファ）と呼ばれます。この一連の事件ではイ・グム（英祖）も謀反の疑いをかけられましたが、景宗と<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ouhi-shinjitsu2126/">仁元王后</a>の助けによって難を逃れました。</p>
<p>辛壬士禍によって老論派は一掃され、イ・グム（英祖）は政治的な後ろ盾を失い、不利な立場に置かれることになりました。しかし、景宗が亡くなると状況は大きく変わります。</p>
<h2>英祖即位とその後の人事刷新｜丁未換局（1727年）</h2>
<p>1724年8月、景宗が病死し、王世弟のイ・グムが第21代国王・英祖として即位しました。当時は少論派が朝廷を主導していましたが、派閥対立は続き政局は不安定でした。</p>
<p>英祖は王権の安定を図るため一派に偏らない政治運営を掲げ、追放されていた老論派を再び登用する大規模な人事改編を実施します。1727年のこの人事転換が丁未換局（チョンミファングク）と呼ばれ、後に本格化する蕩平策の第一歩となりました。</p>
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<h2>英祖打倒の反乱｜李麟佐の乱（1728年）</h2>
<p>政権から追放された少論強固派と南人派の一部が連合して謀反を起こしました。李麟佐（イ・インジャ）の乱です。</p>
<p>「景宗のための報復」を名分に密豊君を担ぎ出して、英祖を倒そうと企てたのです。首謀者は辛壬士禍を起こした徒党の一人で、英祖が即位した時に朝廷から追放された李麟佐でした。</p>
<p>李麟佐は密豊君を擁して英祖を倒そうとしましたが、20日足らずで鎮圧されました。 李麟佐は生け捕りにされ処刑、密豊君も賜死させられました。この反乱の鎮圧により、英祖に対抗する勢力が大きく衰退し、英祖の政治基盤は盤石になりました。</p>
<p>李麟佐の詳細はこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/iinja-kakeizu2213/">イインジャ（李麟佐）の家系図【粛宗に滅ぼされた名門一族】</a></p>
<h2>ドラマと史実の違い</h2>
<p>ドラマ「ヘチ 王座への道」は史実をベースにしていますが、以下の点は史料には確認できず、ドラマの脚色によるものです。</p>
<div class="secondary-box">・延礽君（イ・グム）が自ら王世弟の地位を求め、王位継承を望んだとする設定<br />
・密豊君（イ・タン）が殺人を重ね、王位を狙ったとする設定<br />
・延礽君が司憲府と協力して各種事件を捜査・解決したという設定</div>
<p>これらの内容は、「景宗実録」や「英祖実録」などの一次史料には記録がなく、創作上の脚色と考えられます。</p>
<h2>ヘチ王座への道に登場する実在した人物</h2>
<p>ドラマには多くの実在人物が登場します。主な登場人物とモデルになった実在人物は以下の通りです。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="30%">登場人物</td>
<td width="30%">実在人物</td>
<td width="40%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>粛宗</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ousama2171/">粛宗</a></td>
<td>第19代王</td>
</tr>
<tr>
<td>景宗</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/kyonzyon-kakeizu2393/">景宗</a></td>
<td>第20代王</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・グム/英祖</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/">英祖</a></td>
<td>第21代王</td>
</tr>
<tr>
<td>イヌォン大妃</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ouhi-shinjitsu2126/">仁元王后</a></td>
<td>肅宗の3番目の王妃</td>
</tr>
<tr>
<td>ソニ王妃</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/soniwanfu-kakeizu2395/">宣懿王后</a></td>
<td>景宗の王妃</td>
</tr>
<tr>
<td>ソ氏/世弟嬪</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/jeongseong-ouhi2212/">貞聖王后</a></td>
<td>英祖の王妃</td>
</tr>
<tr>
<td>パク・ムンス</td>
<td>朴文秀</td>
<td>文官、暗行御史のモデル</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・タン</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/mirupungun-kakeizu2194/">密豊君</a></td>
<td>昭顕世子のひ孫</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・フォン</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoruryongun-kakeizu2293/">延齢君</a></td>
<td>英祖の異母弟</td>
</tr>
<tr>
<td>ミン・ジノン</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/hechi-minjinon-jitsuzai2209/">閔鎭遠</a></td>
<td>老論派の重臣（左議政）</td>
</tr>
<tr>
<td>キム・チャンジュン</td>
<td>金昌集</td>
<td>老論派の重臣</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・イギョム</td>
<td>李頤命</td>
<td>老論派の重臣</td>
</tr>
<tr>
<td>チョ・テグ</td>
<td>趙泰耉</td>
<td>少論派の重臣</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・グァンジャ</td>
<td>李光佐</td>
<td>少論派の重臣</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・インジャ</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/iinja-kakeizu2213/">李麟佐</a></td>
<td>李麟佐の乱の首謀者</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>注意）青い文字をクリックすると関連した記事にアクセスできます。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ドラマ「ヘチ 王座への道」は史実を基にしたフィクションです。景宗から英祖に至る時代は党派抗争が激しく、英祖（イ・グム）はしばしば政治的な危機に巻き込まれました。</p>
<p>史実では、英祖は王位継承を何度も固辞し、自ら王位を求めた形跡はありませんが、即位後は、蕩平策の推進など積極的に改革に取り組んでいます。</p>
<p>主要な出来事や人物を時系列で整理することで、ドラマが描く背景や脚色の意図をより理解しやすくなります。この記事が少しでも参考になれば幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>ヨニングンの最初の王妃は貞聖王后【気の強い両班の娘？】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/jeongseong-ouhi2212/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 27 May 2022 00:55:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[朝鮮王朝時代]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[史実の貞聖王后は温厚でしとやかな王妃と言われています。しかし、韓国時代劇ではまったく異なる性格で描かれることがあります。 この記事では、ドラマ「ヘチ 王座への道」と「トンイ」での描写を比較しながら、貞聖王后の実像に迫りま [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>史実の貞聖王后は温厚でしとやかな王妃と言われています。しかし、韓国時代劇ではまったく異なる性格で描かれることがあります。</p>
<p>この記事では、ドラマ「ヘチ 王座への道」と「トンイ」での描写を比較しながら、貞聖王后の実像に迫ります。</p>
<h2>ヘチの貞聖王后｜気の強い両班の娘</h2>
<p>「ヘチ王座への道」の貞聖王后（チョンソンワンフ）は自分勝手な気の強い両班の娘として描かれています。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-3344" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/132377834e962458073baf1ce4471e29.jpg" alt="ヘチに登場するソ氏（貞聖王后）の画像" width="255" height="283" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/132377834e962458073baf1ce4471e29.jpg 372w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/132377834e962458073baf1ce4471e29-271x300.jpg 271w" sizes="(max-width: 255px) 100vw, 255px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜ヘチに登場するソ氏（貞聖王后）＞</strong></p>
<p>ヨニングンが世子になる前は、彼女は結婚したことを後悔し、夫に当たり散らして腐っていました。</p>
<p>しかし、世子嬪になると一転、夫への関心は無くなり、自分をよく見せることだけに一生懸命になります。</p>
<p>このドラマでの貞聖王后の性格と行動は、ヨニングンが王座に対して無欲であることを強調するための創作だったと考えられます。</p>
<h2>トンイの貞聖王后｜聡明でおしとやかな娘</h2>
<p>「トンイ」の貞聖王后は、進士（チンサ）である徐宗悌（ソ・ジョンジェ）の娘ヘインとして描かれています。</p>
<p>彼女はとってもおしとやかな娘でした。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-3339" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/7348baeb6636bc91f53fc81c8af1d865.jpg" alt="トンイに登場するヘイン（貞聖王后）の画像" width="275" height="237" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/7348baeb6636bc91f53fc81c8af1d865.jpg 412w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/7348baeb6636bc91f53fc81c8af1d865-300x258.jpg 300w" sizes="(max-width: 275px) 100vw, 275px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイに登場するヘイン（貞聖王后）＞</strong></p>
<p>トンイも清らかで聡明な娘を一目で気にい入りました。こちらの描写の方が、史実に近い印象を受ける方も多いかもしれません。</p>
<h2>王気（ワンギ）と婚姻選びのエピソードは創作</h2>
<p>ヨニングンの婚礼相手を選ぶ際、ドラマではトンイが「王気（ワンギ）が漂う家の娘」を選んだという話が出てきますが、これは創作です。</p>
<p>その家はかつて成宗の父・懿敬世子や宣祖が過ごした由緒ある場所でした。</p>
<p>長男ではない王子たちにゆかりがあるため、「ヨニングンが王になる」という民の噂を呼ぶ可能性があり、トンイはそれを逆手に取ったのです。</p>
<p>実際の王妃・貞聖王后の父は進士の徐宗悌ですが、家に関する逸話は史料には見られません。</p>
<div class="information-box common-icon-box"><strong>＜豆知識＞</strong><br />
<strong>王気（ワンギ）とは</strong><br />
王が出現する所に昇る神気のこと。転じて王の気品・風格の意で用いられますが、ここでは、もとの意味の王が生まれる運気の意味で使われています。<br />
<strong>進士（チンサ）とは</strong><br />
科挙の１つ司馬試（サマシ）に合格した者の称号です。貞聖王后の父親は、結婚当時は進士（チンサ）でしたが、ドラマでは官職につかずに学問に精進していました。</div>
<h2>史実の貞聖王后｜温厚で長期在位の王妃</h2>
<p>史実の貞聖王后（チョンソンワンフ）は温厚で寛大な性格だったと言われています。</p>
<p>貞聖王后は1704年、11歳でヨニングン（延礽君）と婚礼を挙げました。彼女はヨニングンより約2歳年上の姉さん女房でした。</p>
<p>1721年、ヨニングンが王世弟となると、彼女も王世弟嬪に。さらに1724年の即位に伴い正式に王妃となり、以後33年間も在位します。</p>
<p>これは朝鮮王朝の王妃の中でも最長クラスです。長い在位中も悪評はなく、側室の子も可愛がったとされ、心優しく善良な王妃だったことがうかがえます。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜貞聖王后のプロフィール＞</strong><br />
生年：1693年12月27日<br />
没年：1757年3月26日<br />
王妃在位：1724年-1757年<br />
享年：64歳<br />
父親：達城府院君　徐宗悌<br />
母親：岑城府夫人　牛峰李氏<br />
兄：徐命伯</div>
<p>史実の貞聖王后について詳しくは＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/queen-jeisei-kakeizu2260/">貞聖王后の家系図【最長在位期間33年間の王妃】</a></p>
<h2>ヨニングンと貞聖王后の仲は良かったのか</h2>
<p>ヨニングンと貞聖王后の間には子供は出来ませんでしたが、二人は大変仲が良かったと推定されます。</p>
<p>その理由は２つあります。</p>
<p>・死後、彼女を「大王大妃」と追尊したこと<br />
・彼女の墓の隣を自分のために空けていたこと</p>
<h3>最大限の称号を与える</h3>
<p>英祖実録に貞聖王后を埋葬するときのことを、次のように記録されています。</p>
<blockquote><p>英祖は自ら貞聖王后の銘旌（めいせい）に文字を記し、また、崩御した<strong>大王大妃の梓宮（棺）</strong>に「上字」を自筆で書かれた。棺には漆（うるし）を施し、合計で25回塗って完了した。<br />
＜引用元：英祖実録1757年6月1日＞</p></blockquote>
<p>「大王大妃の棺」と記録されていることから、死後、大王大妃に追尊されたことが分かります。通常、王妃を死後、大王大妃と称することはありません。</p>
<p>この記録は、英祖が貞聖王后に対して極めて深い敬意と哀悼の意を持って葬儀に臨んだことを物語っています。</p>
<p>「自筆で文字を書く」「漆を25回塗る」といった丁寧な処置は、王としての誠意と王妃への最大限の礼遇を意味しています。</p>
<h3>仲良く埋葬されることを希望する</h3>
<p>また、ヨニングンは貞聖王后の墓の隣を自分のために空けていました。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-1758" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/10/2f7ad30d5a14a2e602d2aaff4f957f49.jpg" alt="西五陵にある弘陵（貞聖王后のお墓）の画像" width="402" height="192" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/10/2f7ad30d5a14a2e602d2aaff4f957f49.jpg 603w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/10/2f7ad30d5a14a2e602d2aaff4f957f49-300x143.jpg 300w" sizes="(max-width: 402px) 100vw, 402px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜西五陵にある弘陵（貞聖王后のお墓）＞</strong></p>
<p>しかし、残念ながら、存命中だった貞純王后への政治的配慮から、ヨニングンは彼女の隣に埋葬されることはありませんでした。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ヨニングン（英祖）の正室・貞聖王后は、目立った政治的活動や波乱がなく、非常に堅実で誠実な王妃だったと考えられます。</p>
<p>ヨニングンとの仲も良かったと思われます。</p>
<p>ヘチに描かれた気の強い人物像ではなく、トンイに描かれた清楚な方が実像に近いかもしれません。</p>
<p>在位期間33年という長期間に渡り、静かに、そして、穏やかに朝鮮王朝を支えた王妃であったと思われます。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>ヘチのミンジノンは実在した人物？【粛宗の義理の兄で重臣】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 May 2022 02:05:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[ドラマ「ヘチ」に登場する重臣・ミンジノン（閔鎭遠）は実在した人物です。ミンジノンはどんな人物だったのか？ この記事では、ミンジノンの人物像、家族構成、党派抗争に明け暮れた波乱の生涯を史実を基に詳しく解説します。 ミンジノ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「ヘチ」に登場する重臣・ミンジノン（閔鎭遠）は実在した人物です。ミンジノンはどんな人物だったのか？</p>
<p>この記事では、ミンジノンの人物像、家族構成、党派抗争に明け暮れた波乱の生涯を史実を基に詳しく解説します。</p>
<h2>ミンジノンは実在した人物か？</h2>
<p>ミンジノン（ミン・ジノン／閔鎮遠）は「粛宗実録」「景宗実録」「英祖実録」に記録が残る実在した人物です。</p>
<p>彼は<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ousama2171/">粛宗</a>の2番目の王妃・<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/inyon-kakeizu2256/">仁顕王后</a>の兄として王室に近い立場でした。しかし、老論派の中心人物だった彼は粛宗、景宗、英祖の三世代に渡り、党派抗争の中で流刑、登用を繰り返す波乱万丈の生涯を送りました。</p>
<p>ミンジノンと粛宗、景宗、英祖の関係を「トンイ」と「ヘチ」の相関図で表すと次のとおりです。</p>
<div id="attachment_3304" style="width: 565px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-3304" class="wp-image-3304" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/510338ebbd2d9db6f617048c35190e50.jpg" alt="ミン・ジノンと粛宗、景宗、英祖の関係を「トンイ」と「ヘチ」の相関図で表現" width="555" height="460" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/510338ebbd2d9db6f617048c35190e50.jpg 761w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/510338ebbd2d9db6f617048c35190e50-300x248.jpg 300w" sizes="(max-width: 555px) 100vw, 555px" /><p id="caption-attachment-3304" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した相関図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜ミンジノンと粛宗、景宗、英祖の関係＞</strong></p>
<h2>ミンジノンの出自と家系</h2>
<p>ミンジノン（閔鎭遠）は名門・驪興閔氏に生まれました。父・閔維重（ミン・ユジョン）は老論派を代表する重臣で、朝廷では戸曹判書を務めています。兄の閔鎭厚（ミン・ジヌ）も官職に就き、のちに父の後を継いで老論派の中心人物となりました。</p>
<p>また、彼の妹・仁顕王后は粛宗の第二王妃として宮中に入り、外戚としても大きな影響力を持つ存在でした。</p>
<p><strong>＜ミンジノンの家族＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="15%">関係</td>
<td width="22%">名前</td>
<td width="25%">生年-没年</td>
<td width="38%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>父</td>
<td>閔維重</td>
<td>1630-1687</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>正室</td>
<td>豊府夫人</td>
<td>1628-1652</td>
<td>徳水李氏、子女なし</td>
</tr>
<tr>
<td>継室</td>
<td>恩城府夫人</td>
<td>1637-1672</td>
<td>恩津宋氏</td>
</tr>
<tr>
<td><em>　</em>長男</td>
<td>閔鎭厚</td>
<td>1659-1720</td>
<td>礼曹判書</td>
</tr>
<tr>
<td><em>　</em>次男</td>
<td>閔鎭遠</td>
<td>1664-1736</td>
<td>左議政</td>
</tr>
<tr>
<td><em>　</em>長女</td>
<td>仁顕王后</td>
<td>1667-1701</td>
<td>粛宗の王妃</td>
</tr>
<tr>
<td>継室</td>
<td>豊昌府夫人</td>
<td>1659-1741</td>
<td>豊壌趙氏</td>
</tr>
<tr>
<td><em>　</em>三男</td>
<td>閔鎭永</td>
<td>1682-1724</td>
<td></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>粛宗時代｜不遇の時代</h2>
<p>ミンジノン（閔鎭遠）が初めて実録に現れるのは、粛宗12年（1686年）11月24日条で、成均館儒生として行われた試験で首席となり、王から恩恵を受けた場面です。</p>
<p>1691年には27歳で科挙に合格しますが、妹・仁顕王后の廃位と西人（のちの老論派）追放により官職に就けず、多くの西人とともに不遇の時期を過ごしました。</p>
<p>1694年の甲戌換局で仁顕王后が復位すると、ようやく官職に就き、司僕寺や司憲府執義などを務めました。その後、ミンジノンは主要な官職を歴任。1718年には礼曹判書（正二品）に任命されました。</p>
<p>礼曹判書就任以降、老論派の主導権争いが激化し、ミンジノンは徐々に党内で影響力を強めていきました。</p>
<h2>景宗時代｜老論派首領としての活躍と失脚</h2>
<p>1720年に粛宗が逝去。少論派が支える<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/kyonzyon-kakeizu2393/">景宗</a>が即位すると、延礽君を推していた老論派は強い危機感を抱きました。当時、ミンジノンは兄・閔鎮厚の後を継いで老論派の中心にあり、景宗に子がいないことを理由に延礽君を世弟に立てようと動きます。</p>
<p>1721年には老論派の強力な後押しで拒む延礽君を世弟にしましたが、その後の代理聴政の上訴が景宗と少論派の反発を招き、謀反の名目で老論派は大きく弾圧されました。</p>
<p>ミンジノンも星州に流され、この一連の事件は辛壬士禍（シニムサファ）と呼ばれます。</p>
<h2>英祖時代｜再起と蕩平策に反対して再失脚</h2>
<p>1724年に景宗が逝去して<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/">英祖</a>が即位すると、失脚していた老論派は再び勢いを取り戻し、ミンジノンも流刑先から呼び戻され右議政に抜擢されました。</p>
<p>翌1725年には左議政へ昇進しますが、英祖が党争の弊害を抑えるために推し進めた蕩平策に強く反対したことで、1727年には職を解かれ、再度流刑となります。少論派首領の李光佐との和解も拒んだと伝えられています。</p>
<h2>李麟佐の乱で再び官職に復帰</h2>
<p>1728年、英祖の即位後に冷遇されていた少論派が<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/iinja-kakeizu2213/">李麟佐</a>（イ・インジャ）を中心に反乱を起こしましたが、この「李麟佐の乱」はわずか6日で鎮圧され、首謀者は処刑されました。</p>
<p>ところが、清州が容易に陥落したことに英祖は衝撃を受け、ミンジノンを呼び戻して関係者の厳罰を命じます。こうしてミンジノンは官職に復帰。その後は引退まで職務を全うしました。</p>
<h2>ミンジノンの最期</h2>
<p>1736年11月28日、ミンジンノが亡くなりました。死因は明記されていません。英祖はミンジノンの死に際して、その人柄を次のように記しました。</p>
<blockquote><p>閔奉朝賀以休戚之臣, 所執雖滯, 丹心爲國＜英祖実録：1736年11月28日条＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞閔鎭遠は私の最も近い側近で、頑固なところはあったものの、国のために尽くした真心は揺らぐことがなかった。</div>
<p>※閔鎭遠はミンジノンの漢字表記。</p>
<p>ミンジノンは気骨があり、頑固で、極端なほど党派にこだわった人物と評される一方で、君臣関係における忠誠心は揺るがず、最後まで政務に尽くした人物でした。</p>
<h2>ミンジノンの年表（簡易）</h2>
<p>ミンジノンの主要な出来事を一覧で整理しています。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="15%">年代</td>
<td width="85%">出来事</td>
</tr>
<tr>
<td>1664</td>
<td>閔維重の息子として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1691</td>
<td>科挙（文科）に合格。己巳換局後の混乱で登用されず</td>
</tr>
<tr>
<td>1694</td>
<td>甲戌獄事。仁顕王后復位</td>
</tr>
<tr>
<td>1695</td>
<td>芸文館の検閲（正九品）</td>
</tr>
<tr>
<td>1697</td>
<td>弘文館の修撰（正六品）</td>
</tr>
<tr>
<td>1705</td>
<td>工曹参議（正三品）</td>
</tr>
<tr>
<td>1718</td>
<td>礼曹判書（正二品）老論派内での影響力を強める</td>
</tr>
<tr>
<td>1720</td>
<td>景宗即位。老論派の中心人物になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1722</td>
<td>辛壬士禍で失脚。星州へ流刑</td>
</tr>
<tr>
<td>1724</td>
<td>英祖即位で復権。右議政（正一品）</td>
</tr>
<tr>
<td>1727</td>
<td>丁未換局で再度失脚・流刑。翌年釈放</td>
</tr>
<tr>
<td>1736</td>
<td>逝去</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>まとめ</h2>
<p>ミンジノンは、粛宗・景宗・英祖の三代にわたり政局に影響を与えた実在の人物です。名門・驪興閔氏の一族として生まれ、老論派の重鎮として活躍しました。</p>
<p>ドラマ「ヘチ」では誇張された描写がありますが、史実のミンジノンは頑固で執念深い面はありましたが、最後まで国に尽くした実務派の政治家でした。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>ヘチでヨジは側室になるのか？実在モデルと裏話を徹底解説！</title>
		<link>https://justarandomnote.com/hechi-yoji-sokushitsu2189/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 11 Apr 2022 01:06:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[「ヘチ王座への道」で、多くの視聴者が期待したヨジの側室でしたが、ヨジは側室にはなりませんでした。 この記事では、ヨジがなぜ側室にならなかったのか、実在モデルはいたのか？ 脚本の裏事情まで詳しく解説します。 なぜ、ヨジは側 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「ヘチ王座への道」で、多くの視聴者が期待したヨジの側室でしたが、ヨジは側室にはなりませんでした。</p>
<p>この記事では、ヨジがなぜ側室にならなかったのか、実在モデルはいたのか？</p>
<p>脚本の裏事情まで詳しく解説します。</p>
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</div>

<h2>なぜ、ヨジは側室にならなかったのか</h2>
<p>ドラマの後半では、突然、女官になったヨジがイ・グム（ヨニングン）の側室になることを期待した視聴者も多かったと思います。</p>
<p>イ・グムとの関係も親密になり、数々の出来事に「伏線？」と感じる自然な流れもありました。</p>
<h3>制作側もヨジの側室を考えていた？</h3>
<p>ヘチの制作側もヨジの側室を考えていた可能性があります。</p>
<p>イ・ヨンソク監督はヨジのキャラクターをとっても気に入っていたようで、ドラマの後半には、ヨジの出番を増やすように脚本家のキム・イヨンにお願いしていました。</p>
<p>実は、キム・イヨンも、ヨジの活躍の場を増やし、ヨニングンとの甘い恋の物語への展開も考えていたことをインタビューで述べています。</p>
<h3>ヨジの思わぬアクシデント</h3>
<p>女官になってからの演技に違和感を感じた人も多かったと思います。</p>
<p>実は、ヨジはこのとき、アクションシーンで大怪我をしてしまったのです。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-3382 aligncenter" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/04/cd7269dcbf14153275ea2a81e9c06f37.jpg" alt="" width="259" height="273" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/04/cd7269dcbf14153275ea2a81e9c06f37.jpg 422w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/04/cd7269dcbf14153275ea2a81e9c06f37-285x300.jpg 285w" sizes="(max-width: 259px) 100vw, 259px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜女官になって精彩を欠いたヨジ＞</strong></p>
<p>だから、後半は、ほとんど棒立ちのシーンが多くなりました。</p>
<p>詳しくは＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/hechi-yoji-detekonai2118/">ヘチ 王座への道の第14話にヨジが出てこない理由【怪我？】</a></p>
<p>コ・アラが怪我をしなければドラマではヨジがヨニングンの側室になった可能性もあったかもしれません。</p>
<h2>実在モデルはいたのか？</h2>
<p>ヨジのキャラクターに該当するような側室は存在しませんでした。</p>
<p>ヨニングンには４人の側室がいましたが、どの女性もヨジのように男勝りで武術に秀でた女性ではありませんでした。</p>
<p>また、側室は全員が女官出身ですが、ヨジのような茶母から側室になった女性はいませんでした。</p>
<p>従って、ヨジは完全な創作キャラクターと考えられます。</p>
<h3>実在した４人の側室</h3>
<h4>靖嬪李氏（チョンビンイシ）</h4>
<p>ヨニングンの寵愛を受け、世子（孝章世子）を生みますが、若くして母子とも亡くなってしまいます。</p>
<h4>暎嬪李氏（ヨンビンイシ）</h4>
<p>荘献世子（思悼世子）の生母、つまり、正祖の祖母です。ヨニングンの寵愛を最も受けた側室として多くの子供を生んでいます。</p>
<h4>貴人趙氏（クィインチョシ）</h4>
<p>貴人趙氏はヨニングンが王に即位してから側室になりましたが、詳しいことは分かっていません。</p>
<h4>淑儀文氏（スギムンシ）</h4>
<p>淑儀文氏は荘献世子の死に関わったと言われる側室です。そのため、正祖が即位すると、すぐに廃位されて宮廷から追い出されました。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>4人の側室には、ヨジのキャラクターに通じるようなものはありませんでした。</p>
<p>ヨジはヨニングンの側室をモデルにしていないことは間違いないようです。</p>
<h2>ヨジが活躍した司憲府の監察補佐官とは？</h2>
<p>ヨジが所属した司憲府（サホンブ）とは、官僚の不正や違法行為を取り締まる官庁でした。</p>
<p>彼女は司憲府の監察補佐官でしたが、実際には茶母（タモ）の身分で、女性奴婢の中から選ばれた特別な存在でした。</p>
<p>女性の身体検査や内密な捜査など、男性にはできない任務を担っています。</p>
<p>ドラマ「ヘチ」で、ヨジは日本語も話せて、武術にもたけ、ほとんど男性と同等の仕事をしていましたが、これは、かなり脚本化されています。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ヨジは架空の人物でヨニングンの側室にはなりませんでした。</p>
<p>彼女は途中から大妃の計らいで女官になるなど、「伏線」と思われる出来事が描かれていきますが、途中の怪我により、ストーリーが大きく変わったようです。</p>
<p>ヨジが今までにないキャラクターとして活躍を期待していただけに本当に残念でした。</p>
<p>しかし、ヨジというキャラクターの存在は、間違いなく作品の大きな魅力となっていました。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>ヨニングン（英祖）の家系図【意外と知らない王妃と側室】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Feb 2022 23:22:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=2199</guid>

					<description><![CDATA[ヨニングンの王妃と側室については意外と知られていません。 この記事では家系図を通して、ヨニングンの家族を詳しくご紹介しています。 ヨニングン／英祖の家系図 ＜ヨニングンの家系図＞ ヨニングンは生涯、２人の王妃と4人の側室 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ヨニングンの王妃と側室については意外と知られていません。</p>
<p>この記事では家系図を通して、ヨニングンの家族を詳しくご紹介しています。</p>
<h2>ヨニングン／英祖の家系図</h2>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-12762 size-large" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/55ec36b3742435958dc01380ecfae15f-800x667.avif" alt="ヨニングン（英祖）の家系図" width="800" height="667" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/55ec36b3742435958dc01380ecfae15f-800x667.avif 800w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/55ec36b3742435958dc01380ecfae15f-500x417.avif 500w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/55ec36b3742435958dc01380ecfae15f-300x250.avif 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/55ec36b3742435958dc01380ecfae15f-768x640.avif 768w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/55ec36b3742435958dc01380ecfae15f.avif 822w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong style="font-family: var(--cocoon-default-font);">＜ヨニングンの家系図＞</strong></p>
<p>ヨニングンは生涯、２人の王妃と4人の側室を迎えました。</p>
<p>２人の王妃の間には最後まで子供はできませんでしたが、４人の側室との間に2男7女の子供をもうけました。</p>
<p>側室の中で最も寵愛を受けた女性は暎嬪李氏で、米びつ事件で亡くなった思悼世子と正祖に流刑にされた和緩翁主を生んでいます。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>ヨニングンの母は淑嬪崔氏（トンイ）、孫は正祖（イ・サン）であることは有名ですが、意外に正室と側室については知られていません。</p>
<p>そこで、王妃と側室について詳しくご紹介していきます。</p>
<h2>ヨニングンの王妃と側室</h2>
<p>ヨニングンの家族である正室と側室、その子供たちを一覧でまとめました。</p>
<p><strong>＜英祖（ヨニングン）の家族＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td style="width: 20%;">第21代国王・英祖</td>
<td style="width: 20%;"></td>
<td style="width: 20%;"></td>
<td style="width: 20%;"></td>
<td style="width: 20%;"></td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="2">正室</td>
<td>貞聖王后</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>貞純王后</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="12">側室</td>
<td rowspan="3">靖嬪李氏</td>
<td rowspan="3">1男2女</td>
<td>和億翁主</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>孝章世子</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>和順翁主</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="5">暎嬪李氏</td>
<td rowspan="5">1男6女</td>
<td>和平翁主</td>
<td>22歳で逝去</td>
</tr>
<tr>
<td>和協翁主</td>
<td>20歳で逝去</td>
</tr>
<tr>
<td>荘献世子</td>
<td>尊称：思悼世子</td>
</tr>
<tr>
<td>和緩翁主</td>
<td>正祖が流刑</td>
</tr>
<tr>
<td>他に3人の翁主</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="2">貴人趙氏</td>
<td rowspan="2">2女</td>
<td>和柔翁主</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>他に1人の翁主</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="2">淑儀文氏</td>
<td rowspan="2">2女</td>
<td>和寧翁主</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>和吉翁主</td>
<td></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h3>ヨニングンの王妃</h3>
<p>正室は若くして結婚した貞聖王后と晩年になってから結婚した貞純王后の二人です。</p>
<div class="secondary-box">正室：貞聖王后（チョンソンワンフ）<br />
継室：貞純王后（チョンスンワンフ）</div>
<h4>寵愛された王妃・貞聖王后</h4>
<p>貞聖王后はヨニングンと10歳のときに結婚した2歳年上の姉さん女房でした。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-2208" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/d5604d645c8a112033a75dacfa246023.jpg" alt="トンイに登場するヘイン" width="222" height="224" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/d5604d645c8a112033a75dacfa246023.jpg 252w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/d5604d645c8a112033a75dacfa246023-150x150.jpg 150w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/d5604d645c8a112033a75dacfa246023-100x100.jpg 100w" sizes="(max-width: 222px) 100vw, 222px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイに登場するヘイン（貞聖王后）＞</strong></p>
<p>33年間、王妃の座にいましたが、子供には恵まれず、その代わりに側室の子供を大変可愛がりました。</p>
<p>ヨニングンは生前、貞聖王后を大変寵愛し、彼女のお墓の隣は自分が入るために空けてあったといいます。</p>
<h4>悪女だった貞純王后</h4>
<p>貞聖王后が亡くなると、ヨニングン（英祖）は66歳で15歳の貞純王后と結婚します。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-3750 aligncenter" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/4d839c34b130a9182b12ccb8c9dcaaac.jpg" alt="" width="224" height="229" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/4d839c34b130a9182b12ccb8c9dcaaac.jpg 433w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/02/4d839c34b130a9182b12ccb8c9dcaaac-293x300.jpg 293w" sizes="(max-width: 224px) 100vw, 224px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong style="font-family: var(--cocoon-default-font);">＜イ・サンの貞純王后＞</strong></p>
<p>彼女は聡明な女性でしたが、思悼世子や正祖とは仲が悪く、米びつ事件に関与していたと言われています。</p>
<p>正祖の時代には周囲が粛清されおとなしくしていましたが、息子の純祖が王位につくと、垂簾聴政により積極的に政治に関与し、正祖の改革を全て無にする暴政を行いました。</p>
<h3>ヨニングンの側室</h3>
<p>ドラマにはあまり、登場しませんが、ヨニングンには四人の側室がいました。</p>
<div class="secondary-box">靖嬪李氏（チョンビンイシ）<br />
暎嬪李氏（ヨンビンイシ）<br />
貴人趙氏<br />
淑儀文氏（スギ ムンシ）</div>
<h4>最初の側室・靖嬪李氏</h4>
<p>靖嬪李氏はヨニングンが世弟になる前に寵愛を受け長男の孝章世子を生んでいますが、28歳で病死、その後、孝章世子も10歳で病死しています。</p>
<p>ヨニングン（英祖）は死を深く悲しみ、8歳で結婚した長男の妻・賢嬪趙氏を娘のように可愛がりました。</p>
<p>しかし、賢嬪趙氏は36歳で逝去、死後、孝純王后に追尊されています。</p>
<h4>最も寵愛を受けた暎嬪李氏</h4>
<p>暎嬪李氏は側室の中でもヨニングン（英祖）が最も寵愛した女性で、米びつ事件で亡くなった思悼世子と正祖に流刑にされた和緩翁主を生んでいます。</p>
<h4>思悼世子と犬猿の仲だった淑儀文氏</h4>
<p>淑儀文氏は長男の妻・孝純王后に仕えていた宮女で、英祖が60歳のときに側室（昭媛）になっています。</p>
<p>王女を二人生みましたが、思悼世子の死に関与したと言われ、正祖が即位すると真っ先に廃位され、その後、賜死させられました。</p>
<h2>ヨニングンの子供</h2>
<p>ヨニングン（英祖）は二人の正室との間には子供を授かることはできませんでしたが、四人の側室との間に2男7女の子供をもうけています。</p>
<p>しかし、生涯、男の子はたったの二人でした。</p>
<div class="secondary-box">孝章世子（母：靖嬪李氏）<br />
荘献世子/思悼世子（母：暎嬪李氏）</div>
<p>先に述べたように二人とも悲しい最後を遂げています。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>ヨニングン（英祖）の娘では、次の3人がよくドラマに登場しますが、いずれも、母親は暎嬪李氏です。</p>
<div class="secondary-box">和平翁主（ファピョンオンジュ）<br />
和協翁主（ファヒョプオンジュ）<br />
和緩翁主（ファワンオンジュ）</div>
<p>和平翁主と和緩翁主はヨニングン（英祖）の寵愛を受けて育ちましたが、和協翁主は酷く冷遇されました。</p>
<p>和協翁主は同じく冷遇された思悼世子とは仲が良かったといいます。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>ヨニングン（英祖）は和平翁主を結婚後も宮殿に住まわせましたが、22歳で亡くなっています。</p>
<p>和緩翁主は思悼世子の米びつ事件に関わったと言われ、正祖が即位したときに流刑にされています。</p>
<h2>ヨニングンの母と兄弟</h2>
<p>ヨニングンの父・粛宗には３人の正室と６人の側室がいました。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td style="width: 20%;">第19代国王・粛宗</td>
<td style="width: 20%;"></td>
<td style="width: 20%;"></td>
<td style="width: 20%;"></td>
<td style="width: 20%;"></td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="3">正室</td>
<td>仁敬王后</td>
<td>2女</td>
<td>2人の公主</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>仁顕王后</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>仁元王后</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="9">側室</td>
<td rowspan="2">禧嬪張氏</td>
<td rowspan="2">2男</td>
<td>李昀</td>
<td>第20代　景宗</td>
</tr>
<tr>
<td>盛寿</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="3">淑嬪崔氏</td>
<td rowspan="3">3男</td>
<td>永壽</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>李昑（延礽君）</td>
<td>第21代　英祖</td>
</tr>
<tr>
<td>王子</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>䄙嬪朴氏</td>
<td>1男</td>
<td>延齢君</td>
<td>21歳で逝去</td>
</tr>
<tr>
<td>寧嬪金氏</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>貴人金氏</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>昭儀劉氏</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>禧嬪張氏は一時王妃になっています。</p>
<h3>ヨニングンの母</h3>
<p>ヨニングンには生みの親と育ての親となる二人の母がいました。</p>
<div class="secondary-box">生母：淑嬪崔氏<br />
養母：仁元王后</div>
<h4>尊敬する母・淑嬪崔氏</h4>
<p>淑嬪崔氏は、身分の低い賤民の出身であり、ヨニングンはいつもそのことを気にしていました。</p>
<p>当初、母親のお墓は「昭寧墓」であり、現存する立派なお墓「昭寧園」に昇格したのは、英祖（ヨニングン）が60歳になってからでした。</p>
<p>王様にとっても身分の差は大きな障壁だったんです。</p>
<h4>ヨニングンを守った仁元王后</h4>
<p>1721年にヨニングンは粛宗の継室・仁元王后（イヌォンワンフ）の養子になっています。</p>
<p>仁元王后は事あるごとにヨニングンを助け、70歳まで生きますが、生涯、ヨニングンに大事にされました。</p>
<h3>ヨニングンの異母兄弟</h3>
<p>ヨニングンには母親が違う義理の兄弟が二人いました。</p>
<div class="secondary-box">異母兄：李昀（母：禧嬪張氏）<br />
異母弟：李昍（母：䄙嬪朴氏）</div>
<h4>在位4年で病死した異母兄の李昀</h4>
<p>李昀（イ・ユン）は張禧嬪の息子で粛宗を継ぎ、第20代王・景宗として即位しました。</p>
<p>在位は4年で病死、子供はできず、ヨニングンが第21代王・英祖として王位を継承しています。</p>
<p>実は、景宗は子供ができない病気でした＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-seja-byouki2166/">トンイに登場する世子の病気の痿疾（いしつ）は本当か？</a></p>
<h4>短命だった異母弟の李昍</h4>
<p>李昍（イ・フォン）は側室・榠嬪朴氏の息子で、ヨニングンとは仲が良かったと言われていま。</p>
<p>延齢君（ヨルリョングン）と称されましたが、21歳の若さで病死しています。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ヨニングン（英祖）の家系図から、彼が生きてきた苦難の人生を知ることができます。</p>
<p>特に、ヨニングンと彼の子供たちの関係は、後世に大きな影響を与えました。</p>
<p>この記事を通して、ドラマでは描かれないヨニングンの実像をより深く理解する参考になれば幸いです。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>ヘチとトンイの相関図【二つの珠玉の名作を徹底解説】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/hechi-toni-kanren2126/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Jun 2021 00:50:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[「ヘチ王座への道」のイ・グムは「トンイ」のモデルになった淑嬪崔氏の息子です。「ヘチ王座への道」は「トンイ」の続編なのか？ この記事では、相関図をもとに、二つの作品の人物関係、歴史的背景などを解説。珠玉の名作のつながりに迫 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「ヘチ王座への道」のイ・グムは「トンイ」のモデルになった淑嬪崔氏の息子です。「ヘチ王座への道」は「トンイ」の続編なのか？</p>
<p>この記事では、相関図をもとに、二つの作品の人物関係、歴史的背景などを解説。珠玉の名作のつながりに迫ります。</p>
<p>なお、ヘチの実話について知りたい方は<br />
＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/hechi-jitsuwa2247/">ヘチ 王座への道の実話【英祖が王になるまでの史実を徹底検証】</a>を御覧ください。</p>
<h2>ヘチとトンイの関係とは？｜珠玉の名作の相関図</h2>
<p>ドラマ「ヘチ 王座への道」の主人公イ・グムは、第19代王・粛宗と側室である淑嬪崔氏（トンイのモデル）との間に生まれた息子です。</p>
<p>「トンイ」では幼い頃のクムとして登場し、その聡明さと王の器を秘めた人物として描かれました。</p>
<p>「ヘチ 王座への道」では、成人したイ・グムが主人公となり、第21代王・英祖として即位するまでの過程が描かれています。</p>
<p>つまり、2つの作品は世代をまたぐ形で密接につながっています。なお、「ヘチ 王座への道」は以下「ヘチ」と記載します。</p>
<div id="attachment_2101" style="width: 672px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-2101" class="wp-image-2101" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/63c871960589d2786e2a643546c7908d.jpg" alt="トンイとヘチの相関図" width="662" height="363" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/63c871960589d2786e2a643546c7908d.jpg 1194w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/63c871960589d2786e2a643546c7908d-300x165.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/63c871960589d2786e2a643546c7908d-1024x562.jpg 1024w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/63c871960589d2786e2a643546c7908d-768x421.jpg 768w" sizes="(max-width: 662px) 100vw, 662px" /><p id="caption-attachment-2101" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイとヘチの人物相関図＞</strong></p>
<h2>「ヘチ王座への道」は「トンイ」の続編か？</h2>
<p>両作品を手がけた脚本家はキム・イヨンです。彼女は、「トンイ」で描いたトンイとクムの物語を「ヘチ」で継続させました。</p>
<p>「トンイ」ではクムの幼少期に焦点を当てましたが、「ヘチ」では政治の世界に巻き込まれながら王となる青年期のイ・グムに焦点を当てました。</p>
<p>トンイの最終回では、立派な王となった英祖の姿が描かれますが、実際には王位に就くまでには多くの困難がありました。身分の低い母を持つことで冷遇され、派閥抗争の中で翻弄されたイ・グムの波乱の道のりが、「ヘチ」で丁寧に描かれています。</p>
<p>つまり、「ヘチ」は「トンイ」の続編といえる作品です。</p>
<div class="information-box common-icon-box"><strong>＜豆知識＞クムとイ・グムの発音の違い</strong><br />
「トンイ」では主人公の息子を「クム」と呼びますが、「ヘチ」では「イ・グム」と発音されます。「ク」と「グ」、これは韓国語の濁音化の影響によるもので、日本語で「かざくるま」が「かざぐるま」になるのと似た現象です。</div>
<h2>粛宗の息子たちと三兄弟の相関図</h2>
<p>ドラマ「ヘチ」は、粛宗の三人の息子たちに焦点を当てています。以下がその三兄弟です。</p>
<div class="secondary-box"><strong>＜粛宗の3人の息子＞</strong><br />
・英祖（イ・グム）<br />
・景宗（イ・ユン）<br />
・延齢君（イ・フォン）</div>
<div id="attachment_15224" style="width: 579px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-15224" class="wp-image-15224" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/2702429987a9893afcb972a47516782a.avif" alt="粛宗と三兄弟の相関図" width="569" height="391" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/2702429987a9893afcb972a47516782a.avif 800w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/2702429987a9893afcb972a47516782a-500x344.avif 500w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/2702429987a9893afcb972a47516782a-300x206.avif 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/2702429987a9893afcb972a47516782a-768x528.avif 768w" sizes="(max-width: 569px) 100vw, 569px" /><p id="caption-attachment-15224" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜三兄弟の相関図＞</strong></p>
<p>景宗（イ・ユン）<br />
粛宗の長男。第20代王に即位。病弱で、王位を巡る派閥争いの中心となる人物。</p>
<p>延齢君（イ・フォン）<br />
粛宗の次男。王子でありながら夭折。ドラマ「トンイ」には登場しませんが、「ヘチ」では重要な脇役として描かれます。</p>
<p>英祖（イ・グム）<br />
粛宗とトンイの子。「トンイ」で登場した聡明な少年が、「ヘチ」では民を思う理想の王として成長します。</p>
<p>「ヘチ」では、特に英祖の苦悩と成長が軸として描かれ、派閥抗争や兄との葛藤などを乗り越えていく様子が見どころです。</p>
<h2>トンイ、ヘチ、イ・サンの家系図で見る血縁関係</h2>
<p>ドラマ「トンイ」で描かれた主人公トンイ（モデルは淑嬪崔氏）は、第19代王・粛宗の側室となり、やがて息子の延礽君（ヨニングン／イ・グム）を出産します。この延礽君こそが、のちの第21代王・英祖です。</p>
<p>「ヘチ 王座への道」では、このイ・グムが青年期を迎え、王になるまでの道のりが描かれています。そして、さらにその孫であるイ・サン（正祖）の生涯を描いたのがドラマ「イ・サン」です。</p>
<p>３作品の登場人物を家系図でつなぐと、以下のようになります。</p>
<div id="attachment_9582" style="width: 565px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-9582" class="wp-image-9582" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/0d571354ef16eaedd0f6492ccd010e9d.jpg" alt="トンイ、イサン、ヘチの家系図" width="555" height="562" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/0d571354ef16eaedd0f6492ccd010e9d.jpg 742w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/0d571354ef16eaedd0f6492ccd010e9d-500x507.jpg 500w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/0d571354ef16eaedd0f6492ccd010e9d-300x304.jpg 300w" sizes="(max-width: 555px) 100vw, 555px" /><p id="caption-attachment-9582" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイ、イサン、ヘチの家系図＞</strong></p>
<p>英祖はトンイの息子であり、イ・サンは英祖の孫にあたるため、イ・サンはトンイの曾孫という関係になります。</p>
<p>ドラマ三作品は、一つの王統の流れを描いた物語として構成されており、歴史的にも血縁的にも強く結びついています。</p>
<h2>トンイの子どもたち</h2>
<p>全てのドラマの起点となるトンイには何人の子どもがいたのでしょうか？</p>
<p>ドラマ「トンイ」では、延礽君（イ・グム）のみが主要人物として描かれていますが、史実ではトンイ（淑嬪崔氏）は3人の子を産んだと記録されています。</p>
<div class="secondary-box">第1子：長男（早世。ドラマにも登場）<br />
第2子：延礽君（イ・グム）<br />
第3子：男子（生後まもなく夭折）</div>
<p>結果的に、延礽君は実質的に一人息子として育てられました。トンイが英祖に注いだ愛情と教育が、後の名君誕生につながったとも言えるでしょう。</p>
<p>詳しくは＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-kodomo-nannin2233/">トンイの子供は何人？【淑嬪崔氏には３人目の王子がいた】</a></p>
<h2>「ヘチ」「トンイ」「イ・サン」の相関図と視聴順</h2>
<p>ドラマ「トンイ」「ヘチ 王座への道」「イ・サン」は、いずれも脚本家キム・イヨンの作品です。そのため、登場人物の描写や物語の流れに一貫性があります。</p>
<div id="attachment_2102" style="width: 664px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-2102" class="wp-image-2102" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/dc7a8e087e8631dd2adaf333e344d8bc.jpg" alt="トンイ、ヘチ、イ・サンの相関図" width="654" height="344" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/dc7a8e087e8631dd2adaf333e344d8bc.jpg 1195w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/dc7a8e087e8631dd2adaf333e344d8bc-300x158.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/dc7a8e087e8631dd2adaf333e344d8bc-1024x538.jpg 1024w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/dc7a8e087e8631dd2adaf333e344d8bc-768x404.jpg 768w" sizes="(max-width: 654px) 100vw, 654px" /><p id="caption-attachment-2102" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイ、ヘチ、イ・サンの相関図＞</strong></p>
<p>この三作品を視聴する順番は、やはり、時代順がおすすめです。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="30%">タイトル</td>
<td width="70%">物語の概要</td>
</tr>
<tr>
<td>トンイ</td>
<td>粛宗の側室トンイとその息子クム（英祖）の成長の物語</td>
</tr>
<tr>
<td>ヘチ 王座への道</td>
<td>青年イ・グム（英祖）が王になるまでの苦悩と成長の物語</td>
</tr>
<tr>
<td>イ・サン</td>
<td>英祖と孫のイ・サン（正祖）の政治改革の物語</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>この順で視聴すれば、トンイの血統が三代にわたってどのように受け継がれたか、一貫した流れの中で理解することができます。</p>
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</div>

<h2>「ヘチ」と「トンイ」作品を比較</h2>
<p>「ヘチ王座への道」と「トンイ」を作品として比較しました。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="20%">作品</td>
<td width="20%">製作年</td>
<td width="20%">時代</td>
<td width="20%">監督</td>
<td width="20%">脚本家</td>
</tr>
<tr>
<td>トンイ</td>
<td>2010年</td>
<td>1680～1704年頃</td>
<td>イ・ビョンフン</td>
<td>キム・イヨン</td>
</tr>
<tr>
<td>ヘチ王座への道</td>
<td>2019年</td>
<td>1719～1725年頃</td>
<td>イ・ヨンソク</td>
<td>キム・イヨン</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>また、作品に登場する人物、主な出演者、ドラマの内容は次の通りです。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="30%">作品</td>
<td width="28%">登場する人物</td>
<td width="42%">演じた俳優</td>
</tr>
<tr>
<td>トンイ</td>
<td>トンイ<br />
粛宗<br />
延礽君<br />
張禧嬪</td>
<td>ハン・ヒョジュ<br />
チ・ジニ<br />
イ・ヒョンソク<br />
イ・ソヨン</td>
</tr>
<tr>
<td>ヘチ王座への道</td>
<td>延礽君<br />
粛宗<br />
景宗<br />
密豊君</td>
<td>チョン・イル<br />
キム・ガプス<br />
ハン・スンヒョン<br />
チョン・ムンソン</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>トンイの制作から約10年後に、キム・イヨンはトンイの息子クムの成長の物語を書いたことになります。</p>
<h2>実在した登場人物</h2>
<p>ヘチ王座の道とトンイに登場した実在した人物は次のとおりです。キャスト名が入っているものがそのドラマに登場した人物です。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="35%">実在の登場人物</td>
<td width="20%">ヘチ王座の道</td>
<td width="20%">トンイ</td>
<td width="25%">説明</td>
</tr>
<tr>
<td>粛宗<br />
スクチョン</td>
<td>キム・ガプス</td>
<td>チ・ジニ</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ousama2171/">第19代王</a></td>
</tr>
<tr>
<td>景宗<br />
キョンジョン</td>
<td>ハン・スンヒョン</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>第20代王</td>
</tr>
<tr>
<td>世子・昀<br />
ユン</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>ユン・チャン</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-seja-byouki2166/">世子時代の景宗</a></td>
</tr>
<tr>
<td>英祖<br />
ヨンジョ</td>
<td>チョン・イル</td>
<td>イ・ソノ</td>
<td>第21代王</td>
</tr>
<tr>
<td>昑（クム）</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>イ・ヒョンソク</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-musuko-kumu2048/">クムは幼年の英祖</a></td>
</tr>
<tr>
<td>仁元王后<br />
イヌォンワンフ</td>
<td>ナム・ギエ</td>
<td>オ・ヨンソ</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ouhi-shinjitsu2126/">肅宗の3番目の王妃</a></td>
</tr>
<tr>
<td>仁顕王后<br />
イニョンワンフ</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>パク・ハソン</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-inyon2146/">肅宗の2番目の王妃</a></td>
</tr>
<tr>
<td>淑嬪崔氏<br />
スクピン チェシ</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>ハン・ヒョジュ</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-jitsuwa2131/">英祖の母（側室）</a></td>
</tr>
<tr>
<td>禧嬪張氏<br />
チャンヒビン</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>イ・ソヨン</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/chanhibin-kakeizu2319/">景宗の母（側室）</a></td>
</tr>
<tr>
<td>明聖王后<br />
ミョンソンワンフ</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>パク・ジョンス</td>
<td>肅宗の母</td>
</tr>
<tr>
<td>宣懿王后<br />
ソニワンフ</td>
<td>ソン・ジイン</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>景宗の王妃</td>
</tr>
<tr>
<td>貞聖王后<br />
チョンソンワンフ</td>
<td>チェ・スイム</td>
<td>チョン・モレ</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/jeongseong-ouhi2212/">英祖の王妃</a></td>
</tr>
<tr>
<td>張希載<br />
チャン・ヒジェ</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>キム・ユソク</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-chanhije-jitsuzai2164/">禧嬪張氏の兄</a></td>
</tr>
<tr>
<td>朴文秀<br />
パク・ムンス</td>
<td>クォン・ユル</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>司憲府監察</td>
</tr>
<tr>
<td>密豊君<br />
ミルプングン</td>
<td>チョン・ムンソン</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/mirupungun-kakeizu2194/">王子（イ・​タン）</a></td>
</tr>
<tr>
<td>延齢君<br />
ヨルリョングン</td>
<td>ノ・ヨンハク</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td>英祖の異母弟（フォン）</td>
</tr>
<tr>
<td>閔鎭遠<br />
ミン・ジノン</td>
<td>イ・ギョンヨン</td>
<td style="text-align: center;">－</td>
<td><a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/hechi-minjinon-jitsuzai2209/">重臣（左議政）</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>注）説明の青文字をクリックすると関連する記事に飛びます。</p>
<p>「ヘチ 王座への道」には、ドラマを理解する上で重要な人物が登場します。王族イ・タン（密豊君）とイ・フォン（延齢君）です。彼らとトンイとの関係を以下に整理します。</p>
<h3>イ・タン（密豊君）とトンイの関係</h3>
<p>イ・タン（密豊君）はドラマ「ヘチ」で野心家として描かれますが、実在の王族で仁祖の長男系統に属します。トンイとは遠縁で、実際には接点がほとんどなく、悪役描写も史実では確認されていない創作です。</p>
<div id="attachment_5727" style="width: 402px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5727" class="wp-image-5727" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/ebb49011e0b6b9dd096bc9bd950baea0.jpg" alt="密豊君の家系図" width="392" height="395" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/ebb49011e0b6b9dd096bc9bd950baea0.jpg 668w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/ebb49011e0b6b9dd096bc9bd950baea0-297x300.jpg 297w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/ebb49011e0b6b9dd096bc9bd950baea0-150x150.jpg 150w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/ebb49011e0b6b9dd096bc9bd950baea0-100x100.jpg 100w" sizes="(max-width: 392px) 100vw, 392px" /><p id="caption-attachment-5727" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜密豊君の家系図＞</strong></p>
<p>密豊君が王への道を絶たれた理由については＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/mirupungun-kakeizu2194/">密豊君（みるぷんぐん）の家系図【王位継承者と言う理由とは】</a>　を御覧ください。</p>
<h3>イ・フォン（延齢君）とトンイの関係</h3>
<p>イ・フォン（延齢君）は粛宗の息子で英祖の異母弟です。トンイとは血縁はありませんが、英祖は大変可愛がり、粛宗の寵愛も受けました。ドラマでは兄弟の絆が物語の重要な要素として描かれています。</p>
<div id="attachment_5729" style="width: 356px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5729" class="wp-image-5729" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/d856e8d851a0cdba6e8a6b9dda5fb5ea.jpg" alt="延齢君の家系図" width="346" height="485" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/d856e8d851a0cdba6e8a6b9dda5fb5ea.jpg 550w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/03/d856e8d851a0cdba6e8a6b9dda5fb5ea-214x300.jpg 214w" sizes="(max-width: 346px) 100vw, 346px" /><p id="caption-attachment-5729" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p>延齢君について更に詳しいことは＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoruryongun-kakeizu2293">延齢君の家系図【ヘチのイ・フォンは実在した歴史上重要な人物】</a>　を御覧ください。</p>
<h2>その他関連情報</h2>
<p>ここでは、「ヘチ王座への道」の視聴者が感じた疑問「ヨジは実在した側室？」と三作品の脚本家キム・イヨンについて解説します。</p>
<h3>ヨジは実在した側室？</h3>
<p>ヨジは英祖の側室や女官としての実在記録はなく、完全な架空の人物です。</p>
<p>武術に優れた男勝りの女性として描かれ、後に女官になりますが、史実には彼女に該当する側室はいません。物語上の魅力的な存在として描かれた創作キャラクターです。</p>
<p>詳しくは＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/hechi-yoji-sokushitsu2189/">ヘチ王座への道でヨジは側室になるのか？【実在したモデルは？】</a></p>
<h3>脚本家キム・イヨンの魅力</h3>
<p>脚本家キム・イヨンは、「イ・サン」「トンイ」「馬医」などの名作を手がけ、日本でも高い人気を誇ります。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-1297" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/a1e1ba3770b3b5ea9ba6f27e6c538ac5.jpg" alt="トンイを書いたころのキム・イヨンさんの画像" width="283" height="323" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/a1e1ba3770b3b5ea9ba6f27e6c538ac5.jpg 469w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/06/a1e1ba3770b3b5ea9ba6f27e6c538ac5-263x300.jpg 263w" sizes="(max-width: 283px) 100vw, 283px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイを書いたころのキム・イヨンさん＞</strong></p>
<p>これらの作品では名監督イ・ビョンフンとタッグを組み、幾度も脚本の修正を重ねながら、脚本家として大きく成長しました。彼女は解決策を決めずに困難な状況から物語を展開させる手法で、視聴者を引き込むリアルな展開を生み出しています。</p>
<p>初期は脚本家チェ・ワンギュの助手として「ホジュン」や「商道」のラブストーリーを担当し、後に「イ・サン」への起用も推薦されました。その経験が、彼女独自のドラマの世界観を形づくっています。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>この記事では、ドラマ「トンイ」と「ヘチ 王座への道」の人物相関図や家系図、歴史背景をもとに、二作品のつながりを詳しく解説しました。</p>
<p>両作の主人公であるトンイの息子イ・グム（英祖）の人生を軸に、彼の苦悩と成長、そして次世代へ続く王統の物語が描かれています。</p>
<p>脚本家キム・イヨンによる一貫した構成が、「イ・サン」を加えた三作品を通じて見応えある歴史ドラマに仕上げています。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>ヘチ 第14話でヨジが出てこない理由【コ・アラの大怪我】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/hechi-yoji-detekonai2118/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Mar 2021 09:12:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=983</guid>

					<description><![CDATA[それまで男勝りの武術でイ・グムを助けてきたヨジが、第14話で突然姿を消しました。 ドラマ上では「どこかへ出かけた」という説明で処理されていますが、実は撮影中にコ・アラの大怪我があったのです。 ヨジがドラマの途中で出てこな [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>それまで男勝りの武術でイ・グムを助けてきたヨジが、第14話で突然姿を消しました。</p>
<p>ドラマ上では「どこかへ出かけた」という説明で処理されていますが、実は撮影中にコ・アラの大怪我があったのです。</p>
<h2>ヨジがドラマの途中で出てこない理由</h2>
<p>ヨジ役のコ・アラは聞慶（ムンギョン）セジェでの撮影中に転倒。右足の<strong><span style="font-size: 20px; color: #ff0000;">靭帯損傷の大怪我</span></strong>をしていました。</p>
<p>事故後、ソウルで安静にをとって、次の日に病院で精密検査を受けた結果、右の前距腓靭帯（ぜんきょひじんたい）の破裂と分かりました。すぐに、ギブスと入院が必要となり、これが、ヨジがドラマの途中で突然登場しなくなった本当の理由です。</p>
<p>前距腓靭帯は足関節の外側にある靭帯で、スポーツ選手もよく損傷する部位として知られています。コ・アラの後半の演技はさすがに元気もなく、上半身だけの演技が続きました。</p>
<h2>ストーリーまで代わった大怪我</h2>
<p>怪我の影響で、後半のヨジのアクションシーンは大幅に減少しました。女官として王宮に入り、延礽君（ヨニングン）を得意の武術で助けるという展開を誰もが期待していたでしょう。</p>
<p>しかし、復帰（第17話）後のシーンでは、上半身の演技が多く、立ち姿の場面が増えています。後半一番の活躍は延礽君が襲われる場面で体を張ってかばった時でしたが、このときも、動いている姿が明らかに代役でした。</p>
<p>後半、ヨジというキャラクターの存在感が弱まってしまったのは、制作陣にとっても大きな痛手でした。</p>
<h2>監督と脚本家もヨジの怪我に落胆</h2>
<p>イ・ヨンソク監督もヨジの怪我には強い衝撃を受けたと明かしています。コ・アラの美しさの裏のコメディー感覚を高く評価、後半の出番を増やすように脚本家に要望していたほどでした。</p>
<p>また、脚本家のキム・イヨンもヨジは王宮に入ったあとに、イ・グムを守り、甘い物語になる予定だったと語っています。しかし、コ・アラが大怪我をしたために大幅に脚本を修正することになり、視聴者にとっても製作者にとっても本当に残念な結果になりました。</p>
<h2>ヨジは実在した人物？</h2>
<p>ドラマ「ヘチ」に登場するヨジは、実在しない架空の人物です。</p>
<p>司憲府（サホンブ）の捜査官という設定で、男勝りの武術、底なしの酒量、色恋に疎いという今までにないヒロインとして描かれていました。</p>
<p>物語の流れから「英祖が寵愛した側室がモデルでは？」と思う人もいますが、史料にはヨジに該当する人物は確認できません。</p>
<p>詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/hechi-yoji-sokushitsu2189/">ヘチでヨジは側室になるのか？実在モデルと裏話を徹底解説！</a></p>
<div class="information-box common-icon-box"><strong>＜豆知識＞</strong><strong>司憲府（サホンブ）とは</strong><br />
ヨジが所属した司憲府は官僚の不正や違法行為を取り締まる監察機関です。官僚の官職を剥奪する権限をもつなど強い特権を持っていました。タイトルの「ヘチ」は善悪を裁く伝説の神獣で、司憲府の象徴とされていました。</div>
<h2>ヨジを演じたコ・アラはどんな人？</h2>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-996" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/03/67f3b599a863a67f9954b032857bdd00.jpg" alt="コ・アラの画像" width="258" height="295" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/03/67f3b599a863a67f9954b032857bdd00.jpg 467w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/03/67f3b599a863a67f9954b032857bdd00-262x300.jpg 262w" sizes="(max-width: 258px) 100vw, 258px" /></p>
<p>コ・アラは2003年にSMエンターテインメントのオーディションでグランプリを獲得。モデル兼女優として活動を開始しました。代表作には「応答せよ1994」「花郎」「ブラック〜恋する死神〜」「賢い医師生活」などがあります。</p>
<p>高校時代から日本語を習得しており、「ヘチ」では日本語を披露する場面があります。2006年には映画「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」のオーディションで4万人の中から選ばれ、日本映画に出演しています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜コ・アラさんのプロフィール＞</strong><br />
生年月日：1990年02月11日<br />
（2026年06月15日現在、36歳）<br />
出生地：韓国キョンサンナム道チンジュ市<br />
ドラマデビュー：シャープ（2003年）</div>
<h2>まとめ</h2>
<p>ドラマ「ヘチ」でヨジが第14話以降、16話までに登場しなかったのは、コ・アラの靭帯損傷という大怪我が原因でした。</p>
<p>予定されていたアクションやストーリーも大幅に変更されましたが、それでも彼女の演技は強いインパクトを残しました。これからも男勝りのアクションと凛とした演技で、さらなる活躍を見せてくれることが期待されます。</p>
<p>韓国時代劇に興味が湧いた方は＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/korean-historical-drama-tanoshimu2024/">韓国時代劇ドラマを歴史順に並べると韓国の歴史が見える</a> もぜひ御覧下さい。</p>
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